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玩具館綺譚 みんなのレビュー

  • 石神茉莉 (著)
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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (1件)
  • 星 4 (2件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)
3 件中 1 件~ 3 件を表示

ふしぎー

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:さきん - この投稿者のレビュー一覧を見る

ミステリーだと思って読んでいたせいで、途中からクエスチョンマークが頭にとびかってしまった。なるほど不可思議ありきの小説なのか。
なにがあっても納得できる妖しさと、ふてぶてしいまでの俗っぽさが同居した三輪亡に行ってみたい。迷いこみたいなぁ。

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紙の本人魚と提琴

2008/02/28 15:52

「人魚と提琴(ヴァイオリン)、どこが似てる?」と聞いたれば、『あたしはどちらも煮てないわ』とはアリスの答え。キャロルおじさん曰く「人魚は『幻想の生物』、ヴァイオリンは『弦奏の静物』……」

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:仙人掌きのこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

「人魚と提琴(ヴァイオリン)」には『鏡の国のアリス』が重要なモチーフとして登場する。物語の導入部で、主人公・涼子は黒猫のキティに導かれて玩具館「三隣亡」に足を踏み入れる。その入口で玩具館の共同経営者・美珠と合わせ鏡のように向かい合った時、現実と幻想の境界は「ガーゼのように柔らかく」なり、不思議な物語が始まるのである。

「燃えさかる炎のなかでヴァイオリンを弾く少年、その周りで踊る人魚」という涼子の記憶は、おとぎ話のように美しく思われるかもしれない。しかし、その炎は涼子の肉体に火傷の痕を残しているし、人魚はアンデルセン童話のような美しい存在ではなく、人にも魚にもなれない生臭い不気味な生物として描かれる。
「人魚と提琴のどこが似てる?」という問いの答えは「音」である。人魚の歌は船乗りを惑わせ、ヴァイオリンの演奏は聴く者の魂をゆさぶる。互いの音が響きあい重なって、人魚は「おとぎ話から現実」に一歩踏み込み、ヴァイオリンは「現実からおとぎ話」を生み出す。おとぎ話と現実が溶け合っていく。
「鏡の国のアリス」に登場するユニコーンは、アリスを見てこう言い放つ。
「小さなオンナノコなんて、おとぎ話の中の怪物かと思っていたよ!」
 おとぎ話がおとぎ話でなくなった時、それは人間の制御を離れ、不気味で不吉なものに変容していくのだ。

 物語の主人公・涼子ともう一人のヒロイン・響は、表面上申し分のない「お嬢さん」だ。周囲とトラブルを起こす事もないし、きちんと職業を持って明るく前向きに生きている。しかし、読み進むうちに不安がつのってくる。どこかがズレている、何かが欠けている。現実の境界線から、一歩踏み込んだ所に存在しているようで危なっかしい。
 この「欠落」が物語の大きなテーマのように感じる。考えてみれば「人魚」というのも、半身が欠落した存在だ。人としても魚としても完全ではない。(おまけにこの物語ではアイディンティティである声帯まで奪われている)
 ヒロインの二人だけではない。登場人物のほとんどが決定的な何かを失い、その「欠落」を求めている。明日のジャムと昨日のジャムの間で永遠に失われ続ける今日のジャムを。しかし、それは時間を止める事でしか得られない。欠落を埋めたからといって、幸福になれるとは限らないのだ。

「境界」と「欠落」の舞台として、玩具館「三隣亡」は申し分ない。ともすれば悲劇的になりそうな場面も、美珠とその兄Tのかけ合い漫才のような軽さが救ってくれるし、重大なトラブルが発生しても「万事こころえています」と処理してくれる。この空間では、すべてが玩具化し遊びの要素が加えられる。その一方で、現実的な仕入れや経営の話題がはさまれるのもバランスが良い。店内には、まだまだ語られるべき物語が隠されていそうだ。
 再び玩具館「三隣亡」を舞台にした物語を読みたい、それが「人魚と提琴」を越えた物語であって欲しいという願いを込めて、星はひとつ減らして四つとした。

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紙の本人魚と提琴

2008/02/10 23:30

「人魚と提琴 玩具館綺譚」によせて

8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:すぎやまあつし - この投稿者のレビュー一覧を見る



超越性への憧憬と反発とが私の評論の核といってよいだろう。
そういう意味では私の意識は、フランス小ロマン派の根底論理となんら変わることはない。私がキリスト教的意匠の絶対性に惹かれつつも、結局のところ反発に回帰するのは、つまるところ、二元論的発想への嫌悪に由来する。善悪の区切りが明示されて解決されるようなおめでたい発想に本質的な救済はおよばないと信じている。自意識すら懐疑の対象でしかない。今、これを書いている私自身が一番いかがわしいのだ。文学の本質は反社会性だろう。所詮はひかれ者の小唄でしかない。夜の論理でしか動き得ないものだ。いわゆる小市民的な価値観にとどまる人種には理解しえないものでしかない。私自身の本質は、ジャンル論にはまったく興味がないが、敢えていうなら幻想文学であろうか。明示化および分析を拒む不可知なものを直視する感覚。幻想文学の根底となる論理ではないだろうか。「人魚と提琴 玩具館綺譚」は、その本質において、まごうことない幻想文学であり、かつまた、作者の蓄積されたエッセンスを一挙に味わうことのできる秀作である。
「黒死館殺人事件」が作者小栗虫太郎の美意識そのものが投影されているのと同じように「人魚と提琴 玩具館綺譚」においてもそれは踏襲されている。作者石神茉莉氏の感受性そのものが形象化されている。いわゆるゴス的な怪奇的な要素と宝石などに仮託される無垢なる要素。そして、物語の根幹となるキャロル「鏡の国のアリス」との交錯や妖怪としての人魚伝説の組み込みなど、作者の内世界そのものがきわめて、美的に定位されているのだ。古典的ともいえる物語の筋立てではあるが、ぐいぐい読み手をひきこんでいくのは、まちがいなく、作品の力によるものだ。この作品の魅力は、私は〈混沌〉への直視があるように思う、二元論を超えんとするもの。その論理の追求の部分に、私はまず惹かれるのだ。光にも闇にも属し得ない中間性に支えられることでこの物語は成立している。
黄昏の物語といってもよいのかもしれない。そうした裂け目のようなものに惹かれる者たちに用意された小説のようにも思う。いずれにせよ、今後の著者の歩みに期待する。


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