深川澪通り木戸番小屋 みんなのレビュー
- 北原亞以子
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紙の本澪つくし
2020/01/20 23:17
こんな風になれたら
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投稿者:里 - この投稿者のレビュー一覧を見る
表紙の"深川澪通り木戸番小屋"というサブタイトルを見ただけで拡がってゆく安心感。驚きや衝撃とは無縁の慎ましい、穏やかな江戸に引き込まれる。どんな風に歳を重ねてゆけばお捨ての様になれるのか…北原さんの残された江戸庶民の一コマ一コマを味わい尽くしたい。
紙の本深川澪通り灯ともし頃
2016/11/30 12:25
会いたい、お捨さんと笑兵衛さんに
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投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
お捨さんと笑兵衛さん、第一作目よりはぐっと登場回数は減ったけれど、でもどんなときでも主人公の心の中で微笑んでいる。悲しい時、困った時、やるせなくてやるせなくて仕方がない時、主人公は思い出す。ああ、あの木戸番小屋に行ったら、、と。どうしてもふさぎ込んでいる時は、行くのすら躊躇してしまうのだけれど、そんな時は不思議とお捨さんか笑兵衛さんがひょっこり現れ、主人公たちに手を差し伸べる。いいなあ、心底、いいなあと思う。こんな慈悲深く慎み深い夫婦が近くにいるなんて。そして決して見捨てないなんて。わたしも会いたいよ。
紙の本深川澪通り木戸番小屋
2016/10/26 11:11
これから、これから!
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投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
読みたい本を探しているとき急に呼吸が合った。わたしとこの本と。下町長屋に暮らしながらも、そこはかとなく上品な雰囲気を醸し出している笑兵衛とお捨夫婦。訳ありだからこの番小屋に流れ着いた二人なんだけど、不思議とほんわかとして幸せな空気が流れている。貧乏や暴力ややるせなさをかかえて暮らす他の住人にもその優しさは伝播し、困惑や涙がいつの間にか消え希望が見えるそんなお話が満載。特にお捨がね、懐深くてね。そんな嫁、裏切ることできないよね、笑兵衛。わかるわかる。さあ、長いシリーズの幕開けだ。昂揚感はんぱない!読むぞぉ!
紙の本たからもの
2014/08/23 13:15
有難く読了
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投稿者:田舎大将 - この投稿者のレビュー一覧を見る
前から北原さんのはよく読んでいましたが、縁側日記や木戸番小屋ものは文庫本になってから購読していました。が昨年亡くなってからは待ちきれなく単行本を購入しています。
この 「たからもの」 は木戸番小屋シリーズの最後になってしまいましたが残念です。時代小説といえば切った張ったの戦争や捕物が幅を利かせているこのごろ、主人公お捨さんと笑兵衛はもちろん出てくる人々がみな普通の人たちで、終わりの何行かできちんと締めるパターンを楽しみました。「まぶしい風」は {父の手がおたえの背を押した。おたえは、おりきににじり寄った。母の懐がおたえを待っていた。} です。全く無駄のない文章で作者の言い分はきっちり伝わります。今、毎日一話づつ初めから読み直していますが飽きませんから、有難いと思っています。
それにつけても、NHKもくだらない時代物でなく、「木戸番小屋」か「縁側日記」(これは前に少しやりましたが)でもテレビドラマ化したらいいと、お捨さんは原 日出子さんかなと想像したりしています。
単行本には後ろの解説がないので、すっきりしていいですね。
紙の本深川澪通り灯ともし頃
2004/03/24 01:07
神様に頼る前に人間ができる事はまだいっぱいある
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投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る
世をすね、人を怨み、悪い方へ、悪い方へと向いていた。その冷えきった心が、たった一つの暖かい心にぽあんと包まれた事で、じわっと溶け、思いも寄らぬ方向に向きを変えてゆく。不思議なのだが、人の心とは、人生とは、本当に、そんなもの。
身寄りがないまま育ち、喧嘩っ早くて喧嘩政の異名を取った政吉は、深川澪通りの木戸番夫婦お捨・笑兵衛と出逢った事から、塩売りの傍ら狂歌を詠むようになる。夫婦のさりげない優しさに触れるうち、今までの生活でささくれだった心が治ってゆく。そうすると、今まで苦労と思っていた事も、過去の辛かった思い出も、そんなに重たく感じない。
そしてある日、待ちに待った幸せがやって来た。それも一つだけではなく、二つも一緒に。狂歌の掲載と、嫁取りだ。
ああ良かった。これからやっと楽になる。幸せになる。
そうして政吉は、今までいからせてきた肩を、張ってきた意地をふぅっとおろす。
お捨・笑兵衛は、心尽くしのもてなしで、友人達と政吉の門出を祝ってくれる。どこから見ても、文句無し、望月のような幸せの図で、物語は幕を開ける。
けれど望月がやがて欠けるように、幸せも長くは続かない。最初こそ感謝の気持ちを忘れずにいた心もちが、「してくれて、ありがたい」から「やってもらって当たり前」になる。今の自分を、今の幸せを守るために、他人様から怨みを買うような事すら、時には、やってのける。後ろめたさを正当性で隠し、裏切った苦味を野心で飲み込むうち、順調にまわっていたはずの歯車が、きしみ始める。気づいた時にはもう遅い。取り返しのつかないほどに狂った歯車は、にっちもさっちもいかなくなる。これじゃあ望月どころか、お先真っ暗だ。
政吉を非難するのはたやすい。けれど、神様はいい気になっている人の所に、「お前さんの幸せはここまでだ。」とわざわざ告げに来ない。だから今まで一度もいい思いをした事がない人ほど、「ほどほど」という感覚がわからない。細かく描かれる政吉の心情が、あんまり真に迫っているもんだから、とても他人事に思えない。今はたまたま違うとしても、もしかしたら、自分だって心の持ちよう一つ、不運一つで、政吉の立場に立っていたかもしれない。神様には頼れないとしても、人がなんとかしてやれないものかと気をもむ。
ふと、どこかに燈がともる。そしてその燈の中に、木戸番夫婦の顔がぼんやり浮かぶ。どんな時も変わらぬ暖かさで接し、何の見返りも求めない。そして、決して自分の結論を押しつけず、相手の判断に任せる。
「ああよかった、彼等がいた。」 心がほっかり暖まる。でも、一方で「こんなできすぎの存在、実際には絶対いない。」という思いが邪魔をする。二つの思いを行き来しながら読み終えて思った。やっぱり私は信じたい。彼等は確かに架空の存在だが、実際に生きている人だって、優しい言葉一つ、気配り一つで誰かの心に燈をともせる事を。そしてまた、どんなに辛く、苦しく、頼りない思いにとらわれている人にも、自分のための木戸番小屋が、必ずどこかで戸を開けて待っている事を。
紙の本深川澪通り灯ともし頃
2001/09/17 00:24
こんな人がいれば
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投稿者:はなきち - この投稿者のレビュー一覧を見る
木戸番夫婦の人の好さ、穏やかな笑顔に優しさ。そこかしこにあったかい空気が流れています。柔らかな文体は時代小説だという事を忘れさせてくれます。悲惨で陰鬱でどうしようもなくなってしまった人達が、そこに行けばあの夫婦に会える、と頼っていくのは、彼らが色眼鏡で人を見たり判断したりしないからだと思います。そして全てを受け入れてくれるから。
まるで親のように。こんな人達がいれば、私もきっと何か事ある度にこの二人の元へ駆け込むでしょう。そして何も訊ねない二人と向かいあって、暖かいご飯と味噌汁を頂いて、明日も頑張ろうという気になる事でしょう。
こんな人は現実にはいない、と思わないで、ただあったかい気持ちになって読んでください。
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