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養老孟司の〈逆さメガネ〉 みんなのレビュー

  • 養老孟司 (著)
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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.0

評価内訳

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紙の本養老孟司の〈逆さメガネ〉

2010/04/02 13:50

山本夏彦と言う共通の教養

14人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

すっかり養老孟司のファンになってしまった。何と言うか「ウマが合う」のである。なんでかな、なんでかなと思っていたら、本書を読んで、そのナゾが半分解けた気がする。なんと、養老さんも、あの山本夏彦のファンだったのである。その証拠に本書の47ページに「亡くなった山本夏彦さんの本に『一寸先はヤミがいい』(新潮社)という本があります」などと書いてある。「たったこれだけでなんで養老孟司が山本夏彦さんのファンだと言い切れるんだ」と思う向きがあるかもしれない。そう思ったキミ、キミは物事の基本が分かっていない。分かる人には分かるんである(笑。山本夏彦というコラムニストは読者を極端に選ぶ。彼の寸鉄人を殺す警句の数々は、人によっては致命傷となりかねない厳しい内容を含んでいる。だから猫またぎといって、人によっては山本夏彦のコラムが登場する数ページ前から気配を察し、一字一句目にすまいとページを丸ごと繰ってしまうのである。だからたいていの人は山本夏彦の本なんか買わないし読まない。逆に、それでも敢えて山本夏彦さんの単行本を手にして読む人は、高い知性と深い教養を身につけた偏差値70以上の人ばかりで、しばしば彼の熱烈な信者である。控えめにいっても彼のファンなのである。

本書を読んで「なるほど、そうかもしれない」と思ったのは「におい」の話である。都市化し、文明化した我々は鼻が退化し「におい」に対して鈍感になっているが、もしかすると意識しない範囲で、なお、我々は「相手が好き」「相手が嫌い」であるという信号を、体に仕込まれた機関から「におい信号」として今も発し続けているのかもしれない。別に言葉としては何も言われていないし言ってもいないのに、なんとなく我々は「あいつは危ない」「こいつとはウマが合わない」と感じるし、その勘は大抵の場合、当たるものだ。「この人、苦手かも」とピンときた人は、かなりの確率で「すごい嫌な奴」である。それに、もしかすると、我々の意識に上らないレベルで「におい」が関係しているのかもしれない。

もうひとつ「そうだよな」と思ったのが、養老さんの「日本という共同体におけるルールというか価値観と、アメリカやイギリス、フランス、ドイツでの共同体における価値観というのは微妙に異なる」という指摘だ。日本は「共同体の構成員になるための試験というか審査は厳しいが、一旦その試験審査をパスすると、彼が共同体(クラブ)の正会員として認知され、死ぬまでその会員から抜けることが許されない一方、死ぬまで仲間として保護される」社会だ。これがバブル崩壊以降、ちょっとおかしくなった。おかしくなった社会はアメリカの猿真似をして「能力主義」「成果主義」を前面に出して共同体のルールの変更を試みたが、そんなもの上手くいくわけがない。日本では今でも企業は一旦採用した社員を解雇することが難しい。どんなに無能でも、どんなにそいつが反社会的な反抗者でも、解雇することが原則出来ない社会である。アメリカのように、藪から棒に「キミを解雇する。15分以内に私物をまとめて出て行け」とは言えない社会である。だから日本では能力主義、成果主義は基本的になじまないし根付かないのである。大学だってそうだ。アメリカのハーバードロースクールは入学者の半分程度しか卒業できない熾烈な生存競争を旨とする学校である。こんな学校、大学は日本には存在しないし、予見しうる将来、存在を許されないであろう。日本では社会の構成員を切り捨てず、なんとか騙し騙し使って、全体の平均的生産性を上げようとする社会なのだ。これは不良債権を抱えず、熾烈な国際競争を勝ち抜き、「日本的良さ」を維持している私の勤務先のような組織に属している人なら痛いほど感じていることだろう(笑。フィンランドの教育がどうしたの、アメリカのボーディングスクールがどうしたのと騒ぐバカが巷に溢れているが、所詮、こいつらは日本社会の落ちこぼれであって、それが悔しくて、なんとか話を自分の都合の良い方向に誘導すべく海外の「自分に都合のよい事例」をそこだけ切り取って主張しているに過ぎない。要するに我田引水なのだ。

社会にとって最も大切なものは信頼であり、だからこそ社会を破壊しようとする不逞の輩(全共闘世代にこの手の人間が多い)は、社会の信頼関係を壊そうとするらしい。気をつけねば!

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紙の本養老孟司の〈逆さメガネ〉

2003/08/29 19:50

古い視点から新しい視点を見る

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:graylittle - この投稿者のレビュー一覧を見る

 タイトルにあるとは、かけると視野の上下が逆転」するメガネのことだという。著者はこう続ける。

 「偏見を持ってみることを、「色メガネをかけて見る」と表現することがあります。」
 「現代社会のひとは、「色メガネ」どころか、「逆さメガネ」をかけてるんじゃないか。私はときどきそう思うのです。」
 「逆さメガネをかけているのは、お前じゃないか。そういわれそうな気もします。どちらがどうかは、どちらが楽か、それで決まるといってもいいと思います。」

 どちらが正しいかが、どうして、楽かどうかで決まるのだろうか。正しいかどうか、その基準を、楽かどうかにしてしまっていいのだろうか。

 たぶん、私も逆さメガネを外せば、それで正しくなるのだろう。

 著者が「どちらがどうかは、どちらが楽か、それで決まる。」と書いたとき、著者は、逆さメガネをした視点と、逆さメガネを外した視点とを、第三者として公平に比べてはいない。著者はすでに、逆さメガネを外した視点をとっている。

 新しい視点を提供するためには、これはむしろ、避けがたい事態だと思われる。まして正しさの新しい基準であれば、必ず起きる事態だ。

 著者はこの本で、要するに、現代人の考え方や価値観を錯覚といっている。私のような考え方がまさに、再考を求められているその考え方なのだろう。何が正しいか、新しい基準を提供しているのだから、古い基準ではそれが間違っているとしか思えないのは、だから当たり前のことなのだ。

 実際のところ本書は、教育や文明に関する有意義な批評だとわたしは思う。本書の内容は、どちらかといえば賛同に値するものだと思われるし、実際、好評を博しているようでもある。

 とはいえ本書をどう評価するにしろ、起こりえないことがある。本書に、理屈づくで説得されるということだ。
 何しろ本書には、「意識で説明できないものは間違っているという間違い」という小題がある。

「それを「肌でわかる」というのです。それはかならずしも理屈ではない。」
 だとすれば、本書の論理的なところを批判するのは、的はずれな批判にしかならない。

 本書に賛同するには、逆さメガネを外さなければならないだろう。理屈はいらない。逆さメガネさえはずせばいい。

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