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学校というのは不思議な場所で、一人一人は心身の発達も家庭環境も違うのに、当人の知らぬ間に同学年に括られて流れ作業のように「均質化」され「品質向上」させられる。私自身を振り返ってみれば集団行動が苦手なのになぜか目立つ役割を振られる事が多くて、褒められたり妬まれたり気苦労が絶えなかったこと、中高時代は精一杯サバイブしていたこと‥黒歴史も含めて次から次へといろいろ思い出した。当時の私‥我ながら本当によく頑張ってたんだな。本書の想定読者は中高生とその保護者や現役学校関係者で、そこにダイレクトに届くのが理想だけど、「教室を生きのびた」ひとりとしてより多くの人々に著者のメッセージが届くことを願いつつ一気に読了。
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あくまで私が子供としてこの本に接したらなんだけど、
「この人、功利主義の看板で私達をぶん殴ろうとしに来てる!!怖い!!」
かな。
編集者の人の癖なのか、著者の癖なのかわからないけど、隠しきれないおじさん構文だし、多分わざと嫌らしく嫌味ぽく書いてると思うけど「あのともゆきって人だっけ?「それってあなたの感想ですよね」って言う」と引用してる所ぐらいから本格的に萎えたかなぁ…
「【情けは人の為ならず】っていうから人に情けを掛けるのはその人の為にならないんだよー?その人の為にも辞めようねー?」って言う大人が少なからず居たけどその雰囲気をずっと感じてた。多分指摘したら逆上して、しなかったら後で逆上するわ…ってなるあれ…
「すまん」を連発する、いかにも年下…まあ著者自身は目上でも謝る時は「すまん」を使うのかも知れないけど。
ただ、私に合わなかっただけで、封建的なコミュニティでのリベラル思考を武器に高圧的な人達にとってはバッチリハマるのかも知れない。
あれ…嫌味になるな…
私に合わなかっただけです。
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もし、私が中高校生の立場で読むならば、この本みたいに若者言葉でタメ口&「俺は大学教授」という上から目線、
もぉ絶対「ムーーーーリーーーー」なんだけど、、、
同じ大人として、筆者が中高校生へ、人間は皆完全じゃない、それをわかって、なんとしてでも生き延びろよ、というメッセージを送りたくて書いたんだなということは、よくわかった。
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堅苦しい『政治』と苦手意識を持つ人にこそ読んでほしい本。学生向けに書かれているから、日常生活に落とし込めるレベルまで具体例が挙げられていて飽きずに読める。
学校、職場、人がカタマリになるとルールも社会も政治も存在していると思う。根本的な考え方や仕組みが見えて、自分がどう向き合うべきかが見えてくる。どこにいっても人は集団で社会の中に生きることになるから、生きづらさを感じたら仕組みから分解するといいかも。
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正しいことを書いてらっしゃいます。
高校生に伝えたいメッセージの内容も、重要で
まっすぐな動機だとわかります。
(以下、ネタバレです。)
1「立派な人間になる」という目標は必要ないから、そんなもん捨てること。
2 友達がいないことは気にするな。
3 僕たちはひとり残らず弱くて小さい。
4 すべての人間は、世界の歴史にたった一度しか登場しない。一人ひとりの人間は史上唯一の存在だからおのおの異なる。でも生き延びるための共通の条件をかかえている。
5 学校なんて、人間が命をかけて行くところではない
6 大切なのは、「誰にも迷惑をかけない人間になること」ではなくて、自分の非力と未熟と無力をきちんと受け入れて、その上で「他者に適切な助けを求める決断のできる人間になること」
(以上)
本当に そのとおり! 若者たちに
届いてほしい。
この著者のフランクな語りかけや、まわりくどい本書の構成のせいで、はっきり言って、ウザい!
良書なのにウザいんです。苦笑
読み切ってくれない読者が多数でる予感ですが、ほんの数パーセントの若者にだっていいから、
響く本でありますように! ・・・と、祈りました。
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「民主主義とは、人が間違えることを織り込み済みの政治の運営方法なのだ。」(262頁)民主主義はやる瞬間の最大風速の計測と理解すれば、決まり事を強く応援し続ける必要もなく、そのプロセスを見届け、記録し、意を唱えた側を励ますなど決定までに関わる態度が重要だと思いました。
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すこし読みづらいが、読んで良かった。
自己決定と自己責任は別。
無力な自分を理解して正しく助けを求めることができるのが、自立。
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図書館新刊コーナーより。
陰キャだった自分にびんびん響くタイトル。
タイトルに学問の名前が入っていることからも感じたが、安直なハウツー本ではなかった。
「こう言われたらこうしなさい」という、わかりやすい行動はほとんど書いていない。
心構えが中心。
「多数決は最大風速」とか、意見を言えない人なりの政治とか、リーダーとフォロワーとか。
「ダメなのはあなたではなく仕組み」というのも、ちょっと救われる。
自己責任は、選択することができた場合にだけ問題になる。
論破して壊すのではなく、意見の重なっているところや分岐点を確認するための話し合いをする。
マウントをとろうとすると、無駄な時間を使うことになりかねない。
ただでさえ、怒ると語彙力貧しくなるし。
立派な人になるためではなく、楽しく暮らすために生きたい。
まえは違ったけど、年齢を重ねて考えが変わってきた。
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学校での誰が決めたか、なんの理由か分からん校則、クラスでの文化祭の提案や多数決やその後のモヤモヤ。口に出さないけど皆、感じている。直接的な解決策ということが書いてあるわけではないけれど、個々やら群衆やらのパワーやバランスが現実的に俯瞰されている内容だった。
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政治 というと、自分の生活からは遠い事のように感じていました。本書を読んで、とても身近な事なのだと学ぶ事ができました。くさらず、できる範囲で出来る事をやっていこうと思えました。
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学生は教室という空間こそ世界であると思いがちで、ここでうまく平穏を勝ち取ろうと処世術を学んでいき日常をやり過ごす。そこから脱落or排斥された者を自己責任だとレッテルを貼って周りが看過してしまう事態はとても悲しい。もちろんその教室は世界の全てではないし、自己責任という優しさの放棄も許しがたい。不平等は無くならないけど、やり直しはいくらでもできる。私たちは完璧ではなく、幾度も人に迷惑をかけてしまうのだから、人に迷惑をかけられても許せるようになればいい。そこに民主制は芽生えてくる。可視化できない心の機微に政治の良さがある。世間での政治に言葉は大切だが、フリップや連呼するワードは発信側の責任の軽さにも通じる。そこに機微はあるのか私は訝しむ。
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なぜ学校でも社会でも、人間関係で打ちひしがれている人がこんなに多いのだろうという疑問があったので、この本を読みました。
人間関係がうまくいかない理由は、「私という存在がダメダメだから」ではなくて、「なぜかそうなっちゃう組み合わせにすぎない」から、と著者は言っています。そう思って肩の力を抜いてみるとうまくいくこともあると。
あと、「自己決定すること」と「自己責任論」をきちんと区別して、無力な自分を理解して、無理なことに関しては正しく人に助けを求める人間こそ、自立した人間なのだろうという所にすごく納得しました。
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政治とは「権力を通じて、誰かの利益になるように他者の行動をコントロールすること」で、「選んで決める」という性質を持っている。
議論や話し合いの目的は、「共有している部分と、別れてしまった部分の確認・記録すること」であるので、変わりうる自分を認められなかったり、論破してしまったりしては、目的から外れてしまっている。
自分の意見を言えない理由は、①自分の経験の範囲を超えている②言い方がわからない③言えないのではなく、「言わない」などがある。それでも、言えない人にもフォロワーとして「ひたすら聞く」「記録する」「言えた人を励ます」などできることはある。
日本では「リーダー」と「上司/キャプテン」の区別はないため、「リーダー」がただの責任者として忌み嫌われてしまう。「トップ」ではなく「仕事の種類」としての
リーダーにとらえなおすことが必要で、「自分たちの状況を理解し、選択肢を考え、選択の結果とコストを提示し、どれを選ぶのか尋ねる」というタスクを言葉を使って表現する機能が求められる。
「自己責任」が問題になるのは、「自由に選択できた場合」のみで、そうでない場合には、問う必要も意味もない。
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何でも自己責任と言われ、子どもの自殺者が増える社会で、政治学者の岡田氏が、今後の社会を担う中高生に、政治や民主主義をわかりやすく考えを伝え、生きていくヒントを与えている。
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『政治学者、PTA会長になる』が面白かった(著者 オカケンの吠える声が今でも耳に残っている…)ので、同じ学校現場関連で本書をチョイス。
PTAでは親御さん世代が対象であったのに対し、今回は(一応)中高生向けに執筆されている。「自分の身の安全を確保し、学校生活をサバイブしてほしい」というのが本書におけるメッセージだ。
学校はいわば社会の縮図。政治学をその小さな社会に当てはめることで、身の回り半径5メートル以内の「安全保障」につながる、というわけだ。
中高生対象なだけあって、今回のオカケンは超ノリノリ!
ほぼ話し言葉だし、まるで階段教室に全国の中高生を集めた臨場感たっぷりの講義を行なっているみたい。(その分脱線したりとまとまりがないように感じることもあったけど)
本文の主役とも言える若人の声・本音はあくまでオカケンが作り出したものだが、言い分はよく分かるしこれでもかとこだましてくる。
何よりもここで大切にされていることは「分節化」だ。
ビッグワード(「社会」など抽象度が高く汎用的な言葉)について、「そもそも〇〇(ビッグワード)」とは何かを分析し、必要とあらば何種類かに切り分けている。
・「友達」→「自分以外の区分け(クラスメート・違う組の知らない人….)」
・「意見を言わない人」→「彼らが意見を言わない理由」
等を列挙・解析することで、大きな壁みたく立ちはだかるビッグワードを見極められるよう促している。ビッグワードを振りかざされるたびに立ちすくむこともなくなったりして。
表向きは中高生向けだけど、中高生だった自分にも今の生活において共感できる点が多かった。「友達100人なんてもってのほか、友達よりも”仲間”を作る方が必要!」の話は心がほぐれる…。
何かを取り決める時(本書では学祭の出し物を決めるクラス会議が引き合いに出されていた)、「みんなの心を一つに!一致団結!」の精神論がもてはやされがちだけど、「仲良くもない人たちに合わせたくない」というのが大体の本音である。
でも人間関係が合わないのは自然なことだし(オカケン…ではなく哲学者フッサール曰く、「なぜかそうなっちゃう組み合わせにすぎない」)、協力する動機なんか正直何だって良い。意見が対立したら損得勘定で対応したって良い。
心の安全さえ確保できれば、それくらいドライでも良いのか。過去の自分に教えてあげたい。
「僕たちは弱くて小さくて助けが必要だ」
「学校なんか命をかけて行くところじゃない」
何のために学校へ行くのかを問われると、悔しいかな親や教師が吐いたような文言しか出てこない。そこで展開される教育の目的も然りだ。
オカケン曰く(二度目の正直!)、その真の目的は「勇気と覚悟をもって自分で考えて決断できる頻度の高い人間を社会に送り出すこと」だという。「生きのびる=正しいと判断したことを実行できる」フィールドが教室でなくても良いのだ。