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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2008.4
- 出版社: 日経BP社
- サイズ:20cm/261p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-8222-4661-7
紙の本
政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年
タテ社会の崩壊による日本人の「変化」と、その変化についていけない日本政治の現状を厳しく、かつ優しく分析したアメリカ人学者の日本観察記。【「TRC MARC」の商品解説】
政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年
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著者紹介
ジェラルド・カーティス
- 略歴
- 〈ジェラルド・カーティス〉1940年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学博士号取得。同大学政治学教授、早稲田大学客員教授。新聞、テレビなど内外のマスコミで活躍。旭日重光章受章。著書に「代議士の誕生」など。
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紙の本
ある知日派米国人が見た日本
2008/05/18 18:32
14人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:カワイルカ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は知日派として知られるコロンビア大学教授。日本の政治研究の分野では世界的に有名な偉い先生なのだが、語り口はじつに謙虚でエリート臭さはまったくない。本書を読み始めてすぐに著者のファンになってしまった。とくに日本での体験を中心に書いてある前半は面白い。
著者がはじめて日本の土を踏んだのは東京オリンピックが開かれた1964年。当時はコロンビア大学の大学院生で、一年間東京で日本語を学ぶのが目的だった。西荻窪の四畳半一間の下宿には水洗便所も風呂もない。夏は快適だが、冬は石油ストーブをつけてもなかなか暖くならない。当時の東京の住宅はまだ粗末で、訪ねた家でオーバーを着て玄関を入ると、「どうぞ、そのままで」というのが挨拶だったという。食事は近所の大衆食堂で鯖や秋刀魚を食べる。夜寝る前に銭湯に行くと、食堂のマスターがいて商店街の店主たちとも知り合いになる。苦労はあったけれども、毎日が刺激的で楽しかったという。
いったん帰国した著者は1966年に博士論文を書くために再来日する。博士論文といっても文献を読みあさるのではなく、衆議院選挙の候補者に密着取材して選挙運動を分析するという型破りのものである。つてを頼って紹介してもらった候補者の自宅に一、二ヶ月泊めてもらう予定が、まるまる一年間になってしまったというから驚きだ。その論文は『代議士の誕生』というタイトルで日本でも出版され、大きな話題となる。
著者の強みはこうした日本での体験にあるわけだが、それは文献をいくら読んでも得られるものではない。日本への知識と理解の深さは驚異的で、こんなことまで知っているのかと驚かされることも多い
後半は今の日本の政治状況の分析とアドバイス。それを大ざっぱにまとめるとこんな感じなる。
日本が欧米に追いつこうとしているときにはうまく機能した政治経済のシステムが、欧米に肩を並べ追い越そうとしたとたんに機能しなくなった。日本は政治経済の制度と構造を、社会の変化に反映するように変える必要があるが、構造改革にはおよそ20年かかる。1995年から2015年までが日本を変える期間だと著者は見ている。すでに半分がすぎているが、日本はどのくらい変わったのか気になるところだ。
著者の日本政治の見方は的確で説得力があるだけでなく、日本人と日本文化への愛情と敬意が感じられ、読んでいて気持ちが良い。著者のファンになったのはそういう理由からである。
紙の本
日本人としての温かなエールを受けたような読後感
2020/09/19 17:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者のジェラルド・カーティス氏は、東京オリンピックが開催された年に来日し、以降、日本との縁に導かれるように日本政治の研究者となって今にいたる。
初来日は24歳、大きな身体で西荻窪の四畳半に下宿して、近くの大衆食堂で鯖や秋刀魚の定食を食べ銭湯にゆく生活を始める。当時の人々にすれば、変なアメリカ人であっただろうし、愛すべきご近所さんだったかもしれない。
その後長きにわたって、政治学者という立場で歴代の総理大臣とまで親しく関わりもし、長く日本を見てきたこの著者のことを実は私は知らなかった。
ただひたすらに「政治」と「秋刀魚」という、普段あまり組み合わせない単語に惹かれて、ただひたすらに軽い気持ちで、この本を手に取ったに過ぎない。
しかし、この本はかなり硬派な日本論であって、一環して、日本の良さと問題点、そして将来への課題が語られていた。
文献からたどるのではなく、現場に赴きフィールドワーク的に日本を見続けてきたジェラルド氏のニッポン論は、初めて日本語で書いたと思えないほど平易で明快。そして、頭でっかちな部分がなく、リアリティに溢れている。