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仏教の本質を一神教と対比させながら、丁寧に解説してくれる対談。初心者にも理解できるよう、分かりやすい比喩を使って面白く語ってくれる。
キリスト教などの一神教は、ある意味単純で分かりやすいが、非合理的。それに対して仏教は、矛盾がなく合理的だが、精神世界を主題としているので、理解するには哲学的な説明が必要で、少し難解な印象を受けました。しかし仏教は、合理的かつ究極の真相が隠されているため、自然科学が発達した現代にも対応できる柔軟性を持ち、今後も継承されていく価値があると感じました。
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ソクラテスとプラトンの師弟が現代に甦り、仏教について対話をしているかのようだ。アドリブに溢れたデュオは躍動的で、ジャズを聴いている心地がする。
イントロは、キリストとブッダの比較論から始まり、ヒンドゥー教も加わって、仏教が相対化される。
大乗教へと論点が深まってゆくにつれて、カント、ウェーバー、ヴィトゲンシュタイン、ドゥールーズ、デリダと、近現代の思想家まで巻き込んでのジャムセッションとなる。
エンディングでは、神が人間になったキリストとは逆に、人間が「覚り」を開いてブッダになったということに着目し、「往生」へ至るプロセスを重視するのが仏教の真髄であると指摘している。仏教が現在を肯定的に生きるための知恵となり、哲学的な意味も蔵していることに気付かされる。
ゆかいでさわやかな対話である。
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仏教全然知らないけどみうらじゅんから入るのもなあって人にはいいんじゃないかな。僕みたいな。対談形式で、ちょっとたまに質問がくどいかなと感じるところはあるけど、キリスト教との対比を軽いノリでやれて、まあ新書が出せるくらいのビジネスになるってのは日本はいい国かな。
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存在とは意識するから存在するものでありいずれ全てなくなるものであり、意識がなければ存在もない、つまり全ては空であるってなんか回りくどくってこんがらがってよくわからないけど全ては心次第なのですね
悟りたいという心を持つ限り悟れないというメビウスの輪
輪廻する限り仏にはなれなず、輪廻のループからどうして飛び出すか?
善行ポイントとは?そもそも善行とは?
尽きない悶々。またそれこそが捨て去るべき煩悩。深すぎます。
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大三郎&真幸の対談3弾目。仏教を部外者視点で橋爪大三郎が受ける形で読み解く。ゆかいな、ということはなく濃い内容が満載のため要約はしづらい。
仏教おいて覚りを得ることが唯一の目標である。個人の内面を追求する極めて個人主義な思考であり、仏陀や僧侶、経への信仰は二の次、手段にすぎないのが一神教との違い。
社会学的にはインドのカースト制(輪廻含む)からの解放という側面が強い。前世から修行を続ければ、何十億年後かには仏になれるかもしれない。
大乗仏教が出てきたのは、出家のみを対象としてきた限界を打ち破るために出てきた。
西洋哲学は「存在」を前提条件に置くが、仏教は「存在」しないことを考える。
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p.38
偉大な数学者たちが、これまでに様々な証明法や定理を発見してきた。
ユークリッドやゲーデルやペレルマンなど。
彼らは数学的な真理を発見したのだが、そこで重要なのは、発見された定理や証明法であって、大数学者たちの人柄や人物像ではない。
ブッダの悟りもこれと同じ。
ブッダその人が、イエスのように信仰の対象になるのではなく、ブッダが覚った「幸せに生きるための真理」の方が、より重要なのだ。
p.42
ユダヤ・キリスト・イスラム教の預言者たちは、神の言葉を人間に伝えるメッセンジャーに過ぎない。
だから、預言者は、他人を救わない。
他人を救うことができるのは唯一絶対の神だけ。
ブッダは、本人を救う。
本人を救う方法を、誰にでも伝えた。
他人を救うのは、ブッダではなく、その人本人なのだ。
ブッダが彼自身を救ったように、一人一人の人間が、幸せになるための真理を覚って、本人を救う。
これが仏教。
p.44
ブッダは人間が、人間のままで、苦しみを乗り越え、幸せの境地に生まれ変わった姿である。
このことに集中している仏教は、したがって、神には関心がない。
仏教は、一神教とは無関係である。
ヒンドゥー教とは敵対関係にある。
政治的である儒教とも違う。
民族の神々を拝む神道とも違う。
仏教は、徹底して合理的で個人主義的な人間としての生き方である。
p.48
仏教は、バラモン教、ヒンドゥー教の中から、それらの教えを否定する形で生まれてきた。
つまり、カースト制度、身分制度を否定したのが仏教。
「生まれによってバラモンになるのではない。
行いによってバラモンになる」
これは、キリスト教が、ユダヤ教の律法主義を否定して生まれてきたのと、似てる。
ヒンドゥー教は、Aという神がBやCやDという神の化身だったりする。この論理によって、ブッダも、ヴィシュヌ神の化身のひとつである主張するようになり、仏教がヒンドゥー教に吸収されてしまった。
ただし、この理屈はインドでしか通用しないので、南伝や北伝の仏教は、そのまま残っている。
インドから仏教は消えたが、後から入ってきたイスラム教は広がった。イスラム教が仏教を駆逐した、という説もある。
p.118
ゴータマ・ブッダの時代から、インドには、哲学マニアがいっぱいいた。彼らは、複雑な思想の構築物を作り続ける。
しかし、ブッダはミニマリストで、そういう構築物には興味が無かった。
ところが、その単純を好むブッダの教えを、インド的な哲学マニアたちが、複雑な構築物にしてしまった。これが、部派仏教。
ブッダは形而上学的思考に走る人々を戒める。
『華厳経』は3世紀頃、編纂された?
『華厳経』には唯識説の部分がある。
p.138
大乗仏教は慈悲を重視するが、それ以前は、それほどでもなかった。
橋爪大三郎は、日本ではルーテル派のクリスチャンであり、アメリカではユニテリアンであり、奥さんが中国人であり、マックス・���ェーバーの社会学をベースにした社会学者であるんだけど。
つまり、どの立ち居地から発言してるか、よく分かるんだけど、大澤は、いったい、なんなのか、意味不明。
大澤の言ってることって、単なる物知り博士のタワゴトにしか聞こえない。
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二人の社会学者の広範な知識に驚いた.仏教についての知識も豊富だが、西洋思想の要点を随所に引用する流れは付いて行くのが大変だ.最後の最後、P362に出てくる次のパラグラフが、仏教をよくまとめていると感じた.”釈尊の覚りがきっかけとなった「覚りをめぐる言語ケーム」というものがある.そのゲームは、ゲームの定義となる「覚り」が空白のままなので、その輪郭が描けないようになっている.だから、このゲームは、どこまでも拡散し、広がっていくことができる.このゲームに少しでも因果的に関わっていれば、それは仏教運動の一部ということになるのでしょう.仏教は、中心に覚りという大きな「空」がある運動ですね.” 大乗仏教を始めとする数多くの宗派が存在する要因を的確に示していると思う.浄土真宗は釈尊の原始仏教とはぜんぜん違うと思っていたが、前記のパラグラフにその答えを見つけたような気がする.
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文句なしに面白い!冒頭にあるように、日本人であれば「仏教」に対して何らかのイメージは誰でもがもっているはずだが、なかなかその内実はほとんど知らない人ばかりではないか。そんな仏教に対して「へぇ!」の連続。強力におススメの一冊。それにしてもこのコンビの碩学ぶりは本当にすごいです。
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ずいぶん前に読みだして、いろいろな本に途中追い越され、やっと本日読了。最初に何が書いてあったかすっかり忘れましたが、仏教の歴史の前半部分、日本に入ってくる前くらいが中心だったように思います。まあ、カースト制の中でブッダがどんな位置づけにあるのかがなんとなくわかった。それで、結局のところ「覚り」とはどういう状態を指すのだろうか。なんだかそれが分からないままのような気がする。私なんかはどちらかというと欲がない方で、買いたいものというと本ぐらいなのだけれど、それでも、食欲とか、睡眠欲とか、性欲とか、そういう生理的なものは持ち合わせている。気は長い方だけれど、イライラしたり、腹が立つこともあるし、声を荒げることもある。なんとなく思っている「覚り」とは程遠い状態だ。「覚り」の境地に達すれば、もっと平穏に生きていけるのだろうか。たぶん、この本よりも、きっと次に出るはずの続編(日本の仏教)の方が自分にはしっくりいく話が多いのかもしれない。期待したい。
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p31 真ん中にある空虚こそがブッダの仕組んだ核心のような気がしてきた。
p67 ブッダが理解しているのは世界ではなく社会ではないか
p117
十難無記
対機説法
p251 「価値ある覚り」とあるが、それでは本末転倒ではないか?価値に振り回されない、善悪を問わない、中庸への通過点を敢えて呼ぶなら覚りとなるのではないだろうか。当選発表までが宝くじであり、それ以降は当選券か紙屑となる。それを同時に観る。喜びにも苦しみにも完全に支配されないためのメソッドが仏教ではないだろうか。
p256 世界は辛うじて成り立ってはいない。そこにある(感じる)様にある(感じる)だけ。言葉(名)は体験に先立たない。それ(空性)を後から奇跡だとか、自分だとか名付ける(方便、法)まではいいが、それに振り回されることが無明。
p258 いつまでも「〜でない」にしかならない=空。違うと思う。全ては〜になりえるから空。
橋爪氏は自身の意見を述べているのか、各論者の代弁をしているのか、よくわからないところがある。
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以前に読んだ、「不思議なキリスト経」に続いての本書
キリスト教の本もそうでしたが、2人の掛け合いは
とても面白く、テンポよく進んでいくので読みやすい
と思います。
ただやはり少し難しい部分があるのと、宗教の枠を
超えて哲学の内容、ソクラテスやカント、ウェーバー、
ヴィドケンシュタインなどいろいろな内容が織り
交ざってくるので、何度か読み返えさないと
理解できなくなるところも多いのも事実です。
また、仏教の初期から龍樹あたりまでで少し密教が
入ってくるくらいの内容なので、仏教が中国に渡り
日本でどういう進化・変化がされたのかは今回は
あまりふれられていません。この部分については
また次回やその後でも対談があれば面白いだろうなあ
と思います。でも次はイスラムかな?
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詳しい人からすると多分ザックリすぎるだろうけど、初心者には他宗教との違いも含め、読みやすくて面白かったです。
ただ、後半の大乗についてがクドく感じられ、これだったら日本に来てからの仏教について、もう少し書いてくれてもいいじゃないかと思いました。
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読書録「ゆかいな仏教」4
著者 橋爪大三郎、大澤真幸
出版 サンガ新書
p76より引用
“ゴータマ・ブッダの教えをひと言で言えば、
「勇気を持って、人間として正しく生きてい
きましょう」。ベタですけれど、仏教の主張
はこうだと思うのです。”
目次から抜粋引用
“はじまりの仏教
初期の仏教
大乗教へ
大乗教という思考
大乗教から密教まで”
社会学者二人による、仏教についての理解
を確認しあった対談集。
仏教の定義から現代仏教への変化と社会と
の関わりについてまで、時に真剣に時に
ジョークを交わし合いながら、楽しそうに語
り合われています。
上記の引用は、仏教についての橋爪氏の一
言。まとめてしまえば一言なのでしょうけれ
ども、この一言を続けて行くのが、辛かった
り難しかったりすることが、何とも多いよう
に思います。
本書の中で、何度も他の宗教との対比が出
てきます。向いている方角が正反対の、宗教
の開祖が、仲良く日々を過ごすマンガがある
うちは、日本は大丈夫そうだと思えます。
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核心部分が空である事が、日本の特徴かと思ってたけど仏教もしくは東洋的発想なのかなと思う
日本辺境論と構造が似てるなと思う
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仏教 ゴータマ・シッダールタがブッダであること 豚とは覚りを得た人という意味
シッダールタがなにかすごい事を覚っとということが第一義的に重要
仏教にはドグマがない ドグマ 教義、独断、神の言葉があって、その中身をみんなで、こういうことだと決めること
仏教の場合、中心に、何であるとも確定できない急遽な覚りがあって、何から何まで、それと関係があるように主張されるので、結果的に、ほとんど収拾がつかない
仏教 北伝、南伝 起源となったインドからはほとんで消えてしまう
ヒンドゥー教はなんでも吸収 一神教化、多神教化わからない
小乗仏教
大乗仏教 それ以前の仏教を、自分の救済や解脱のことしか考えない利己主義で、そのため多くの衆生を載せることができない小さな乗り物、小乗と読んで軽蔑した
大乗仏教の登場こそ、仏教の思想史の中での最大の転換点
仏法僧の三宝への帰依が仏教の共通の特徴
阿弥陀 サンスクリット語でアミターバ amitabha 無量光 アミターユス amitaus 無量寿
菩薩 サンスクリット語 ボーデサトヴァ bodihisatva ボーディ 覚り サットヴァ 生命あるもの