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生存する脳 心と脳と身体の神秘
果たして、人間的営みのすべては脳の活動に集約されていると言い切れるのだろうか。間断なく状態が変化する身体と脳とのダイナミックな相互作用に着目し、自己や意識を解明する。今日...
生存する脳 心と脳と身体の神秘
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商品説明
果たして、人間的営みのすべては脳の活動に集約されていると言い切れるのだろうか。間断なく状態が変化する身体と脳とのダイナミックな相互作用に着目し、自己や意識を解明する。今日の主流である唯脳主義への挑戦。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
アントニオ・R.ダマシオ
- 略歴
- 〈ダマシオ〉ポルトガル生まれ。アメリカの神経学者兼神経科医。現在、アイオワ大学の神経学部長。著書に「神経心理学と病巣解析」がある。
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紙の本
理性も感情も身体の中に取り戻す、デカルトを正す脳科学の試み
2007/02/26 17:29
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
前頭葉を棒が貫通し、性格が変わってしまった男、フィネアス・ゲージ。彼の症例から始め、性格や心、感情と脳、身体の関係を現代の脳科学で説明する。ダマシオの邦訳第一冊目である。彼を有名にしたソマティック・マーカー仮説も詳しく紹介されている。ダマシオ邦訳三冊目「感じる脳」を読み、遡って読んだが、現在手に入らないようなので図書館で借りた。
3部構成になっており、1部は脳損傷の症例、2部は脳と感情の関係の研究、3部は身体と脳、脳と感情の位置づけ、意味づけにおおよそなっている。1,2部は専門的、3部は少々哲学的、といったところだろうか。
「帯」には「唯脳主義を根底から揺さぶり」などとあるが、そんなに挑発的ではない。身体の状態が脳の処理にきちんと反映していることが正常な精神活動だ、とまっとうなことを言っていると思う。「唯脳主義」というよりは、英語の原題の示すように、デカルトの考えからの脱却を科学から書いている、という程度だと思う。しかし、なぜ本のタイトルは「生存する脳」になってしまったのか?
この人はまとめ方は余り上手くないのかな、というのが「感じる脳」と同じくこちらにも感じた第一印象である。専門の話が多くて難しくはなるのだが、話がどちらに向いていくのか、ついていきにくい。おそらく著者の思考がとても早いからだろう。用語についても、専門用語は最新のものは翻訳も固まっていなかったりするので邦訳がわかりづらくなる部分もあるが、それ以上に著者の独特の使い方もある。注意して読まなくてはいけない。
このへんの「読み手のしんどさ」を考慮してか、3部だてのそれぞれの最初に「訳者解説」がついている。ご親切に、とは思うが読むときのリズムをくずすので「あらずもがな」である。あるいは巻末にまとめるとかしたほうが良かったかもしれない。索引がついているのは、三冊目にはなかったのでありがたくは思った。
編集方針も含むこのようないくつかの問題点があって、あまり簡単ではない本書をさらに読みにくくしてしまったと思う。そのせいで現在入手困難、という状況なのであろうか。出版社も三冊目から変わってしまった。しかし内容的には脳の障害と感情・性格の問題に正面から最新科学で取り組んだ本として重要な内容を含んでいる。専門用語の適切な翻訳への変更も含め、編集をしなおしてもう一度邦訳を出版して欲しいと思ったので、あえて書評を書かせていただいた。
紙の本
日本経済新聞2000/3/19朝刊
2000/10/21 00:17
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:茂木 健一郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私たちの前頭部にある脳の領域(前頭前皮質)は、推論や意思決定のような私たちのもっとも高次の認知プロセスを司っている。事故で前頭部を鉄棒が貫通してしまったゲージという名前の患者は、倫理観や計画性を欠いた人間に変貌してしまった。デカルト風に言えば、理性を欠いた人間になってしまったのである。
それでは、前頭前皮質は、デカルトの言う理性の座なのか? ダマシオは、そうではないと主張する。なぜならば、前頭前皮質で推論や意思決定が行われる際には、ダマシオが「ソマティック・マーカー」と呼ぶ、自分自身の身体の状態に関する情報が重要な役割を果たしているからだ。
身体状態に関する情報が、「何となく虫が好かない」「一か八かやっちまえ」といった方向付けを提示し、それに基づいて我々の「理性」的な判断は行われているというのである。とすると、理性は、私たちの感情と切り離せないし、脳は、私たちの身体と切り離せないことになる。理性と感情を切り離し、脳と身体を切り離したことが、デカルトの——そして、デカルトに影響を受けた一部の科学者の——誤りだということになる。
ダマシオの、理性と感情、脳と身体を統合して見るべきだという主張自体は、さほど新しいものではない。味わうべきは、彼の、時には難解、時には晦渋とさえ言える文体である。この晦渋さは、ダマシオが、コンピュータ、あるいは情報処理というメタファーを安易に使わずに心と脳の関係を説明しようと試みている点に起因する。脳をコンピュータとして見れば、明快な議論を展開できる。しかし、その明快さの裏に、多くの取りこぼされた問題がある。ダマシオは、それを拾おうとしている。
本書でダマシオの拾い上げたものの中に、私は心と脳を考える新しいパラダイムの萌芽を幾つか見ることができた。ダマシオが何を言おうとしているのか、ゆっくり考えながら読むべき本である。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000