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商品説明
百面相の女芸人・お葉と暮らす女衒の清蔵。ある日、家に戻ると次々と奇怪な出来事が…。熟れた桃の匂いが怪異を呼ぶ表題作のほか、亡父のトランクから現れた奇妙な「遺品」の謎を描く「尼港の桃」など、幻想と官能の8篇。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
桃色 | 5-10 | |
---|---|---|
むらさきの | 11-18 | |
囁きの猫 | 19-32 |
著者紹介
久世 光彦
- 略歴
- 〈久世光彦〉1935年東京都生まれ。東京大学文学部美学科卒業。東京放送を経てカノックスを設立。演出家。「聖なる春」で芸術選奨文部大臣賞受賞。著書に「陛下」「謎の母」ほか多数。
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紙の本
噎せ返るような桃の香り
2003/03/02 16:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:亜李子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
A5判の厚さに比べてずっしりとしたこの本の中には、腐る直前の最も熟した桃の香りが篭められている。
題名の通り『桃』を題材にとった短編集なのだが、どれもがどれも、一筋縄ではいかない物語ばかりである。
現代の作家の作品は消費されるばかりで、しっとりとした重みのあるものはない、と思っていたが、久世氏に出会いその考えは払拭された。
久世氏の文章は、そこはかとない官能的な香りが漂ってくる。初めて読んだ氏の作品は『陛下』だったが、それにも同じことを思った。
何の変哲もないような場面の文章なのに、目尻を赤く染めたような妖しさが含まれている。三文小説のそれとは一線を画す文章を綴っているというのに、何気なさでそれになかなか気付かせないのも魅力的だ。
猫のようなしなやかな優雅さが文章で現される奇跡をここで発見した。
脳内にまで侵入してくる桃の香に、狂わされる短編集である。
紙の本
「活字のエロは不滅。僕はもともと映像や写真じゃそんなに感じないもの」とのたまう著者による、とびっきり官能的で妖しい短編小説集。
2001/08/24 12:54
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
沢田研二が光源氏を演じる『源氏物語』のTVドラマ化のとき、久世さんが演出を担当した。そのときに「その青筋が浮いたふくらはぎが美しいから撮らせてほしい」と久世さんがいしだあゆみに請うた…という話を聞いて、私は、そりゃ相当な人だなと思った記憶がある。
久世さんのことは、雑誌「BRUTUS」でエッセイを連載していたときから気になっていた。忘れられた人を艶のある文章で紹介したりしていた。神戸で死んだ夭折の詩人・久坂葉子を知ったのもそのエッセイである。久世さんは、女の名なら「葉子」「お葉」が断然いいとも書いていた。
その「お葉」という名が、本書の最後の作品に使われている。 女を売り買いするだけでなく、買ってきた親元と廓の主の間に面倒が起こらないように気を配ったり、女に男を扱う心得や手管を教え込んだりする女衒の仕事と、性質の悪い客から取り立てを行う始末屋の仕事を兼ねた清蔵という男が、商売物にせずに家に置いてやってもいいと思ったのが「お葉」なのである。
その女がいなくなったあとに、腐敗の始まった大きな桃が残されていた。皿の上に「丸坊主の女の首のように載っていた」という表現にぞくりさせられる。この桃が肺病を病んで死期の迫った清蔵に、さまざまな女の幻影を見させるのである。
全部で8篇が収められているが、ほとんどに桃のイメージやそのものが素材として使われている。品のいい表紙装丁も桃の色のグラデーションや花をモチーフにしている。立ち昇るような官能的な桃の匂いを閉じこめた文体を象徴している。
本文には各篇ごとに中扉が設けられているのだけれど、そこには建石修志の鉛筆による丹念なイラストレーションがあり、リアルなのにシュールなような妖しげな雰囲気をたたえている。内容と装丁が、これほど見事に融合して世界を作り上げている本も珍しいと思った。
最初の「桃色」という掌篇は、わずか3ページしかない。3ページしかないのに、亡くなった父が母でない美しい女に入れ込み、腹上で心臓麻痺を起こし家に運び込まれたときの様子、女がそっと葬式に現われた様子、特異な喪服を身につけた女が暴漢たちに襲われるさまを少年時代の私が恍惚として眺めていた様子がきっちり描かれている。女と少年のその後については、読者の想像にどうぞとばかりに託されている。
「男女の機微というもの、どれだけ分かっているかな」−−久世さんの書く官能小説には、試されてしまう気がする。
このなかでは、震災のどさくさにまぎれ廓を抜け出した遊女ふたりが、お遍路の格好をして片方の故郷をめざす「同行二人」という話が私は好きだ。故郷に帰りたいという小春は梅毒に冒されている。ふたりには、共通の男性の思い出がある。
醜いもの、汚いものも出てくるのだが、修羅場と極楽がひとつのものの異なる位相であるように、すっと推移していくところにはまっていく。
「−−この世は、一人遊びの百面相である」
という記述が、最後の「桃 −−お葉の匂い」にある。遊びと本気の間をわたり歩いてきた達人が書けることだ。
紙の本
原稿用紙でわずか6枚という掌篇で、読者を唸らせる初の短篇集
2000/07/09 17:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る
久世光彦は、ぼくが最も高く買う現代作家である。何に痺れるのか。まずその「文体」である。「もしそれが、ある玄冬の夜、秘かに行なわれた焚書の炎の中から、何者かによって盗み出された一冊の書物だと言われても、私は信じたろう。あるいは、この国の何千年の王たちの間だけに伝わる秘儀の書が、ある春の朝、何処からともなく白昼の光の中に転げ出たのだと、誰かが私の耳に激しく囁いたとしても、私は些かの疑いを抱こうとはしなかったろう。ーー私と「眉輪」との突然の出会いは、そんな風だった」。これは、野溝七生子(1897〜1987)が70余年前に書いた幻の長篇歴史小説『眉輪』(展望社)に寄せた久世光彦の文章、冒頭の一部である。彼は小説やエッセイはむろんだが、こうした文章でも、決して手を抜くことはなく、文章に魂を込める。そうした文が人の心を打たぬ筈はない。短篇集『桃』は、久世光彦、初の短篇集である。桃をモチーフにした短篇が多いのでこの題にしたのだろうが、久世光彦らしい良い書名だと思う。「桃色」から「桃ーーお葉の匂い」までの9篇は、1996年から年2作のペースで、主に『小説新潮』に載せたものだが、中には冒頭の「桃色」のように、400 字詰め原稿用紙でわずか6枚というものまである。こうした掌篇で、読者を唸らせる作家など古今東西、滅多にいるものではない。ストーリーはこうだ。女の家で死んだ父親の通夜の日。17歳の「私」は3歳年上の姉に促され、父親の女と思しき30歳ちょっと過ぎの人に、「記帳、していただけますか?」と声をかける。「女は顔を上げてフッと笑った。襦袢の襟が薄赤かったのは、夕日のせいではなかった。女はほんとうに桃色の襦袢を、喪服の下に着ていたのだ」「社殿の裏の暗がりで女を俯せて押さえつけ、代わる代わる後ろから乗りかかっているのは、町で札つきの不良たちだった」「誰も、何も言わない。女も何も言わない。女の白いお尻がもどかしいくらいにゆっくり揺れ、その周りにからみついた桃色の長襦袢がフワフワと揺れ、秋の匂いのする風が境内を吹き抜ける」「水屋の蔭にうずくまって見ている私の背中が、何だか重い。誰かを背負ってるみたいだ。ーー父だろうか」「喪服の女と、目が合った。上目づかいに私を見て、女はフッと笑った」「もう、五十年も昔の話である」。まさに久世光彦ならではの世界で、われわれは彼の官能的幻想譚にはまるのである。