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紙の本
小松左京による日本文化論・日本民族論
2016/02/21 18:02
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投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
SF作家小松左京が1970年代半ばに書いた、日本文化の特に成立に関わる影響についての論文。もとは三菱グループの雑誌に掲載されたものだそうだ。当時の三菱グループの人たちは、こういった文化評論を好んだのだろうか。多分、そんな時代だったのだろう。それに、1970年に開催された大阪万国博で、三菱グループは三菱未来館で参加していたのだから、万博のプロデューサーの1人であった小松左京とは何らかの繋がりがあったのかもしれない。
話は縄文文化と弥生文化の成り立ちから始まり、宗教の問題、言語の問題に加え、日本文化に世界が影響を与えながら完全には取り込まれなかったという話や、民族と文化、文明の問題といったことが、一見取り留めもなく並べられている。だが、そのどれもが日本文化とか日本人といったのもを考える時の思わぬ視点を提供してくれる。
縄文文化と弥生文化がかなり異なるものであり、そこには大陸からの民族移動が関係があるというのは何度も繰り返されている節だが、そこに大陸の権力者の興亡まで関連付けるという話を寡聞にして知らなかった。
宗教についても、世界の様々な宗教が日本に入り込んできていたことは知らないでもなかったが、はるか古代にすでにキリスト教まで入ってきていたかもしれないなどというのは、単に小松左京の想像とだけでは言えないものがありそうだった。
日本語のルーツを探す時、素人はつい現在自分達が使っている言葉としての日本語で考えてしまい、中国語などが比較的近い言語であるかのように思ってしまう感がなくはないが、思わぬところであるトルコやモンゴルなどというアルタイ語族が近いということを例証しているのを読むと、なるほどと思ってしまう。
このように日本文化は決して単純に、単独で成立したものではなく、古くからの世界の様々な人間の移動やその影響から成立したものだということはわかるのだが、そこで単純に一方向的に影響を受けただけではなく、取捨選択されていたのだという指摘も目から鱗といった感じだ。
こうしたことはきっと、小松左京が常日頃考えつづけ、生涯にわたって考えつづけたことの一つなのだろう。そして、ここで考えられたことの一部が小説化された時に、あの『日本沈没』になったのではないかと思わせられる。
そして何よりこれが、40年近く前に書かれたものだというのが不思議でならない。今読んでも十分通用するのではないかと思うが、それは日本文化論や民族論を素人が読んだからというだけのことだろうか。
ともかく、それだけ、小松左京という人はすごい人だったのだ。
2015年7月5日記