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紙の本
「動乱の中の王妃」から改題された本と「秘苑の花」との関係
2023/12/31 20:33
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
元々昭和43年に講談社から刊行された「動乱の中の王妃」を方子女王の意向で改題して従妹の大谷智子裏方の序文を「お東騒動」の絡みで?従妹の秩父宮妃の序文に変え、伊都子妃のあとがきを外して刊行時点の追記を加えて写真も色々と変えているが本文は同じ。よく「過ぎた歳月」として紹介されるのは「動乱の中の王妃」を韓国で写真製版した版下を使った本。
本田節子の「朝鮮王朝最後の皇太子妃」にあるように実際はゴーストライターが執筆している。どうやら講談社が保管していた方子女王の日記を使っていたようで今となっては焼かれて存在しない日記からの引用文がある。
なので「李方子妃殿下が執筆された有り難い御著書」と有り難がるばかりでも、おやっと思ってしまう。
「歳月よ王朝よ」と違って張赫宙の「秘苑の花」に辿れそうな個所はそれほどないが英王李垠の婚約者となった閔姫という女性については明らかに「秘苑の花」に辿れる。伊都子妃の「三代の天皇と私」も「秘苑の花」を下敷きにしているのは確実なのに何故「秘苑の花」との関係を誰も論じないのかが不思議でならない。「秘苑の花」が稀覯本だった頃はともかくとして新組で復刊されても植民地時代の韓国人が執筆した日本語文学史か在日コリアン文学史について関心がないと出て来ない張赫宙という作家の存在を知らないからだろうか?
もっとも「秘苑の花」を読んでいるのに新しく本が出ると参考文献目録すら言及しない人がいるけれど。
「歳月よ王朝よ」に書かれている昭和初年の外遊や戦時下の淑明女学校の生徒達が李王家東京邸を訪れた時の記述が「流れのままに」にはない。これらは「秘苑の花」に書かれている内容と合致する。