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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:1986
  • 出版社: 文芸春秋
  • レーベル: 文春文庫
  • サイズ:16cm/365p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-16-711210-3
文庫

紙の本

槍ケ岳開山 (文春文庫)

著者 新田 次郎 (著)

槍ケ岳開山 (文春文庫)

税込 639 5pt

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みんなのレビュー8件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (2件)
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  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (1件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

豪快にして爽快、新田文学の真骨頂

2010/01/08 17:38

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 文化10年(1813年)、富山藩に一揆が起こった。米問屋玉生屋の手代岩松は、一揆弾圧のため派遣された足軽から百姓を守ろうとして槍を奪い、もののはずみで足軽を傷つけると同時に愛妻おはまを刺殺してしまった。やけくそになった岩松は、打ち毀しの先頭にたって暴れまくった。
 藩の徹底的な武力弾圧が始まった。岩松は、一揆の首謀者の一人徳市郎の子の徳助を連れ、僧形に扮して藩外に脱出した。道中、薬売りに扮した弥三郎と道連れになる。玉生屋の同僚弥三郎は、とっさの機転で米蔵を開放し、家屋を破壊から守ったのだが、岩松とともに主の久左衛門から訴えられたのである。
 国境を越えて飛騨に入り、高原郷は本覚寺に到着した。弥三郎は、旧知の椿宗和尚に岩松たちを預けて去った。ここで出家の腹を決めた岩松は、徳助とともに上方へむかい、宝泉寺の見仏和尚のもとで4年間厳しい修行した。その後一念寺へ移り、戒名を播隆と変え、ここに僧籍を置いた。しかし、檀家を大事にする寺の方針に飽きたらず、1年後に念仏僧として旅立つ。そして、8年ぶりに本覚寺へ戻り、近在の笠ケ山再興を志した。140年まえに円空上人が開いた山である。思い立って3年後、ようやく頂上に立った。壮大な落日のうちに死の寸前のおはまを見た。播隆こと岩松だけではない、同行の村人たちもまた如来の御来光をまのあたりにしたのである。

 ここが前半のヤマで、槍ヶ岳開山が第二のヤマになる(序章で先取りされているけれども)。
 そして、播隆の行脚(飢饉の村における危難もある)、名高くなった播隆を利用しようとする事業熱心な僧侶あるいは武士(名利を求める弟子)、播隆と接触を保ちながら商人としてのしあがっていく弥三郎のいわくありげな行動(最後に謎が解き明かされる)、来迎の科学的解明(高野長英が登場する)、亡妻おはまにそっくりの柏厳尼との交情。

 じつに入り組んだ筋立て、多彩な人物像である。僧侶が主人公なのに、ちっとも抹香臭くない。自然または旅の中に身を置き、修行に徹するストイシズムのゆえか。剛毅木訥仁に近し。そして、新田文学に特徴的な、山の清新な匂いが本書にも満ちている。
 要するに、本書は、豪快にして爽快、新田文学の真骨頂をみせる小説だ。
 誤って殺害したおはまがフラッシュ・バックのように繰り返し再現される。単調に流れない工夫だろうが、少々くどく、いささか感傷に流れて作品の力を弱めているのが惜しい。

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紙の本

江戸時代末期に槍ヶ岳への道を開いた人がいた!

2007/09/25 00:45

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:MtVictory - この投稿者のレビュー一覧を見る

 江戸時代末期の天保年間、槍ヶ岳山頂(標高3,180m)に祠を納め、道を開拓し、登山を容易にするための鉄鎖を懸けた僧侶がいた。それが播隆である。百姓の生まれで元は越中八尾の商家の番頭であったが、百姓一揆に荷担し、そのどさくさで誤って妻を刺殺。故郷を捨て、罪の償いのために僧籍に入る。開山のために奔走し、苦悩に満ちた播隆の一生を描く。
 播隆の名は深田久弥の「日本百名山」などで日本アルプスの先駆者として読み知っていた。
 岩松(のちの播隆)は妻・おはまを誤って殺めてしまってから僧になり、笠ヶ岳や槍ヶ岳に登ることでいつかおはまに許してもらえるような気がしていた。笠ヶ岳再興や槍ヶ岳開山への執念は全てそこから来ていた。
 常に彼を責める死の直前の妻の目。笠ヶ岳再興を果たしたその山頂で見た阿弥陀如来の来迎が、その後の彼を突き動かしていった。
 私も考えることがある登山と精神世界の関係について、本書で新田氏は書いている。
・笠ヶ岳再興を実現した播隆が村人にこう話す:
 「(略)山へ登ることが瞑想に(精神統一に)近づくことのできる、もっとも容易な道のように思われました。山の頂に向って汗を流しながら一歩一歩を踏みしめていくときには、ただ山へ登ること以外は考えなくなります。心が澄み切って参ります。登山と禅定とは同じようなものです。(中略)登山はけっして苦行ではなく、それは悟りへの道程だと思います。」
・また、槍ヶ岳開山を果たした後、天保の大飢饉の最中にも:
「山を登ることは人間が一心不乱になれることです。(中略)悟りに近づくことのできるところなのです。悟りとはなにごとにも心が動かされなくなることです。死をおそれなくなることです。」
 登山と宗教、伝記をうまく結び着けた、実に興味深い小説であった。
 ところで、播隆が笠ヶ岳や槍ヶ岳山頂で見た”阿弥陀如来の来迎”について高野長英と話す場面がある。長英は蘭学者らしく科学的に、それが自然現象であると説く。これは西洋では「ブロッケン現象」とも言われているものだ(西洋では妖怪の悪戯と言われていた)が、昔の日本人はこれをなかなか見ることが出来ない、ありがたいこととして捉えたわけである。

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2006/08/27 20:44

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2007/02/18 00:29

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2008/05/11 21:32

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2011/06/26 13:58

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2011/09/14 20:06

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2023/09/13 06:06

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