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紙の本
昭和テイストと言うのか・・・
2022/08/21 20:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:koji - この投稿者のレビュー一覧を見る
本作は吉敷竹史シリーズの2作目です。
列車の乗り継ぎや時刻表(って今でも売っているのかな?)を扱った
トラベルもののミステリでした。
内容はそれなりに入り組んでいるのですが、島田氏の書きようが巧みなせいか
非常に読みやすくてスッキリした印象が残りました。
発表からはもうすぐ40年ほどになりますので社会の状況というか
日常生活で使う道具自体が現在と大きく変わっているので
若い人が読むとちょっとわからない状況や表現もあるようには思いました。
みょうにに奇を衒ったようなトリックもありませんし、
もちろんジュフリー・ディーヴァーのようなどんでん返しもありませんが、
十分面白くて楽しめた作品でした。
あと書影を上に上げていますが、
私が手に入れたものではカバーイラストを村山潤一氏が描かれており、
これがまた角川文庫の横溝正史ものほど灰汁は強くありませんが、
いかにも昭和的なイラストでなかなか良いと思っています。
紙の本
出雲伝説にからんだ殺人事件
2002/01/13 22:55
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:格 - この投稿者のレビュー一覧を見る
八岐大蛇の伝説をなぞったように、死体を8個に切断され、出雲方面の駅でバラバラに7つだけ発見される。表題の7/8とはそういう意味だ。時刻表のトリックは簡単に分かるもの。なぜ、吉敷だけが単独に思いつくのか意味不明。もっとも、第二弾目のトリックはさすが。
『涙流れるままに』の感動を逆上ろうと吉敷シリーズを初めから読み始めたのだが、単なるトラベルミステリーが続く。まあ、旅は嫌いではないからいいようなもののがっかりといえばかっかり。かなり詳しく解説される出雲伝説がまさしくミステリーの核心をなしており、そのあたりは楽しめる。もう少し続けてみよう。
ブルートレインの個室に載ってもあまりリッチな気分になれない、というのは本当だったのだろう。私も昔、出雲に載ったことはあるが、(個室ではないが)、まあ、リッチとはほど遠い感覚ではあった。もっとも今の豪華なブルートレインならどうなのだろうか。
人体を切断しても、『心臓が停止してしまうと、殺した直後でもそう出血の量は多くない』というのは本当か。そうではない場面を書いていた小説も多くある気がするが…。
紙の本
幻想を見せるのが奇術師であり、幻想を読ませるのがミステリ作家である
2001/05/29 03:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:春都 - この投稿者のレビュー一覧を見る
女性のバラバラ死体が、山陰地方を走るローカル線の6つの駅と、大阪駅に流れ着いた。しかし女性が乗っていたと思われる個室コンパートメントに犯罪の痕跡はない。
休日旅行でたまたま事件に遭遇した、警視庁捜査一課の吉敷が捜査を進めるうち、山陰は出雲地方に伝わる「八俣の大蛇伝説」との関わりが見え隠れしはじめる。
この作品が書かれたのは、トラベルミステリーがおおいに盛り上がっているときだという。まぎれもない本格ミステリの傑作でデビューした島田荘司が、社会派全盛時には同じく社会派(風)の作品を発表したように、これもまた言ってしまえば「反抗心」から生み出されたものと言えるのだろうか。いや、よくはわからないんですけど。
社会派ミステリー、トラベルミステリーと舞台を変えながらも、その根底に変わらず「本格スピリット」を持ちつづけた彼のこだわり、意地といったものがひしひしと感じられる。
古事記の出雲伝説と「八俣の大蛇」絡んだストーリー、またバラバラ死体が異なる7つの駅に流れ着くという冒頭。本格の魅力と彼が語る「発端の奇抜さ」が、あれよあれよと読者を引き込むのだ。
そして島田荘司ならば真相において必ず、幻想のハンカチをさっと取り去り、より魅力的な謎の解明を行ってくれるであろうと、一気呵成に読み進めてしまう。泡坂妻夫が例えたように、島田荘司は「かっちょいい奇術師」として、やはり本格の舞台に立ち続け、魔法のようなミステリを生み出してくれているのである。
ところで泡坂妻夫といえばもうひとつ、時刻表を用いたトラベルミステリーの魅力に気づかせてくれた彼の解説が良かった。
曰く、「普通のミステリーの面白さが『怪事件の種明かし』であるなら、トラベル・ミステリーは『怪事件の解説』と言っていいだろう」と。
泡坂妻夫はこの「怪事件」を「奇術」と置き換えて、上手くトラベル・ミステリーとはなんたるかを説明している。
つまり種明かし=普通のミステリーならトリックや不思議を推理によって解き明かし、観客に納得させればいいのだが、解説=トラベル・ミステリーではそれだけですまないということ。
テクニックはさておき、解説の通りに行った観客にも同じことができなければ、解説とは、つまり「現実の時刻表を使った」トラベル・ミステリーとは言えず、そして現実と密接しているというリアリティが読者を小説世界に引き込むのであると。これには目から鱗が落ちた。
ただ、鱗は落ちたものの、あいかわらず「時刻表」および「列車発着時刻の記述」ならびに「アリバイ検討の数字」に弱い僕にとって、いや、弱いどころか最初から流し読み飛ばし読みしている僕にとって、いまだ時刻表ものトラベル・ミステリーの壁は高らかにそびえたったままである。吉敷竹史が、島田荘司の作品と文章が好きじゃなかったら、正直言って途中で投げ出していただろう。
ただし途中で投げ出してしまったら、ラストあたりで犯人が心理的に追い込まれる場面の、思わず『暗闇坂の人喰いの木』を思い出したほどの鮮やかで迫力のある筆致を味わえなかったわけだ。あぶないあぶない。淡い心情を穏やかに描きだす、レオナ・通子関係の文章も大好きなのだが、やはり「筆力」という言葉を浮かべずにはいられないこういったところを外して、島田荘司を語ることはできない。
御手洗と吉敷、どちらのシリーズを読みたいかと今問われたら、僕は迷わず「吉敷竹史&通子」と答えるだろう。かっこええ〜(ミーハー)。