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農場の少年 (講談社文庫 大草原の小さな家)
農場の少年 大草原の小さな家(5)
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紙の本
アルマンゾの従順な少年時代は、結婚後にどういう影響を及ぼすのか。
2011/08/10 16:47
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きゃべつちょうちょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
五つ星をつけながらも、最初にすこしだけ文句を言いたい。
「農場の少年」は読みにくかった。
この本は、後にローラの夫となるアルマンゾ・ワイルダーの少年時代の記憶である。
アルマンゾとローラはまだ交際に至らず、のみならず、ローラはまったく登場しない。
考えてみてほしい。いい加減インガルス一家に感情移入してきたところで、
延々と一家とはさっぱり関係のない少年の話を読む苦痛を。
たとえば知り合いの配偶者の話(ゴシップでもなんでもない単なるむかし話)を
長時間にわたって聞かされるようなものである。
まあこれは、「農場の少年」それ自体に問題があるのではない。
まして、興味を持って読み進めない読者側に問題があるのでもない。
読む順番が問題なのだ。
作者であるローラは、「農場の少年」を、シリーズ第二作として世に送り出した。
しかし講談社文庫では「農場の少年」は第五巻に位置づけられている。
これには事情があるのだが、ここでの説明は控えさせていただく。
さて、この知り合いの配偶者がとんでもない暴れ者で武勇伝をいくつか持っているとか
まれにみる変り者で行いがとてもめずらしいとか、そういった特色があれば
惹き込まれる要素もあるというものだが、
アルマンゾの場合にいたっては、ごくごく普通の、いや、まじめすぎるくらいまじめで、
両親に反抗することなどもなく、ひたすら農場の手伝いをする子どもであった。
唯一、スリリングなシーンといえば、両親の留守中にきょうだいで家を守っているあいだ
ちょっとしたいたずらをするところぐらいだ。
ニューヨーク州の北部にあるワイルダー一家の広大な農場には、
馬、牛、豚、にわとりなど動物も多数いた。
とくに父親が熱心に世話をしていた馬のスターライトは
毛並みがよく、おとなしくてりこうな子馬だった。
スターライトはアルマンゾの憧れでもあった。あんな馬をはやく飼い馴らしたい。
しかし父親に、厳重に注意されていたため、近づくこともままならなかった。
(彼が、父親にとても従順だったのは、前にも述べたとおりだ)
アルマンゾの家では、冷凍のできる冬になると牛や豚など家畜を屠る。
父親が豚の肉を切り裂き、臓物を取り出すと、母親はその脂肪からラードをつくる。
牛の皮は、靴にするために一枚のまま、ていねいにはぐ。
切り分けられた肉はハーブなどをいれたつけ汁に漬け込まれたり、塩漬けにしたり、
細かくひいてひき肉にしたあとスパイスや塩を混ぜてボウル状に丸められたりする。
これをクリスマスのごちそうに使ったり、ソーセージとして朝食に食べたり、
とにかく冬じゅう、肉が食べられるというわけだ。
厳しい冬、エネルギー源となる肉を蓄えて食べるというのは昔の知恵でもあったのだろう。
現代のアメリカでは農業に従事する国民はわずか二パーセント程度らしい。
しかし、酪農はさかんである。畜産業もさかんである。
ゴールドラッシュ以来、牛肉の需要が高いためだ。
そして大陸横断鉄道の開通も、テキサスからの牛の北上を発展させた。
家畜はもともとコロンブスがヨーロッパから西インド諸島に運んだ。
このときのわずかな動物の上陸(牛に至っては数頭)が、メキシコを経て300年ののち、
アメリカの農業革命ともいえる畜産業へと発展していくきっかけとなったとされる。
ニューヨーク州は、ウィスコンシン州、カリフォルニア州についで
国内で第三位の酪農州である。(2002年現在)
アルマンゾのように、自給自足と家畜が結びついた時代はもう遠い日のことだが、
解体された牛の肉の最も身近な行先は国民食ともいえるハンバーガーだろう。
アメリカでは年間50億個以上のハンバーガーが食され、毎秒一頭ぶんの牛が屠られる。
ミルクの出なくなった牝牛や、生まれて間もない牡牛はすぐ食用にまわされるそうだ。
肉と聞けば、もはや発砲スチロールのトレイにパックされた枝肉しか思い浮かばない。
それらを普通に買ってきて調理し食べているが、部位についてのくわしい知識はない。
100年以上も前の、アルマンゾたちが食べていた肉と、わたしの家の食卓にのぼる肉は、
味そのものというより、味わい方が決定的に違うのだろうと思う。
アルマンゾはかわいがっていた子豚のルーシーを、おそらく何年後かに食べただろう。
家畜と人間の関係は、歴史も古く、その絆も深い。
自分の生活を向上させるための、いわば運命共同体といってもいいかもしれない。
しかし、家畜が仕事をまっとうしてくれたとき、それを食するとき、
アルマンゾに感傷はあまりない気がする。
家畜は遊びで育てているわけではないと幼いころから肌で感じているからだ。
この本のさいごの章では、アルマンゾは早くも人生の岐路に立たされる。
わずか10歳で、町の馬車屋から馬車職人の見習いにスカウトされるのだ。
母親は頭ごなしに猛反対(このあたり、ローラの母親とまるで違う。
嫁いでからのローラの嫁姑関係が気になる)するが、
父親はあくまで、本人が決めることだと、アルマンゾ自身に考えさせるのだ。
10歳の男の子に、こんな一大事を決めさせるなんて、ある意味で乱暴だが、
父親がアルマンゾを、すでにひとりの男として認めている証拠でもある。
アルマンゾの家ではすでに兄が、学校を卒業したら町で商人になりたいと言っている。
そんな兄のことも視野に入れつつ、幼いアルマンゾは、
はたして自分が農場を出ていくべきなのか否かを自分に問う。
そして気持ちはもう決まっていることに気がつき、
どんな言い方でそれを表現すればいいのか、今度はそれを考えるのだ。
すなわち、父の言うように、町へ出ることは誰かに使われることだ、
だけど農場主は一国のあるじだから、すべて自分の思い通りにできる。
アルマンゾは、農夫になることを、主従関係からの逃げにしたくなかったのだ。
そして小さな男の子は、つぎの言葉を口にした瞬間、急に大人びていく。
『父さん、僕がほんとうに欲しいものは、子馬なんだ』
両親が笑顔になったのは言うまでもない。
父は答えた。
『子馬が欲しいなら、スターライトをやる』
スターライトというのは、父が丹精込めて育てていたうつくしい子馬だ。
アルマンゾはいつもスターライトに触れたかったのに、
父親は子どもがさわると使い物にならなくなる、と絶対にそばに寄らせてくれなかった。
アルマンゾは、ついに子馬を扱える資格を得たのだった。
経営者や職人などの世界で、子どもが後継していくというのはよくある話だ。
幼いときからその仕事に触れ、手伝いもし、場の空気を吸っていくうちに
微妙な、技術以前のだいじな知識がいわば毛穴から入っていくのだろう。
アルマンゾがローラと結婚し、農場主になったとき、
両親から体をつかっておぼえたことがきっと生きていくのだろうし、
読者であるわたしたちにも、この「農場の少年」を読んでおいてよかった!と
思わせてくれるに違いない、と期待する。
紙の本
食と住から。
2023/12/30 10:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うりゃ。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本文もそうだが、この巻はあとがきと解説が特におもしろく感じた。
あとがきでは『農場の少年』、アルマンゾの富裕な家庭ぶりを食の面から描き、暑い最中の草刈りに飲むエッグノッグのレシピがイラストつきで載っていたりする。
解説は「大きな森」と「大草原」で、父さんが手作りする丸木小屋の構造が図解されていて、イメージがとてもしやすい。