「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
本格探偵小説の良作
2002/02/28 23:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:キイスミアキ - この投稿者のレビュー一覧を見る
貴族の夫との離婚を決意した富豪の娘は、気の塞いでいる娘のためにと父親から贈られた曰く付きの宝石を持ち出して、列車による逃避行を試みていた。《焔の心臓》と呼ばれる巨大なルビーには、常に死がつきまとう忌まわしい過去があった。娘の父親はその過去を引き合いにだし、宝石を銀行に預けないと身に恐ろしいことが起きると冗談交じりに警告していたのだが……。
列車内で富豪の娘が発見される。彼女は、首を絞めて殺され、その後に顔を潰されていた。《焔の心臓》も何者かに持ち出されている。同じ列車には、彼女の夫やその愛人、彼女の愛人と目される男性らしき人物も目撃されていた。
この作品は、あまりにもクリスティ的な本格探偵小説だ。
曰く付きのルビーで《焔の心臓》なる名称を持つ宝石の存在は、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ譚『青い紅玉』を彷彿とさせる。この宝石は、ロシアの女帝エカテリナの宝冠を飾っていたという由緒正しい歴史を持っているが、その持ち主となった人物たちはことごとく不幸に見舞われているという。クリスティらしい、探偵小説の様式を踏襲した設定作りが行われたのだろう。
物語の設定だけではなく、キャラクターたちもクリスティ的である。貴族、富豪、その娘、謎の人物、踊り子、軍人、老人、名探偵。彼らは、あまり人物の性質を現すのに深い造形を施されていない。掘りが浅く薄っぺらい印象すら受けるのだが、それゆえに本来のリアルな姿が秘されているようにも思えてしまう。実際、犯人捜しに主眼を置いた小説なのだから、犯人という事実がキャラクターたちのいずれかに隠されているのだが……。人物が描けていないという批判を行うよりは、簡素で効率の良い本格探偵小説の装置としてのキャラクターたちなのだと考えたほうがいいのかもしれない。
登場人物の幾人かが、セント・メアリ・ミード村に住まっている。そのうちの一人は、偏見に満ちている高齢の女性で、癌によって死が目前に迫っているという人物。彼女一流の人物鑑定眼を持ち合わせているようにも見え、物語の後半ではある人物に対する鑑定の結果を述べるシーンがある。彼女が暮らす村といい、性別といい、精神といい、ある人物を想像せずにはいられないが、この女性が例の女性のような卓見を披露しているのかどうかは、ラストで明らかとなる。
もう一人登場するセント・メアリ・ミード村の住人は、30代前半の女性。コンパニオン(家政婦兼話し相手)として働いている彼女は、あまり金持ちではなく服装も質素で、目立たない存在なのだがとても魅力的なキャラクターだ。あまり幸せとは思えない彼女だが、突如として高額の遺産を相続して、一夜にして豊かになってしまう。鮮やかな上質のドレスを着ると、彼女の灰色の瞳はとても美しく光る特別な瞳であったことがわかる。
人間を色で表現することは少なくないが、この女性は瞳の色やドレスの色、存在そのものから灰色を想起せずにはいられない人物である。しかも、名前がキャザリン・グレイなのだから、クリスティの開けた遊びがありありと見える。
彼女は、白でも黒でもない中間の灰色なのだが、本作の中心人物である。前半には偶然の出会いが多く描かれているのだが、彼女は偶然に様々な人物たちとすれ違うこととなる。そして、ポワロとはじめて出会うのも彼女。ポワロと容疑者たちをつなぐ鍵束の環なのだ。しかも、グレイという女性は、クリスティが自らを投影していると考えられる要素を持ち合わせている。この小説の成功は、灰色の瞳を持つキャザリン・グレイの存在にあるといっても過言ではない。