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紙の本
映画よりダンゼン面白い原作
2001/02/19 09:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:白井道也 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はクリスチャン・ベールが主演で映画化されたが、映画はブランド品で身を固めるヤッピーが裏では残虐な女殺しをする、というストーリーにまとめられ、「ファイト・クラブ」の二番煎じの印象を与える。でもそれは、この小説の大切なところを見逃している。大切なのは、物質主義の人間がドス黒い内面を抱えているという“テーマ”ではなく、主人公がファッションやオーディオ機器のブランド名をダラダラと羅列するのと全く同じように、女殺しの残虐な手口をダラダラと羅列するという“文体”にある。
この上巻ではレストランやファッションについての主人公の独白がメインとなり、かれの残虐性を示す記述はとても微妙な形でしか現れない。フトした瞬間に洋服についた血に気付いたり、あるいは浮浪者をおちょくったりと、読者にジワリジワリと期待を持たせながら下巻に続く。
紙の本
映画化されて原作が売れるパターンの例外
2001/03/31 09:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:katokt - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画から原作を手にする人の期待を100%裏切る本。多くの人は、そもそも原作を手にしようと思わないか。
ブランドと連続殺人だけに着目して現代の病気を映し出す鏡、みたいな解説は笑止なんだよなぁ。こういう風に、いわば自分自身に対してだけしか、しかも表面だけを饒舌に語らずにはいられない長編を楽しめそうな人だけにお奨め。だらだらと続いていく終わりなき長編にこそ物語の魅力を再確認できるのだが。
紙の本
饒舌な失語症(アメリカン・サイコ)
2007/08/04 13:13
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:sanctusjanuaris - この投稿者のレビュー一覧を見る
アメリカン・サイコはその題名にも関わらず、連続殺人者パトリック・ベイトマンの心理描写もしなければ、その狂気の精神に触れようともしない。飲んでいるワインがシャルドネで、スーツがアルマーニであることだけが延々と語られる。だがそのポール・スチュアートのネクタイの縁取りはジャンキーの赤ん坊であり、悪臭を放つホームレスだ。つまり、身に着けているブランドをだらだらと描き、高級な頽廃生活を描く中でそっと、えぐい現実が盛り込まれる。それらの縁取りは、一つのひそやかな指し示しなのだ。素材(material)の外側に付着しているえぐい現実たちを指し示しながら、同時に薄暗い素材の内側にも、実は筆者の指は向いている。ベイトマンの荒涼たる心象風景は、心に重い病を持っている者が押し隠すかのように、沈黙されている。だがストーリーテラーでもあるベイトマンの語りは極めて饒舌なのだ。ベイトマンは、何気なく取り出したハンカチがラルフローレンであることから、エレベーターに乗っているときの視線まで、語りつくす。その饒舌な物語によって語られないその暗黒こそが、ベイトマンの病んだ精神なのだ。ベイトマンと同様の症状を見せるのは、村上春樹の『ノルウェイの森』に出てくるナオコだ。彼女は饒舌に語る。だが、語れば語るほど、語られないものが浮き彫りになる。そしてその失語症、心の闇が明らかとなる。
紙の本
とてもユニークな小説
2002/05/19 17:29
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひろぐう - この投稿者のレビュー一覧を見る
うーん、なんと言ったらいいのか。とにかく、ユニークな作品であるということに関しては最高点をつけてもいい。ハードカバーでは450頁余りのこの本の半分くらいが、デザイナーブランドや高級レストランやAV機器やポップアーティストなどの80年代トレンドに関する、詳細で無意味な叙述や会話なのだ。テーマであるサイコキラーの犯罪場面はせいぜい2割程度。
文学作品としてみると、批評家がこぞって非難したのも肯けるような浅薄なものだし、サイコスリラーとして捉えても、無差別殺人・探偵の捜査・警察とのチェイスアクションなどの場面はあるにはあっても、とてもエンタテイメントとして楽しめるような代物ではない。プロットらしいプロットも、解決らしい解決も、そもそも作品の意図さえ見出しかねるのだ。
だからといって、前衛芸術家の独りよがり的難物でもないし、エログロナンセンスのクズでもない。読後に妙な充足感のようなものを得られるのだ。これはデビュー作の『レス・ザン・ゼロ』にも共通する。実際、この話に登場する人物は『レス・ザン・ゼロ』のキャラたちがそのままNYのビジネスエリート(ヤッピー)になったようなものだし、内容もセックス・ドラッグ・ロックにバイオレンスを加え、より徹底してニヒルさを追究したようなものになっている。
ところがどっこい、(満ち足りて)人間らしい感情を失ったサイコキラーによる残虐極まる殺人に背筋を凍らせるような怖ーいお話かというと、まったくそうではない。これが笑えるのだ。説明しにくいけど、このおかしさもこの作品ならではというユニークなものだ。ひょっとしたら将来「20世紀の怪作」として再評価されるかもしれない。