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- カテゴリ:小学生
- 発売日:1997/03/01
- 出版社: アスラン書房
- サイズ:29cm/1冊
- 利用対象:小学生
- ISBN:4-900656-20-8
紙の本
チキン・サンデー
【ゴールデン・カイト賞絵本・絵部門(1992年度)】大好きなおばあちゃんに復活祭の帽子を買ってあげたい三人の子供達。でもお金が足りません。その上、帽子屋さんにも誤解されて...
チキン・サンデー
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商品説明
【ゴールデン・カイト賞絵本・絵部門(1992年度)】大好きなおばあちゃんに復活祭の帽子を買ってあげたい三人の子供達。でもお金が足りません。その上、帽子屋さんにも誤解されてしまいました。そこで三人は飾り卵を作って売ることにしました。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
パトリシア・ポラッコ
- 略歴
- 〈パトリシア・ポラッコ〉ミシガン州生まれ。オークランド在住。邦訳された作品に「かみなりケーキ」がある。
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紙の本
受け継がれていくもの
2010/08/22 19:55
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
パトリシア・ポラッコは、自身の経験したこと、家族との思い出、
先祖代々から聞いた話などを作品にしてきた。
代々伝わってきた物語や伝統を大切にし、
年長者への尊敬の気持ちを表わしている作品が多いように思う。
『ありがとう、フォルカーせんせい』では、
字を読むことが困難だったトリシャ(パトリシア・ポラッコ自身)が
フォルカーせんせいに教えてもらって、読めるようになる。
『彼の手は語りつぐ』は、シェルダン・ラッセル・カーティスが
南北戦争の時にピンクス・エイリーに助けられた経験を娘に語り、
代々の子供たちに語りつぎ、自分のところにまで伝わってきた物語を書いたものである。
パトリシアは、ミシガン州ランシングで、ロシア系アメリカ人の家族に生まれ、
『ありがとう、フォルカーせんせい』でも描かれているように、
途中でカリフォルニア州オークランドに引っ越している。
パトリシアには、ロシア出身の祖母がおり、
彼女はその祖母をバブーシュカと呼んでいた。
『かみなりケーキ』は、ミシガン州で農場に住んでいたパーブシュカとの思い出を描いている。
『チキン・サンデー』は、家族で引っ越した先のカリフォルニアで、
家族同然に育ったスチュワートとウィンストンとそのおばあちゃんユーラとの物語である。
本書も、『かみなりケーキ』と同じく一人称で語られる。
スチュワートとウィンストンは、わたしの家のそばに住んでいて、
ある夏、ふたりの家の裏庭で、「きょうだいになる誓いの儀式」をした。
わたしの本当のおばあちゃんは、2年前の夏に亡くなってしまったけれど、
スチュワートとウィンストンときょうだいになったので、
わたしは、彼らのおばあちゃんのユーラ・メー・ウィーカーさんを本当のおばあちゃん同然に思っている。
わたしの家の宗派とふたりの家の宗派は異なるけれど、
わたしのおかあさんは、スチュワートたちと一緒の教会に行かせてくれた。
わたしはロシア系なので白人だが、スチュワート、ウィンストン、ユーラは黒人だ。
『彼の手は語りつぐ』でも、黒人奴隷のことは語られているが、
彼女の一族、一家は人種的なことに、分け隔てない感情を持ってきた人なのだと思う。
黒人と教会といえば、ゴスペルがイメージされるが、
聖歌隊以前に、普通に歌がそこにあったのだと思う。
『野のユリ』という作品で、
東欧からやってきた修道女たちと黒人のホーマーが歌うシーンがあった。
ホーマーの歌に修道女達が掛け合いをしていくのだが、
掛け合いはアーメンコーラスのような感じ。
ホーマー曰く、その歌は、教会に行くときに
黒人が自然と口ずさむような歌なんだそうだ。
ゴスペルの原点は、敬虔な宗教音楽や古典音楽のような
きっちりとした譜面があるようなところからではなくて、
こういった市井の黒人たちが教会に行くときに口ずさんでいた歌なんだろうと思う。
ユーラおばあちゃんも歌を歌った。
わたしはユーラおばあちゃんの歌が好きだった。
ユーラおばあちゃんは、「雷がゆるやかにとどろくような、雨がやさしく降るような声で」歌うのだった。
教会へは行きも帰りも歩いた。
ユーラおばあちゃんは、コジンスキーさんのぼうし屋までくると必ず立ち止まって
ガラス越しに素敵な帽子を眺めてため息をつく。
そしてまた歩き出す。
ユーラおばあちゃんは、いつも夕飯にフライド・チキンを作ってくれたので、
こうやって一緒に過ごす日曜日のことを、わたしたちは「チキン・サンデー」と呼んでいた。
おばあちゃんは、コジンスキーさんの店のイースター用の帽子が特に気に入っている。
3人はすでにそれに気づいていて、
「世界中のなによりも、あのぼうしをおばあちゃんにあげたいなあ」と思うのだった。
3人は「ねがいごとの木」のうろからかんと取り出し、
ためていたお金を数えるのだが、ちっとも足りない。
コジンスキーさんに頼んで仕事をさせてもらおうとお店に寄るが、
ちょうど大きな男の子たちが帽子屋の裏口に卵を投げつけていて、
コジンスキーさんがドアと開けたところにいた3人は卵を投げた犯人に間違われてしまう。
やっていないという3人をおばあちゃんは信じてくれた。
だが、コジンスキーさんには誤解されたまま。
3人は誤解を解くために作戦を練るのだった。
わたしのロシア系伝統が彼らを助けることとなった。
さて、それは?
絵としてもとても美しいので、ぜひ見て確かめていただきたい。
そして、作戦を決行して一生懸命がんばった3人にはさらなるごほうびが!
教会で歌うのは黒人的伝統、3人が作ったものはロシアの伝統を受けたもの。
時代が変わっていく中でも、残っていくもの、受け継がれていくものは確かにある。