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商品説明
幼い子の自我にゆったりと深く関わりつつ、子どもの自分づくりを助ける保育とは…? 小さい時から「お勉強」にかりたてられ子ども時代を奪われる子どもの多い時代の、新保育論シリーズ第2巻。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
よりよい保育を求めて
2001/07/03 17:21
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投稿者:りくパパ - この投稿者のレビュー一覧を見る
よりよい保育をもとめて現場の保育者が工夫し、研究者が理論的に裏付けて、両者が協力し合う形で保育は質的に向上してきた。そして、すべての保育者と保育者集団がその到達点にたつことが、子どもの育ちが問題とされる今ほど求められているときはない。
しかし一方。保育は人であり、いろんな保育者がいる。経験を積み、理論を学び、集団で討議すれば自動的に立派な保育者になるわけではない。本書は、この“保育は人”の部分に保育目標や保育構造の観点から掘り下げるという難しい課題に取り組んでいる。
乳幼児期は“自分”を作る時代で、その後の人生は基本的にそこでできた自分とつき合っていくことになる。第二の自我が芽生え、自我と第二の自我との対話で外部の世界と向き合っていく。乳児期に自我が確立され、幼児期に第二の自我が確立され、その対話の構図という大切な観念が出来上がる。この時期の保育と子育てをする者にとって大切な視点だ。
しかし、これまで自然発生的に家庭と地域で作られてきた当たり前の成長過程が崩されて、幼稚園や保育園の組織的な保育の場で意図的に形成される必要が出てきた。その認識のもとで保育内容、構造をどう捉えていくことで保育が形成できるか、を著者自身が模索している。
保育の現場を見れば、いろいろな保育者がいる。理論は勉強しているが実践を見ると??と思う場合もあるし、逆にセンス抜群の実践をするのに理論的に裏付けられていない保育者もいるという。これらの保育者像の分析を通じて、“保育は人“に理論的なメスを入れる。
一言で言えば、保育理論に基づくマクロの視点と柔軟に状況に対応するミクロな視点でのセンスを統一させることが大切であるという。このような保育者にどう成長していくのか。両者を併せ持って成長する視点として、保育実践記録を書くことが不可欠であるといわれる。記録を書く視点で子どものリアルな姿を分析するとともに、それを実践記録としてまとめることで、保育理論とつなげてマクロな視点と実践との接点を養うことができて、マクロな視点とミクロな視点を統一する力が養われるという。
しかし、しかし。目の前の子どもの対応に追われると書けないのが正直なところであるし、実践をしっかりしないで記録にとめるだけでは本末転倒である。実践よりも記録の方がドラマ性があるように書かれるという危険性もある。こういう問題を克服しつつ、結局はその意義を理解して、努力を積み重ねるしかないのだという。
保育目標は一般論では共有されるが、しかし実践になると違いがあらわになる。保育者のセンスの問題ということでそれ以上は踏み込めないという状況があったが、そこを保育構造論でどう乗り越えていくのか試みられている。著者自身仮説であると言っているが、残念ながら見通しをもってまとまっているとは言いがたい印象がある。保育者が読めばまた違うのかもしれないが。
本書の課題はナイーブであり、簡単な答えはない。実践には矛盾と多様性を抱えつつ、全体的な方向性をもつという柔軟でハイレベルな課題が要求されている。未解決な問題が多いが、保育者が大変な責任を持つ高度に専門的な仕事であること、面白さや充実感もすばらしいものだということが読者に再認識されるであろう。子どもの自分づくりについては、特に、子どもを見る目、子育てという視点でも分かりやすくまとめられており、参考になる。
新保育論シリーズ1の続編であり、前著『 保育者と子どものいい関係』を先に読まれることをお勧めする。
(りくパパ ホームページ「子育ての輪at川崎」管理者)