紙の本
カントと中島先生、なんか似ています(笑)。
2009/08/16 23:22
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
カントといえば、誰でも社会科の教科書で知っているほど有名な存在である。しかし、そのカントの著作を実際に今までに読んだこのある人というと、非常に限られてしまう。
カントが生きた時代は、現代社会とは違い、科学も発達していないし、世界旅行をできる手段があるような時代でもなかった。しかし、人が人らしくある一定の文化の中で生きられた時代ではあったと思う。
要するに、カントの時代は、教会の力は非常に強い、華やかな社交はあった、遠方の国のことまでは知らない、何かにつけても細かいことは解らない、という牧歌的な時代であったわけである。
本書では、カント一筋数十年の中島義道御大が、そういう時代を生きたカントの「人となり」にスポットを当てて、解説してゆく。
カントの哲学は、現代においては何と形容すれば良いのであろうか。私は勝手に〈基本哲学〉と形容している。〈基本哲学〉とは、科学が発達していないために、細かいことは解らないが、人間ならば誰もが疑問に思うような類のことを取り上げて、個人的思考を重ねていく行為であるとしよう。カントはそういう「基本的な問題」を自分と、社会との関係の中で考えていった。
こういう「問題設定」は、「基本」であるがゆえに、色褪せることなく何時の時代も共通した問題として残り続けることになる。もし、カントがやっていなければ、他の人が必ずやっていた類のテーマ設定でもある。
カントやヘーゲルが未だに哲学の問題たりえているのも、やはり〈基本哲学〉であるからこそであると思う。
そういうカントについて、中島氏は非常にユニークに書いていて、読者を飽きさせないが、最近の中島氏はカントに輪をかけて「偏屈なオヤジ」になっているので、どうしても中島氏のことが心配でならない(笑)。
もちろん大きなお世話なのだが、カントを越える偏屈ぶりは、以前お会いした時にも顕在、いや更にスケールアップしていらっしゃいました・・・。
・・・ということで、カントよりも、中島氏の今後が心配になっていまう本書の読後感でありました。やはり、カントの中に自分を見ていらっしゃるのかな・・・。
紙の本
カントも人の子
2001/01/26 07:18
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
偉大な哲学者カントも中島義道にかかれば、「なんだ、普通の人間やなぁ」と思えるから不思議。
内容は7章に分れていて、「エゴイズムについて」「親切について」「友情について」「虚栄心について」「生活のスタイルについて」「容貌について」「女性について」と、カントの言葉をたくさん引用してカントその人を浮び上がらせてくれる。「普通の人間やなぁ」と感じることが出来たので、同時にカントの言葉が自分自身にも自然に入ってくる。
哲学者とは『モノは考えよう』をあみ出す鉄人のことをいうのではないかとも思った。
生まれながらにして崇高な心を持った人間は哲学者などにはなりはしない。(尤も生まれながらにして崇高な心を持った人間が存在するかどうかは疑問だが…)
カントは出世は遅かったらしいが、それでも46歳でケーニヒスベルク大学の教授になっており、社会的地位と人々の尊敬を勝ち取った人物だと言える。
物事をすべて冷静に判断する力をそなえ、毎日の行動は時計の針のごとく正確で(カントは毎日同じ時刻に同じ場所を散歩する習慣があり、近所の人々はカントの姿を見て家の時計を合わせたという逸話は有名)、自分の人格をも支配下においた偉人、という今までのイメージはそれはそれで正しいのだろうと思う。だが、本書を読むと、そこには小さく丸まって色々な事から身をまもろうと縮こまっている矮小なカントの姿も現れてくる。
偉人や天才と言われる人の言うことは全て受け入れなくてはならない!または、全て理解しなくてはならない!という間違った強迫観念から抜け出せたような気がする。先代の人々が頭を悩ませて出した結論で、自分に都合のよいものだけ受け入れて自分のものにすればいいのかもしれない。
7章の内、「虚栄心について」の章は私にとっては新鮮だった。自分は「虚栄心」などというものは持ち合わせていないと思っていた。ところがどっこい、虚栄心をどっさり抱え込んでいることがわかった。「自分占い」にも最適の書だった。
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もう10年以上経って?再び読みました。
カントの哲学がどうこう、という難しい話ではなく、もちろん哲学の話も交えながら、カントの人となりについても説明されている非常に平易な本。
カントの生い立ちや性格が詳説されている分、カントがどのような基本思想を抱いていたかと言うこともわかりやすかったかな。
さくっと読めます。
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カントの私的な生活領域に対する考察は興味深い。人間ってめちゃなところがあっておもしろいよなあと思う。素直に笑えるところもたくさんあった。これまではカントについては次のような部分でしかしらなかったのだけど、また違った視点で眺められそうな気がしてくる。「…法の概念は、それと対応する義務(すなわち道徳的な概念としての義務)に結びつけて理解するならば、第一にある人の他の人との外的で実践的な関係、それも両者の行為が事実として(直接・間接に)相互に影響を与え得る限りにおいての関係にかかわる。しかしながら法の概念が第二に意味することは、それがある人の意思と他の人の意思との関係にかかわるのであって、他の人の願望(したがってまた単なる需要)との関係が問題になるのではなく、したがってたとえばある行為が親切であるのか、それとも冷酷であるのか、といったことはどうでもよい、ということである。第三に、この意思の相互関係においては、意思の実質、すなわち彼らが自らの意思の対象物をいかなる目的と結び付けているのか、ということは考慮されないのであって、たとえばある品を商売のために私から買った者がそれによって利益を得るかどうかはどうでもよい。法の概念において問題となるのは、相互の意思の関係の持つ形式のみであって、その形式がもっぱら自由なものであると見てよいのか、両当事者の行為が互いに他者の自由と普遍的法則の下で調和し得るのか、ということだけが問われるのである。したがって、法とは、ある人の意思が他人の意思と自由の普遍的法則に従って調和させられうるための諸条件の総体である。…(人倫の形而上学・中央公論社)」これは、なんだかとても人間カントらしいように思われてくるから不思議だ。
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カントの人間学でもありますが、「人間カント」って感じもありますね。読みやすい本です。カテゴリを哲学にしましたが、哲学って感じでもないような気もします。でもまぁ、カントですし。
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これはおもしろい!!!
カントの思想というよりカントの人間性がよくわかる一品です!
カントが論理的エゴイスト、道徳的エゴイスト、美的エゴイストなのはよくわかりましたw
虚栄心のとことか吹いたw友情とか恋愛とかの部分読むと
カントがいかに人間に絶望していたかがよくわかります
これが、カントこそが、哲学者といえるんだろうなぁ
狂気、ごちそうさまです
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理論よりカントの人間性が主に紹介されてる。
読んで何か収穫があったかというと、ないかも。
哲学者かっけー哲学者になりたいわって人は読めばいいと思う。
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この著者の他の本での自分語りに食傷しているところで本書を手にしたので、つい本書のレヴューの点も辛くなってしまったのではないかという気もする。
「まえがき」で著者は次のように述べている。「世のカント学者たちは、カントよりはるかに力弱くはるかに善良であって、まったくカントに似ていない。カントに似ていないからこそ、カントを一生研究することができる」。本書を読むとこの言葉が腑に落ちるようになるはずだ。このようなメカニズムを見抜くことのできた著者一流の眼をもってしてはじめて、カントの人間学を本書のような仕方で読み解き、その人間像を冷徹にえぐり出すという仕事が可能になったのだろう。
なお、本書は『モラリストとしてのカント』(北樹出版)の改版にあたるのだが、タイトルが連想させるようなカントの「人間学」についての入門的解説書ではないので、注意が必要である。
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本書はカントを「モラリスト」として読み解く試みであるが、じつはこのモラリストという概念はたいそうつかみにくい。
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[ 内容 ]
エゴイズム、親切、友情、虚栄心…人間の「姿」はいかなるものか。
複雑で矛盾に満ちた存在を描き出すカントの眼差しに拠り、人間の有り様の不思議を考える。
[ 目次 ]
第1章 エゴイズムについて
第2章 親切について
第3章 友情について
第4章 虚栄心について
第5章 生活のスタイルについて
第6章 容貌について
第7章 女性について
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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読み物として面白かった。学術書ではないので、思想的な問題に深く追求しているわけでないが、読みながら「へー」と思わされる。カントに親しみを感じられる内容になっている。
また、著者の中島義道先生の随所に散りばめられた、世俗に対する皮肉めいた語り口にクスッとさせられる。
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正直、タイトルがいくらか誤っている気がする。いや、誤ってはいないのだけれども、タイトルから推察する内容と少々違うような気がする。つまり、タイトルから予想するのはカントの持つ哲学観による人間学的な感じとなるんだけれども、だから、序盤のエゴイスト的な部分はあれなのだけれども、それ以降は、カントの人間学でありながらもむしろ「カントという人間そのものを浮き彫りにする」ためにかかれているように思われてならない。なので、中島はカントの哲学観を通してその根底にある価値観を捉え、そこから逆算してカントはかくある人間だということを証明したいのだろうと思う。しかし、本著への感想はなんともきわどい。面白いような気もするし、つまらないような気もする。そもそも、中島が何を思ってわざわざこうした俗物なる作品をつむいだのかもよくわからない。おまけに最後には読者に喧嘩を売っている。この作品を面白いと感じた人、つまらないと感じた人、あなたたちは知性が低い、と言っている。中島はモラリストこそ知性たる人間であり、彼らは冷徹なまでに観察する、みたいなことをあとがきにて述べているけれど、それほど冷徹に観察できる人間がそれほど矛盾しうるものなのか?中島はここで、しうる、と言いたいらしい。そして、それがめぐりめぐって中島に還ってくる。純粋に哲学をしていると自認しながらも、こうして俗物なる著作を書く自分もやはりモラリストであり、知性が高い……と。著作から浮き上がる人物と、実際の人物とは相反する、と中島は本著で述べているが、それがまるまる自分にあたると中島は言いたいのだろう。中島は別の著作で若かりし頃ニーチェが嫌いで嫌いでたまらなかったと言っていたけれど、その理由はおそらく彼が残酷なまでにニーチェに類似していたからで、いわゆる同属嫌悪であったのではないか?と個人的には推察される。どんどん中島論になっていってしまってけれど、本著はむしろカントを通して中島が見えてくる、というある意味わけのわからない内容となっているので、面白いのかつまらないのかもよくわからない著作なのである。ただ、エゴイスト分類(論理エゴイスト、美的エゴイスト、道徳エゴイスト)やカントの言う道徳と世間一般で言う独特のズレなんかはカントの哲学を学ぶ際には役立つだろうと思われる。
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表題からはカントの『実用的見地における人間学』の紹介のように思われる。が、本書の内容は、カントの人間観の抽出を、彼の学説のみならず彼の病気的な生活習慣にまで目を向けることで明らかにしているところに特徴がある。カント倫理学から予想しがちな、聖者のような哲学者というイメージには全くそぐわない、騒音に悩まされながら哲学した度量の狭い哲学者という新たなカント像を構成できる。
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著者の性格が感じられる本。
カントに対してフェアじゃないという批判もありそうだなと思いつつ、新書だし、ふーんと思ったから☆1ほどではなかった。
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カントの実像は、みなさんの抱いている「聖人君子」のイメージなどではない!
このイメージは、なんでも祭り上げることが好きな世のカント学者のでっち上げた偽物である!
・・・というのが、「戦う哲学者」中島義道氏によるカント像である。
エゴイズムや虚栄心からは、すべての人間は逃れられない。それはカントにも例外ではなかった。
いや、カントもまた、我々と同様に、あるいはそれ以上に狡猾で、エゴイスティックであったのである。
親切というのは、必ず差別がなかに潜んでいる。
友人というものは存在しない。
第7章「女性について」の章が一番カントの人間らしさが描かれていてあんぐり。
カントの女性蔑視もはなはだしい・・・。
「カントの女性に対する態度はオランウターンに対する態度と同じである」
「おむつを用いることは幼児自身にとって不安なことであって、幼児は手足を全然使用できないので、その際一種の絶望に陥る。」
「カントは『教育学』においてマスターベーションを厳禁しているが、これは、情欲に悩まされた者のみが書ける文章である」
「ここまでくると17歳の少年レベルの観念遊戯である。」
いやはや、ここまで来ると一種のコメディにも思えて仕方がない。
本書では、世間のカント本の方向に真正面から逆らうように、カントの「悪い面」ばかり取り扱っっているが、しかし、カントはなおも偉大であると言えよう。