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  3. 読ん太さんのレビュー一覧

読ん太さんのレビュー一覧

投稿者:読ん太

238 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本アルケミスト 夢を旅した少年

2002/06/16 11:13

夢は向うもの

25人中、23人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 羊飼いの少年が、夢で見たエジプトのピラミッドのそばに眠る宝物を探しに、旅に出るお話。
 以上、あらすじ終わりである。たったこれだけの物語である。少年が宝物を手にすることが出来るかどうかと話は盛り上がりに盛り上がる…ことはない。始めから終わりまで淡々と少年の旅は続く。

 『アルケミスト』は、著者のパウロ・コエーリョの人生観を一つの物語にしたものである。彼は、自分の人生観を単純な物語に乗せて語りきった。単純な物語には、彼の思想を思いっきり織り込める余地が残されている。そして、物語の単純さは、童話でも楽しむような感覚で読者に迎え入れられ、その後あるいはその最中に爆裂し、読者の内なる感動を呼び起こす。
 感動は、ストーリーによってもたらされるものではなく、あくまでも読者の内からもたらされる類のものであるから、パウロ・コエーリョの人生観に対する共感度によって、それぞれに感動の度合いが異なるものになると思う。私は、著者の人生観にほぼ100%共感する類の人間であったので、読んでいる最中から読後から感動の嵐が吹きまくりであった。

 私は、自分の人生を堅実なものにしたいと思っている。そして、本書には、人生を堅実にするための歩み方が書かれている。堅実なものにするためには、危ないことをしない? 失敗しないようにする? お金を貯める? 社会的地位を確保する? 子孫を増やす? いえいえ、答えはただ一つ。夢を追うこと。
 夢の行方を見極めるには、つねに自分の心の声に耳を傾ける必要がある。心は時には嘘をつく。心から真実を引き出すのは、その心の持ち主である自分の手腕にかかっている。
 耳を使ったならば目も使う。物や人に対して、それぞれに一番焦点が合う距離を保ってしっかりと見る。すべてを見る。『この世が存在しているということは、ただ単に、完全なる世界が存在するという証拠にすぎない』ことが見えてくるだろう。
 堅実な人生とは、見ない聞かない望まないではなくて、見て聞いて望むこと。危ない橋を渡らないのではなくて、決心をすること。そして、『決心するということは、単に始まりにすぎない』のだから、堅実な人生とは、なんとも大忙しで浮き沈みの激しいものである。

 夢を追うなどは子供のすることだろうか? そんなことしている暇なんてないだろうか? だけど、「そんなこと」が、しっかりと自分の人生に関わってくるものだとしたら? 自分をしばっているのは自分だけである。親も兄弟も労働も社会も、自分をしばって動けなくすることはできない。自分をピクリとも動けなくするのはすべて自分である。

 パウロ・コエーリョは、『アルケミスト』の登場人物に次のような言葉をしゃべらせている。
 『人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ。』
 全宇宙が協力してくれる! 素敵な一文だと思った。

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紙の本

救いを求めるのであれば、知ることを恐れてはいけない

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アウシュヴィッツ他ナチスの収容所を、かつて囚人の一人として捕らわれた心理学者、フランクルが描く。
 全体の構成としては、まず70ページ近くもの「解説」が最初に持ってこられている。普通「解説」といえば巻末にくるのだろうが、巻頭に持ってくることによって、収容所の全体像を読者に理解させた上で、次にくるフランクルの手記にフォーカスをあてて深読みできる仕組みになっている。
 「解説」によって、ガス室だけに限らないありとあらゆる虐殺の方法を知ることになった。石炭酸の注射(死の注射)で何万人もの人が殺された。銃殺ももちろんあった。人体実験による死者も山のように(殺された人々は、まさに「山のように」積み上げられるのだ!)あった。飢餓と重労働で毎日多数の死者が出た。栄養不足と衛生状態の悪化によりチブスが蔓延するが、病人は紙くずのように放り出されたままだ。
 これらの虐殺に手を染めた収容所の人間の多くは、元は暴力犯罪のために長期の刑に服している犯罪人であった。収容所運営には、残忍でサディスティックな性格を持った人材が必要不可欠だったのだ。

 「解説」に続くフランクルの手記は、収容所の悲惨な生活を描写することを第一の目的とはしていない。囚人の身であったフランクルが、その体験をもとに、心理学者の目を持って冷静に「囚人の心理状態」を分析していく。アウシュビッツ到着から、それに続く長く苦しい収容所生活。そして、ついに解放の時を迎えるまでの心の動きを追う。
 体は棒切れのようにやせ細り、すべてを奪われ、残っているものは腕に入れられた囚人番号を示す入れ墨ばかり。こんな状況にあって、唯一彼らが持ち得るものがあった。それは、「精神的自由」である。この精神的自由は、何人によっても奪い去ることはできない。たとえ死を持ってしても。

 運命というバケモノのような手を恐れる気持ちが薄れていくように感じた。そして、運命を享受する勇気と、さらには、それをゲーム的に楽しむ余裕すら持ち得ることを教えてもらった。ロングセラーを誇る本書であるが、その理由は、ただ悲惨な歴史的事実を語るのではなく、究極の状況においてこそ表れた精神性について書かれてあるからだろうと思う。暗い気持ちに終始することはなかった。元気になれた。
 巻末に付されている、「写真と図版」は目を被いたくなるものばかりではあるが、これまでの文章を読んだ後には、それぞれの写真を直視し、歴史的事実を頭に刻み込もうとする自分がそこにいるのに気付いた。本書の構成は、全く理にかなったものであると言えよう。

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紙の本

紙の本逃亡 上巻

2001/10/26 21:44

逃げろ、逃げろ!で、長編一気読み

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 第2次大戦中、憲兵として香港や広東に従軍した守田。中国人の統括、規制、あるいは英人のスパイ摘発に血道を上げて国に忠義を尽くすが、敗戦とともに「戦犯」という烙印を押されて立場は180度転換してしまう。守田の長い逃亡生活の始まりだった。 中国人の手から命からがら日本に逃げ帰った守田ではあったが、そこでも彼には安住の地が与えられてはいなかった。警察から逃げ惑う様は、まるで脱獄囚のそれと同じである。全編逃げて逃げて逃げまくる。息のつまるような長編作品だった。
 逃亡生活を続ける守田の頭に、彼が憲兵だった頃の思い出が浮かぶ形で、戦中・戦後の描写が交互に現れる。故郷の住民に万歳三唱で送られる守田・故郷の住民に白い目で見られる守田一家。軍服姿で馬にまたがり颯爽と海岸を駆け巡る守田・着る物も食べる物もろくになく垢にまみれた守田。スパイ容疑人を拷問する守田・独房で体を折り曲げて寝る守田。戦中・戦後で見事なまでに事態は対称を成す。
 敗戦国に対して戦争責任を問われる戦犯について、これほど考えを深めたことは今までになかった。戦争は個を消し去る。それゆえ、戦犯の裁判は形式的なものになり人身御供として死刑や重刑に処せられた人々がどれほどいたことだろう。戦争とは殺し合いだ。その点では純粋に罪の意識を持つだろうと思う。しかし、天皇陛下のために命を捧げて戦ってきた我が身がこの世から抹殺され、天皇はのうのうと生き延びている事実を彼らはどのように受け止めていただろうか?  
 サラサラと読むにはあまりにもテーマが重い。帚木蓬生のスピード感あふれる筆によってこそ読み終えることができたように思う。今まで何作か帚木氏の作品を読んできたが、『逃亡』は彼にとっても特別に思い入れの強い作品であるのではないだろうか。自身の使命というものをはっきりと持っている作家だと思った。
 彼から受け取るものは両手に抱えきれないほど大きなものであった。

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紙の本

紙の本ポプラの秋

2001/11/14 11:51

心模様があやしい方はすぐに『ポプラの秋』を処方してください

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 おばあちゃんがいい味を出す小説が好きだ。久世光彦『卑弥呼』のばあちゃんもなかなかのものだったが、本書『ポプラの秋』に登場するばあちゃんも負けてはいない。上の歯が全部抜けて下の歯は3本だけなのでポパイのような顔をしていて、よそいき用に入れ歯を入れると人相が変わってしまうばあちゃん。愛想は悪いし口も悪い、子供は嫌いと三拍子も四拍子もそろった筋金入りだ。
 このばあちゃんと、お父さんを亡くしたばかりの6歳の女の子の関係を描いた物語。キーワードは手紙。女の子はせっせとお父さんに宛てた手紙を書き続ける。「手紙というのはやはり、郵便屋にしろ、海に浮かぶ瓶にしろ、何かに運ばれて行ってこそ、書いた者の心がほんとうに解き放たれるもの」と考えるばあちゃんは、死んだ人にも手紙が届く方法を女の子に伝授したようだ。
 ばあちゃんは、白衣など着ていないし、もちろん看板も出していないけれどピカイチのカウンセラーだ。女の子の心は徐々に解き放たれていく。女の子だけじゃない、近所の人達のセラピーも引き受けている。お代もしっかり受け取ります。この辺はばあちゃんのこと、ぬかりはない。
 『ポプラの秋』を読んだ人の心模様は、「大笑い時々しみる!」でしょう。なかなかに良い心模様のようでございます。

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紙の本

紙の本アフリカの蹄

2001/10/20 23:39

♪ンコシ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 心臓移植の研究でアフリカに留学した作田信という医師が、その地で見た黒人廃絶の為の極右組織による陰謀工作に立ち向かうというお話。文中では国名は出てこないが、アパルトヘイトが実施され黒人が家畜のように扱われている状況を示しており、これは間違いなく南アフリカ共和国を舞台にしたものであるというのがわかる。
 南アフリカ共和国で制憲議会選挙が行われて、南ア史上初の黒人大統領(マンデラ氏)が誕生したのが1994年だが、本書では、黒人が選挙権をまだ与えられておらず、ホームランドと呼ばれる土地の痩せた狭い地区へと強制移住されている頃が背景に描かれている。アフリカーナーと呼ばれる白人達がのさばり、「名誉白人」という特権を享受した日本人がふんぞり返る。彼らの目には黒人は皆同じに映る。無理に分類してみれば、ゴミ、家畜、奴隷のいずれかに分けることができるかという程度。
 本書では、撲滅宣言が成された天然痘ウィルスが、黒人廃絶のための秘密兵器として使われる。ミサイルだ何だと恐ろしい武器は数多くあるが、ウィルスが強力な武器になり得る可能性を示されて身の毛がよだつ思いがした。
 いつもながらに読者の視線をグイと広げてくれる作品となっている。人間の本性を多面的に表現してくれており、スラムで働く黒人医師サミュエル、作田の恋人パメラ、靴みがきの少年オリバー、宿無しの黒人イスマイルなどの登場が負の部分を取り消しにしてホノボノとした読後感を与えてくれる。
 白人対黒人のみを扱っており、黒人の部族間の対立については一切描かれていない。実際の南アフリカ共和国はこの本の中身ほど単純なものではないとは思う。しかし、この本には「すべてを奪われた人間でも<精神>は残るのである」ということが繰り返し書かれている。様々な状況において、我々が「何をすればいいのか?」あるいは「何をしたらいけないのか?」が自ずとわかってくる。
 最後に、文中で作田が心臓移植手術について想いを巡らせる個所があり、これが私の頭から離れなかったので紹介させてもらいます。「…作田の頭には0.5+0.5=1.0という数式が思い浮かぶ。半分死にかけた人間が二人いるよりも、一方を確実な死に至らしめ、他方に十分な生を与えるのが心臓移植だ。数式はそれを何の感傷も加えず表していた…」

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紙の本

紙の本ほんとうのアフガニスタン

2002/05/14 21:45

混乱するアフガニスタンにどっしりと腰をすえる人がいる

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 中村哲氏については、中村哲著『医者 井戸を掘る』(石風社)を読み、パキスタンとアフガニスタンを中心にして医療活動を行うNGO ペシャワール会の現地代表であることを知った。『医者 井戸を掘る』では、2000年のアフガニスタンの大旱魃の様子から、ペシャワール会が井戸を掘るNGO活動について書かれたもので、活動の様子は2001年9月の米同時多発テロが起こる直前までが綴られている。
 本書『ほんとうのアフガニスタン』では、ペシャワール会の発足当初の様子から、『医者 井戸を掘る』の内容とも重なる水確保の為の井戸掘り活動について、そして米テロ事件の勃発からその後のアフガニスタンの様子とペシャワール会の対応についてが綴られている。

 中村さんは、18年も前からパキスタンのペシャワールを中心にして地道な医療活動を続けて来られた人だ。中村さんが語ってくれるアフガニスタンやアフガニスタンの人々の様子は、ニュースで見るような抑圧された人々ではない。ニュースでは、イスラム原理主義や武器を持つ兵士、そして米国側が口角泡を飛ばして叫ぶ「報復」という恐ろしい言葉など、色々なものが飛び込んでくるが、私の頭は混乱するばかりだった。どこから湧き出してきたのかと驚くほどの多方面からの評論家や大学教授などの言葉を聞いても、混乱は増すばかりだった。
 中村さんによって、アフガニスタンの地に暮らす人々に対して、血の通わぬのっぺら坊の人形のようなイメージから、人情味のある人懐っこい笑顔を持った、日本人に対して親近感を持っている人々のイメージにすり替えてもらえた。当たり前のことだけれど、戦争はコンピュータゲームとは違うのだということを心底実感した。

 大きなことをやってのけている中村さんだが、人に「大いなる志を持ちなさい」などということは言わない。それどころか、『はじめから張り切って、人のために役立つと言って来て、役立てることはほとんどないのです。』と話し、とにかくどこにでも行ってみること、そうすると縁が出来て、縁から縁へのつながりが自分の生きる道を示してくれるというようなことを言われる。肝心なのは人だということだろう。現地でも土地の人々の慣習や文化を大切にするのが鉄則だ。人と人とは、言葉が違っても分かり合えるものだと思う。しかし、それぞれに持っている慣習や文化は独自のものだから、自分の持っているものを強要するのは、最初から縁を拒絶しているようなものである。瀕死の小国に世界中の超大国が束になってしていることは、縁を拒絶した強要である。

 翻弄される小国アフガニスタンが、激しい移り変わりを見せる中、中村さん達ペシャワール会はいつもと変わらぬ活動を続けるばかりである。ハンセン病の根絶を最終目的にしているが、医療を受けられない人々への医療活動や、自然災害や戦争によって荒らされてしまった土地の人々が難民にならないような食糧援助活動なども黙々と続けている。

 私は、中村さんの著書によって、ブレそうになる軸をしっかりと据え直してもらえたような気がした。生きがいのある人生を歩む方法というものを伝授してもらったようにも思った。

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紙の本

紙の本モチモチの木

2001/11/14 11:47

ノスタルジーに浸り、新しい発見に心躍る

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 先日、『絵本の力』という本を読んだ。柳田邦男さんが老年になってから絵本に魅了された話などを読むうちに、私もにわかに絵本に対する興味が増し、早速本屋さんの児童書コーナーに寄ってみた。普段は児童書コーナーは素通りしているが、一旦足を踏み入れると新鮮さと懐かしさがごちゃ混ぜになって押し寄せてきた。時間を忘れて、次から次へと絵本を開いて楽しんだ。本屋さんを出る時には、1冊の絵本を大切に抱えていた。それがこの『モチモチの木』。滝平二郎さんの切り絵がたまらなく懐かしくなって買ってしまった。話の内容はほとんど記憶に残ってはいなかったのだが、美しい切り絵ははっきりと記憶していた。
 物語も今読み返してみると素敵だ。5才になる豆太とおじいさんのお話なのだが、おじいさんの、「…にんげん、やさしさがあれば、やらなきゃならねえことは、きっとやるもんだ。それをみて たにんが びっくらするわけよ。ハハハ」の言葉に、一人でセッチン(トイレ)にも行けない怖がりの豆太もホッとしただろうが、読ん太も豆太といっしょにホッとした。
 絵本に卒業はないのですね。一生付き合っていけるものなのだとはっきり解りました。また楽しみが増えてしまった! ハハッ

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紙の本

手を伝う水を見る、これが命の水

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 米テロ事件、その後の報復戦争。衝撃の映像がテレビで繰り返し流され、「報復」という恐ろしい言葉が繰り返し叫ばれる中、「何があったのか?」「何が行われようとしているのか?」をもっと知らなければいけないとの思いとは裏腹に、心臓はドキドキと打ち、気が付けば、目をしっかり閉じて両の耳はしっかりと手で塞ぎ口は一言も発せぬように真一文字に結んでいる自分がいた。
 どうしようもない焦燥感に襲われていた私を、『医者 井戸を掘る』が救ってくれた。
 本書は、テロ事件やタリバンに言及したものではない。2000年にアフガニスタン、パキスタン周辺を襲った大旱魃について記したものである。PMS(ペシャワール会医療サービス)の院長である中村哲さんが、旱魃によって赤痢などの伝染病が多発し始めた背景から、「医療以前に今は水の確保である」との判断から、WATER SUPPLY PROJECT(水源確保計画)を開始して、各地に井戸を掘る一大事業を推し進めた。中村さんの報告は、2001年8月、ニューヨークでテロ事件が起こる寸前のところで終わっている。しかし、井戸掘り作業に関連して出てくるタリバンは、「超原理主義」という国際的非難を浴びているにかかわらず、アフガニスタンの秩序を守るには唯一頼れる存在であり、また、大旱魃で何十万という人々が死と背中あわせになろうかとしている時に、国連は、米露の提案で「タリバンの制裁」を決議した。渇きに喘ぐ人々に援助は行われず、反タリバン派への武器援助は山のように行った。
 PMSの活動を通じて知ったアフガニスタンの状況から、あの米テロ事件が決して天から降ってきたような突飛な事件ではなかったことが理解できた。

 不幸にも弾丸が飛び交うような危険な場所になったところにも、人が住んでいる。恐い思いをしながらも生活をしている。大旱魃がやってきて水が不足したからとて、「それでは、水があるところに移りましょう」とはいかないもの。「そこに人がいる」こと、「そこがその人の故郷」だということ、この世界にバケモノはいないこと、言葉は通じなくても通訳してもらえれば理解ができる思いを持つ者達だということ、これらのことを私は感じきれていなかったのだと思う。
 中村さん達が黙々と井戸を掘る姿を知って、自然から100%拒否されない限りはそれぞれの土地で生きる術を見つけるという、地味であって、もしかしたら無駄な抵抗になるかもしれないことが、しかし一番当たり前で自然なことだとわかった。

 PMSは、医療を目的とした団体である。ハンセン病の根絶を目指している。多くの困難の中、直線的には事が進まず、今回の井戸掘り事業もその現れである。まだまだ道のりは遠いのかもしれないが、私に地球をギュッと抱きしめる感覚を残してくれた中村さん、これからもどうかがんばっていただきたいと思います。

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紙の本

紙の本橋のない川 1

2002/04/18 22:29

大きな出会い

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 部落問題という大きくて重い問題を扱った小説である。明治4年の「解放令」によって身分の差はなくなった。士・農・工・商の別はすでになくなっていたが、さらに穢多・非人が平民に加えられた。
 これで生まれによる差別はなくなったのか? 答えはだれもが知っている。なくなろうことか、現代にまで延々続いているのである。

 『橋のない川』では、明治の世に生まれた誠太郎と孝二という二人の兄弟の日々が綴られていく。わんばく坊主の誠太郎に、おだやかで本が大好きな孝二。時にはけんかもするが、兄は弟をかわいがり、弟も「兄やん、兄やん」と慕っていて、なんともほほえましい。二人の父親は、日露戦争で戦死しているが、家には働き者でユーモアたっぷりの祖母ぬいと、愛情にあふれた母ふでがいる。
 一家の大黒柱を失った家庭は、貧乏である。しかし、体さえ丈夫であったなら貧乏もまた楽しなどと笑っていられるかもしれない。貧乏をもはねっ返す力のある彼らが、どうがんばってもはね返すことのできないものがあった。それは、小森である。小森とは、彼らが生まれ住んでいる村の名前であり、小森はエタ村であった。
 兄弟が成長するにつれ、「エッタ」や「臭い」の罵声を浴び、それが幼い友の内でのことならいざ知らず、小学校の校長先生から『きさまらのようなドエッタは…』と浴びせられて、彼らは自らではどうしようもない立場を理解していくのである。いや理解などできるものではないのだが、戸惑い怒り悲しみ慟哭して、なんとか立っていられるようにとするのである。
 いくらきれいな着物を着てみたところで、エッタと知れたとたんに人間扱いされなくなるとはどうしたわけか? 『尻に尾があるわけやなし、頭に角があるわけやなし』と、ぬいがおどけて言うように、「なにかしるしでもあれば少しは納得もできる」と考える兄弟の姿に胸がつまった。

 読んでいる間中、なにか、袋小路に追い詰められて苦し紛れに壁に額を押し付けているような感覚があった。しかし、読み進むのが辛いというものではなかった。それどころか、美しい自然の描写、汗を流して必死で働く人たちの姿が、生き生きとした絵となって私の前に何枚も積み重なるような気がした。誠太郎一家が毎日食べている水のようなお粥さんも、うまそうだと思った。
 『橋のない川』は、絵があり、匂いがあり、音があり、味がある小説だ。これが楽しまずにはおれようか。

 「住井すゑさん、あなたが生涯かけた小説を読ましてもらいます。私が生まれるもっと前のことを教えていただくんですね。それを現代まで引っ張ってくるのは私の仕事です。えらい大きな仕事をいただきました。やりがいのある仕事やけど、ちょっときばらなあきません。見といてくださいね」と住井さんに語りかけてみると、大切な人との出会いを果たした満足感がこみ上げてきた。

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紙の本

紙の本ねこに未来はない

2002/04/01 21:48

文章が歌い、陶酔が訪れる

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 先日、長田弘『読書からはじまる』を読んで、とても幸せな気持ちになれたので、「いっちょ、他のものも読んでみよう」と手に取ったのが本書である。こちらは、全く猫に興味がなかった長田さんが、結婚後に奥さんの提案で猫を飼うことになり、「猫を飼うこと」一年生の長田さんと奥さんが四苦八苦しながら猫を育てていく様子を綴ったエッセイだ。
 またまた幸せな気持ちでいっぱいになれた。『読書からはじまる』の余韻が残っていたのもあるかもしれないと冷静に考え考えしてみた。結果、『ねこに未来はない』単独でも十分に幸せになれる!

 私自身は、特に猫に思い入れの強い方ではないと思う。生まれた時から団地住まいで、猫とも犬ともいっしょに生活をしたことがない。飼いたいと思っても飼える状況ではなかったので、なるべく彼らといっしょに生活する自分などは想像しないようにしていた。こんな私でも、長田さんのエッセイを読むと、「飼えていいなぁ」って思いなどは通り越して、一つの幸せの形みたいなものを共有できて嬉しかった。

 長田さんの書くものを読んでいると、気持ちがとてもゆったりとしてくる。これは長田さんのライフスタイルから来るものとはまた違うように思う。特に、このエッセイが書かれた当時は、長田さんは結婚したてで夫婦共働き、猫を飼える家に住むべく、一畳のそれこそ猫の額ほどの庭付きの家を借りて生活費を搾り出す毎日だった。
 ハートスタイル、こんな言葉聞いたこともないけれど、長田さんは素敵なハートスタイルを持っている人。たとえば、まとまったお金が出来たとして、数ヶ月あるいは一年ぐらい仕事をせずに好きなことをして暮らしたとて、気持ちがゆったりするとは限らないのよね。ハートスタイルの貧しい人は、ライフスタイルを変えてみたって、何も変わりはしないんだってことを教えてもらえた。

 ところで、長田さんは詩人だそうである。私は、長田さんの詩をまだ知らない。ちょっと失礼な奴だ。しかし、長田さんのエッセイを読んでいると、「いかにも詩人!」と感じられる心にジワッと広がる表現が、文章に織り込まれているのに気付く。これがたまらない。

 最後に、長田さんの「心にジワッと広がる表現」を少しだけご紹介して終わりにします。

『仲睦まじい二ひきのねこが日陰でゴヤの裸のマタハリのようにねむりこけている単純な風景。
 綺麗な厚表紙の童話の本をぱたりと閉じてしまうような夏の終わり。
 しまいわすれた風鈴が忘れられた死刑囚のように吊られて鳴っている九月。
 それでも、仲睦まじい二ひきのねこが日向でゴヤの着衣のマタハリのようにねむりこけている単純な風景。』

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紙の本

紙の本法隆寺 世界最古の木造建築

2002/02/03 22:55

建造物が出来上がっていく様子にワクワク

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 素晴らしい本です。穂積和夫氏の詳細なイラストがふんだんに使われていて、金堂が建築されていく様子、五重塔が建築されていく様子が手に取るように理解できる。
 土地をきれいに整地し、礎石を運び、木を切り出し、柱を立て、木を組み上げ…、何もないところに一つの建造物が出来上がる様は、感動的だ。
 平行を出すため、傾斜を調べるために使われる道具など、限られた材料から作られる道具にも知恵の結晶が見られる。重い瓦を支えるために組まれる組物は、一つ一つの部品が機能的に設計されており、且つ雲形に削り出すなどの芸術性も考えられている。
 数えきれないほどの工程を経て初重が組みあがり、続いて上重の組み上げ。そして遂に棟をあげて組み上げは終了。イラストと文章で、金堂が組みあがっていく様子を目で追ってきただけなのだが、『棟をあげた日には、棟上げの儀式が行われ、棟梁をはじめ大工たちをねぎらうために、宴会も開かれたことでしょう。』という文章を読むと、金堂建築に携った人々が、この棟上げの儀式をどれほどの喜びを持って執り行ったのかがわかる気がした。
 棟上げが終わると、瓦を葺き、壁を塗り、壁画や天井画を描くなどの作業になる。昭和の大修理の折に、外からは見えない部分に当時の人達が残した落書きが見つかったなどのエピソードも紹介されていて楽しい。

 本書は、宮大工棟梁の西岡常一さんと、工学博士の宮上茂隆さんの共著である。
 あとがきで、西岡常一さんの話の中にドキッとさせられるものがあった。西岡さんは、日中戦争、大東亜戦争の前後四回徴兵されているのだが、『兵として戦列にいるときも、中国や朝鮮はわが国のお師匠様であったことを思い、』という表現をされている。そうなのである。法隆寺は、中国から技術者がやって来て、あるいは、技術を学ぶために日本の技術者が中国に赴いてこそ建立が成就したのだ。現在の日本が、ポッコリと海から浮かび上がり、そこに日本人が出現し、あれこれちょこまか生活し子孫を増やして今に至っているわけではないことは承知しているだろう。だけれど、まだまだ私達は日本の在り様を深く考えることを怠っているように思う。その証拠に、近い過去に於いて日本人は、中国や朝鮮に向かって武器を向けることをしてしまっているのだから。
 日本を知ろうとすればいいんだ。それだけで、いい。すると、中国、朝鮮、台湾などがしっかりと見えてくるのではないかと思った。

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紙の本

紙の本死神の館

2001/11/01 01:47

ユーモア小説の骨頂

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 テリー・プラチェットの描くディスクワールドのシリーズ物「MORT」の翻訳版だ。今回は死神が人間らしくなろうとした事によって、はちゃめちゃな騒動が持ち上がるというお話。

 死神の仕事は人生時計が終わりに近づいた人、すなわち個々人の砂時計の砂が残りわずかになった人の元に行き、砂の最後の一粒が落ちると同時に鎌でスッパリと体と魂を斬り分けるというものだ。結構多忙な毎日を送っているのである。
 そんな折、ひょんなことからアルバートという男性を死神の館のコックとして雇うことになり、続けてイザベルという女の子を養女として迎えることになる。
 感情を持たない死神だが、感情のある人間と暮らす内に人間そのものに対して興味を持つようになる。そして、人間の弟子を持とうと思い立ち、モルトという風変わりな男の子を死神の館に連れてくる。モルトが仕事を習得するにつれ死神には自由な時間が生まれ、人間を疑似体験するべくあちこちにお出かけする。
 モルトはなかなか優秀な弟子ではあったのだが、そこは人間、感情があるゆえの間違いを起こしてしまう。それが「死んでいるのに死んでいない」人間を作り出すはめに…。歴史が歪む! ディスクワールドの危機か??

 感情がない、俗に言う血も涙もない死神に愛嬌を感じる。嘘を言わないからよけいに笑いをそそられる。

 場面展開も激しく、1度目は話についていくことに労力を費やされるかもしれない。だから本書の醍醐味は再読にある。1度目はクスクス笑った個所も、2度目は大口開けてガハガハ笑ってしまうこと間違いなし。再読した時の方がおかしい小説って、あるようで滅多にないかも。

 くれぐれも再読をお忘れなく。

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紙の本

紙の本ヒトラーの防具 上巻

2001/10/13 09:02

ゲームを楽しむ人間の下で運命をもてあそばれる人びと

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『総統の防具』というタイトルで単行本になっていたが、文庫化するに当たって『ヒトラーの防具』と改題された。
 東西ドイツの壁が取り払われて久しいベルリンの街を、剣道仲間が車を走らせている。道すがらネオナチのデモ行進を目にしたりしながらベルリン経済大学の倉庫に到着して彼らが見たものは、日本がヒトラーに献上した剣道の防具一式「ヒトラーの防具」と香田という日本軍人が所有していたノートと手紙の束だった。
 ここで時代は一気に逆戻りし、1938年4月、ベルリンに赴任した香田の手記から物語が展開されていく。ヒトラーはすでに神格化されたような存在になりつつあり、ドイツ国民は本来のドイツ国民ではなくなりつつあった。日独伊三国同盟樹立、アメリカによる日米通商条約破棄、独ソ不可侵条約、独軍ポーランド侵攻、英仏の対独宣戦、日ソ停戦、日本の真珠湾攻撃、日米開戦などページをめくるごとに目まぐるしく変化する世界が展開されるが、過去の歴史を再確認するというよりも「国盗りゲーム」の成り行きを見守っている感覚が先に立つ。そして、この「国盗りゲーム」がゲームではなく人間と人間が血を流し合った本物の戦争であったことを考えた時、恐ろしさに身震いが起こり、人間の浅はかさを肝に銘じられる思いがした。
 希望に燃えてベルリン入りを果たした香田だが、ミュンヘンで精神病院の医師をしている兄、雅彦から患者の間引きや人体実験の事実を知らされ、またユダヤ人連行の現場を見て、無力な自分を感じながらも「狂気に引きずられて驀進するドイツ」をしっかりと見ることが自分の使命と考えるようになる。
 ヒルデという女性との恋愛、ベルリンフィルのオーボエ奏者ルントシュテット氏とその妻、家具職人のヒャルマー爺さんなどとの暖かい交流を描いた物語が「国盗りゲーム」の残酷物語に重なって、美しくも悲しい協奏曲を奏でている。
 香田が戦争を博奕(ばくち)に例えている個所が印象に残った。
 「…この論理こそ博奕の論理、それも博奕で身代をつぶした男の考え方と相似ではないか。博奕をやめれば、今まで損した分を取り返せない。損失分を取り戻そうとしてまた博奕に手を出す。それも危険度の高い方に張ってしまうのだ。そうやって元手をすっかり無くしてしまうまで、この狂態は続く。」

 ベルリンの街がズタズタに壊れていく中で香田の手記は終わるのだが、この最後の部分でアッ! と声をあげる最大の山場が残されている。
 本書は、壮大な構想のもとに仕上げられた傑作サスペンスである。

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紙の本

紙の本五重塔 改版

2001/06/04 23:07

舐めるように味わいたい一冊

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 「のっそり」のあだ名で呼ばれる、大工「十兵衛」。親方連にお世辞の一つ二つ言う才もなく、仲間との付き合いもせず、年がら年中下働きの貧乏暮し。そんな十兵衛が、一世一代をかけて五重塔建立を果たすお話。

 究極のエゴイズムに徹し、その結果、究極のものが出来上がる様は圧巻だった。そして、究極のエゴイズムに徹して、究極のものを生み出す人間というのは、つねに内にメラメラと炎を燃やしていなければならないものだと実感した。
 文語体で書かれてあるので、さぞかし読み難いだろうと気負って手に取ったが、そんな心配は読み始めてすぐに吹き飛んでしまった。読み難いどころか、非常に心地良い。十兵衛ほか、親方の源太、感応寺のお上人様など、この文体ゆえにより魅力を感じることが出来た。
 尤も、岩波文庫のものには丁寧なルビが打ってあるので、これがなければかなり辛かっただろうことは確かだが。

 読み終わるのが惜しいような気持ちで本を閉じた後、「果たして自分の内には炎が燃えているだろうか?」と考えた。また、「自分には、一生のうちで究極のエゴイズムに徹する場面が訪れるだろうか?」とも考えた。そして、「少なくとも、究極のエゴイズムに徹する場面が訪れた時には、それがただのわがままであったという事だけにはならないようにしよう!」と心に誓うのであった。

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紙の本

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 昨今の不況、本離れ、書店の大型化、ネット書店の出現など色々な理由から、年間で何千という書店が廃業に追い込まれている。私の住む神戸も例外ではない。ポツポツと店をたたむところが後を絶たない。その中には、何度か本を買い求めたお店も含まれていて、「不便になるなぁ。」「時代の流れというものかなぁ。」と寂しい思いがした。
 『烏書房』という本屋が、2001年10月に閉店した。「不便になるなぁ。」とは思わなかった。元々便利な場所にあったわけではなく、元町から鯉川筋という通りをテクテク歩いて登らなければたどり着かないお店だった。わざわざ行く道すがらがワクワクとなるような本屋さんだった。「時代の流れというものかなぁ。」とは思えなかった。『烏書房』が潰れてしまうような時代の流れなら、この時代はどこかが狂ってきていると思って悔しかった。私が『烏書房』を知り、すぐに虜になってしまった後3カ月の出来事である。

 『街の本屋が「カア!」と啼く』は、前出の『烏書房』の店主であった川辺さんの手記である。副題が「からすの本屋熱血風雲ボンボンビンボ録」となっているように、支払いに追いまくられながらのビンボ(貧乏)な毎日が綴られていて大笑いしてしまう。ビンボの様を読んで大笑いとは何事!と眉をひそめる向きもあると思われるが、『星を売る店』を作り続けた川辺さんの周りには、ビンボも恐れをなして逃げていくような(実際は逃げて行ってはくれなかったのだが)、飛び切りの人達が集まっている。そして、その人達を交えたエピソードは、最高に楽しくて最高におかしくて最高に暖かい。
 とうとうお金が行き詰まって、本を仕入れることができなくなったので閉店を余儀無くされた『烏書房』。閉店の日、川辺さんは一人涙しながら片付けを…、しなかった。地元はもちろん、全国津々浦々から『烏書房』を愛する人々が押し寄せ、最初で最後の「本屋で飲む会」が盛大に行われたのだ。

 本書には、川辺さんの手記の他に太郎吉野氏執筆の短編小説が4編収められている。川辺さんは小説家でもあり、小説を書く際には「太郎吉野」という名に変身する。後半に収められている『平成くだんがたり』『猫寺』と読み進めていくと、前半の手記は遠いかなたに飛んで行ってしまい、それぞれのストーリーにぐいぐいと引き込まれた。
 『平成くだんがたり』では、ド田舎にマイホームを持った悲哀の漂う家族と、そこにやって来たおかしな顔をしたテッチャンという牛の物語をファンタジックに描いている。現実感とファンタジーの振りかけ具合、混ざり具合がたまらない。このたまらなさ加減は、『猫寺』でも同様である。
 『烏書房』のことは頭からすっかり抜け落ちて、太郎吉野の世界にどっぷりつかりかかったところで紙がつきた。「あぁ、残念。」と思っているところにふと思い出したのが、本の間に挟み込まれていた『まぼろし文庫』という豆本である。「これは何だったのだろう?」と開いてみると、あった! ありました。太郎吉野氏の短編がまだあった! 『猫と地下足袋』と『おかん箱』の2編が、かわいらしい豆本にチンと並んでいた。本体を横に置いておいて、豆本にいそいそと取り掛かった。全く「いそいそ」という表現がぴったりの心持ちだった。

 『烏書房』はなくなってしまったけれど、川辺さんはこれからも私に満点の星空を見せてくれることだろうと思う。
 おひとつくださいな。川辺さんにもらった星は、ポケットに入れても輝きが消えることはなかった。

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