サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

  1. hontoトップ
  2. 本の通販
  3. 歴史・地理・民俗の通販
  4. 民俗・文化の通販
  5. 風媒社の通販
  6. 柳田国男讃歌への疑念 日本の近代知を問うの通販

「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。

電子書籍化お知らせメール

商品が電子書籍化すると、メールでお知らせする機能です。
「メールを登録する」ボタンを押して登録完了です。
キャンセルをご希望の場合は、同じ場所から「メール登録を解除する」を押してください。

電子書籍化したら知らせてほしい

  • みんなの評価 5つ星のうち 5 1件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:1998.4
  • 出版社: 風媒社
  • サイズ:20cm/279p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-8331-0515-2
  • 国内送料無料

紙の本

柳田国男讃歌への疑念 日本の近代知を問う

著者 綱沢 満昭 (著)

日本の民俗学の創始者はどのような国民・国家像を描き、民衆の生活に何を求めたのか。日本的近代知の目を持つ柳田の人と学問、その政治性を再検討、功罪を明らかにするとともに、近代...

もっと見る

柳田国男讃歌への疑念 日本の近代知を問う

税込 3,080 28pt

予約購入とは

まだ販売されていない電子書籍の予約ができます。予約すると、販売開始日に自動的に決済されて本が読めます。

  • 商品は販売開始日にダウンロード可能となります。
  • 価格と販売開始日は変更となる可能性があります。
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて予約購入しても、予約一覧から簡単にキャンセルができます。
  • honto会員とクレジットカードの登録が必要です。未登録でも、ボタンを押せばスムーズにご案内します。

予約購入について詳しく見る

ワンステップ購入とは

ワンステップ購入とは、ボタンを1回押すだけでカートを通らずに電子書籍を購入できる機能です。

こんな方にオススメ

  • とにかくすぐ読みたい
  • 購入までの手間を省きたい
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて購入しても、完了ページもしくは購入履歴詳細から簡単にキャンセルができます。
  • 初めてのご利用でボタンを押すと会員登録(無料)をご案内します。購入する場合はクレジットカード登録までご案内します。

キャンセルについて詳しく見る

このセットに含まれる商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

商品説明

日本の民俗学の創始者はどのような国民・国家像を描き、民衆の生活に何を求めたのか。日本的近代知の目を持つ柳田の人と学問、その政治性を再検討、功罪を明らかにするとともに、近代日本の知と修養への問いかけを試みる。【「TRC MARC」の商品解説】

関連キーワード

あわせて読みたい本

この商品に興味のある人は、こんな商品にも興味があります。

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

この著者・アーティストの他の商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

みんなのレビュー1件

みんなの評価5.0

評価内訳

  • 星 5 (1件)
  • 星 4 (0件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

柳田再考の提言から多くの示唆を手に入れることのできる本

2001/01/28 07:18

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ホセ・マッチョス - この投稿者のレビュー一覧を見る

 柳田国男の長きに渡った膨大な仕事に対して、一方的に讃歌を寄せたり、または反対に悪意とも取れるような解釈をもって何かを述べることは、もうほとんど意味がない。私たちは、人でも芸術作品でもどのような対象であっても、まるでノストラダムスの予言をアクロバティックに導き出すようにして、天と地ほどの差のいかなる評価をも与えることができるからだ。できうることならばそのどちらでもない場所に立ち、近代国家の形成期におかれた一級の知識人としての柳田が、日本における近代化というものについてどのように考えていたのかのその足跡について丹念に、ときにはダイナミックに読みとっていく必要があるだろう。
 柳田の創出した「常民」というこの波乱含みの概念の内実は、たとえば「国民」というもう一つの恣意的な集団と比較することで、何か得るものが生まれると私には思われる。著者が言うように「常民」は、「奇麗すぎ」「上品すぎ」「表面的すぎ」かもしれない。しかし、それは人々の実感と乖離して想定される「国民」という集団においても変わらないのではないだろうか。「常民」は今でも、「国民」と相対化させることのできる一つの可能性として存在していると私は思う。西洋からの近代の洗礼を自覚するにはあまりにもすでに深く浸ってしまっている私たちが、「国民」やあるいは「国家」というものをもう一度捉え直すための道具として、柳田の文章を機能させることができるだろう。
 著者が批判の一つの源として取り上げる、柳田の失われてしまった故郷に対する屈折した思いというのも、むしろ現代の私たち多くの感覚と非常に近しいものがある。今を生きる多くの人々にとって、帰るべき故郷などもう探すことが難しくなってきている。そのような感覚は、柳田の生きた時代以上のものがある。そこで私たちははたして、柳田のように一体感を感じることのできる共同性を取り戻す必要を感じているのか、そして取り戻すための手段を手に入れることができるのか、またはその必要はないのか。
 柳田の一連の文章は、20世紀以降急速に意味をもち始めたナショナリズム(生きることの意味を与えてくれるイデオロギー)とは異なる、日本における近代のあり方を模索するための一つの試みとして捉えることができる。そのようなことをつらつらと考えることができたこの本は、私にとって非常に喚起的な本であったと言うことができるだろう。表題ほどには悪意の視線で貫かれていないことがその大きな要因であり、内容的に大きな広がりをもった本である。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。