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紙の本
柳田再考の提言から多くの示唆を手に入れることのできる本
2001/01/28 07:18
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投稿者:ホセ・マッチョス - この投稿者のレビュー一覧を見る
柳田国男の長きに渡った膨大な仕事に対して、一方的に讃歌を寄せたり、または反対に悪意とも取れるような解釈をもって何かを述べることは、もうほとんど意味がない。私たちは、人でも芸術作品でもどのような対象であっても、まるでノストラダムスの予言をアクロバティックに導き出すようにして、天と地ほどの差のいかなる評価をも与えることができるからだ。できうることならばそのどちらでもない場所に立ち、近代国家の形成期におかれた一級の知識人としての柳田が、日本における近代化というものについてどのように考えていたのかのその足跡について丹念に、ときにはダイナミックに読みとっていく必要があるだろう。
柳田の創出した「常民」というこの波乱含みの概念の内実は、たとえば「国民」というもう一つの恣意的な集団と比較することで、何か得るものが生まれると私には思われる。著者が言うように「常民」は、「奇麗すぎ」「上品すぎ」「表面的すぎ」かもしれない。しかし、それは人々の実感と乖離して想定される「国民」という集団においても変わらないのではないだろうか。「常民」は今でも、「国民」と相対化させることのできる一つの可能性として存在していると私は思う。西洋からの近代の洗礼を自覚するにはあまりにもすでに深く浸ってしまっている私たちが、「国民」やあるいは「国家」というものをもう一度捉え直すための道具として、柳田の文章を機能させることができるだろう。
著者が批判の一つの源として取り上げる、柳田の失われてしまった故郷に対する屈折した思いというのも、むしろ現代の私たち多くの感覚と非常に近しいものがある。今を生きる多くの人々にとって、帰るべき故郷などもう探すことが難しくなってきている。そのような感覚は、柳田の生きた時代以上のものがある。そこで私たちははたして、柳田のように一体感を感じることのできる共同性を取り戻す必要を感じているのか、そして取り戻すための手段を手に入れることができるのか、またはその必要はないのか。
柳田の一連の文章は、20世紀以降急速に意味をもち始めたナショナリズム(生きることの意味を与えてくれるイデオロギー)とは異なる、日本における近代のあり方を模索するための一つの試みとして捉えることができる。そのようなことをつらつらと考えることができたこの本は、私にとって非常に喚起的な本であったと言うことができるだろう。表題ほどには悪意の視線で貫かれていないことがその大きな要因であり、内容的に大きな広がりをもった本である。
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