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商品説明
ダダイスト、シュルレアリストの盲目的な崇拝を受け、渋沢竜彦、寺山修司らの偏愛を受けたフランスの作家・レーモン・ルーセル。彼の奇矯な生涯、奇妙な創作術、夢幻的な綺想世界を、膨大な新資料を交えて論じる。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
岡谷 公二
- 略歴
- 〈岡谷公二〉1929年東京都生まれ。東京大学文学部美学美術史学科卒業。現在、跡見女子大学教授。著書に「南海漂泊」ほか。
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紙の本
レーモン・ルーセルとは誰か
2005/01/07 16:59
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
レーモン・ルーセルという人物は、二十世紀初頭にふたつの小説と幾つかの戯曲、そして多くの詩を書き、少数の人物からは評価されたものの、多くの非難や狂人扱いを受け、成功したとは言いがたい文学者である。それがなぜ一部で注目されているかというと、その作品を作りだした手法がきわめて特殊なものだったからだ。
ルーセルのある短篇では、冒頭と末尾の一文が、一文字だけ異なっている以外はほとんど同じ文章で綴られている。同音異義語を活用して、一つの単語が違うだけでまったく意味の異なる文章を二つ用意し、片方からはじまって、もう片方で終わる小説を作りだすのである。
そのあとに書かれた長篇では、その短篇で用いられた文章から単語を選び出し、その単語とまた他の単語とを組み合わせることで、小説の細部を作っていく。子細に述べると煩瑣になるのでやめておくが、単語と単語とを結び合わせ、普通には意味の通らないような文章を作りだし、その文章が意味の通るような物語を考え出すというのが、彼の長篇小説を支える手法(プロセデ)なのである。
つまり彼は、言葉と言葉の組み合わせからのみ、小説を書いたのだ。
ルーセルは「文学作品が何一つ現実的な要素、世界や人間たちについてのいかなる観察も含んでいてはならず、まったく想像的な言葉の組み合わせ、ただそれだけしか含むべきではない」という文学上の信念を抱いていた。上記の手法はそのなによりの証拠である。
それによって書かれた彼の小説、戯曲はほぼ全篇が、一見荒唐無稽で奇怪なものの大展覧会の様相を呈している。「アフリカの印象」では大みみずがチターを弾き、仔牛の肺臓でできたレールの上を走る彫像があり、「ロクス・ソルス」では特殊な水のなかで踊る女性の髪が、水との摩擦でエアリオンハープのような独特の音色を奏でたり、黒人の血液から採取できる火薬が炸裂するなど、さまざまな綺想に満ちあふれている。
ルーセルは当時シュルレアリストたちに賞賛され、ブルトンらの熱烈な支持を得た。それは上記のような綺想が、夢の分野に由来するものだと思われたこともあるだろう。
しかし、フランスで網羅的な全集が刊行されるまでの注目を集めたのは、幾つか理由があると思う。ひとつは、フーコーも一冊の本を費やして論じた、彼の「手法」の特異さ。小説を深層から規定する法則の示唆は、ルーセルの小説を素朴に読むことを不可能にした。
そしてまた、ロブ=グリエ、ジョルジュ・ペレック、マルセル・デュシャン、サルバドール・ダリといった作家芸術家らが、その影響を受けているのである。ロブ=グリエはルーセルの「眺め」に影響を受けた「覗くひと」を書き、ペレックはルーセルの架空の自伝をでっちあげ、「人生 使用法」においてルーセルの文章を散種する。デュシャンは「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」の「責任者」がルーセルであると明言し、ダリはルーセルの小説と同題の「アフリカの印象」という絵を描く。他にもミシェル・レリス、ミシェル・ビュトール、寺山修司、澁澤龍彦などなどに、ルーセルの影響がこだましている。
錚々たる顔ぶれ、というところだろう。
しかし、決してルーセルの小説は難解ではない。荒唐無稽にも見える綺想の数々はただ美しく、挿話の奇想天外さは「千夜一夜物語」のように面白く、忘れられない強烈な印象を残すだろう。
ルーセルについて知りたいなら、まずこれを読むべきである(フーコーのは、気が向けば)。岡谷公二氏がこれまでに「ユリイカ」「夜想」などの雑誌に書いた論考を集成し、ルーセルについては基本的なことが網羅されている。それだけではなく、新発見された「ロクス・ソルス」の未定稿も収録されており、その草稿も未完成ながら素晴らしい。
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