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紙の本
前門の虎、後門の狼
2004/05/29 00:23
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投稿者:北祭 - この投稿者のレビュー一覧を見る
向井敏によって綴られる畏友開高健の回想記。これが淡い物語に仕上がるはずはなかった。向井敏にとって旧制高校時代からの多感な時代を共に生きた開高健の存在は大きかった。その記憶に埋もれる開高健という鋼の巨像を掘り出す作業は、アパッチ族の仕事さながら、向井敏自身の体を泥まみれにするのである。やがて作業が終えたとき、地表に現れたのは開高健の像ではなかった。向井敏その人の像であった。
向井敏は小説を書かなかった。
なぜか。
書けなかったのである。
同人雑誌「えんぴつ」に参加した大学生向井敏。すぐそのバックナンバーを借りて開高健と谷沢永一の書いた文章を仔細に読んだときのことを回想する。
「二人の作品を読みえたとき、私のなかにかつて経験したことのない感情が動いていた。何かのおびえにちかいものではなかったかと思う。…その二人は私と同世代で、しかもつい身近にいた。そして一人は小説家を、一人は批評家を生涯の目標と定め、そのこころざすところについて明確な認識をもち、そのうえで思考をととのえ、才能を研ぎだそうとしていた。それを眼の前にして平静でいられるわけがなかった。不安がはいのぼってくる。小説であれ、批評であれ、彼らに伍してやってゆけるのだろうか。それだけの能力がはたして私にあるだろうか。」
眼の前にあるのは物書きとして生きてゆく道。が、前門には小説家開高健、後門には評論家谷沢永一がいた。向井敏のもつ「天性の読みの深さ」が彼らの才能をいち早く見抜き、ために自身一歩も身動きが取れなくなったのではあるまいか。
向井敏の「もだえ」を俊敏に感じ取っていたに違いない開高健は、いつも遠まわしな言い方で「ぐずぐずしないで書け」とのシグナルを送っていたという。
「書けというのは小説のことである。彼が私に書けというときはいつもそうだった。まるで小説以外には何も期待していないかのように。…しかし、私はそのけしかけを聞いて聞えぬふりをするしかなかった。書きたいもの、書くべきものがなかったわけではない。書く技術にまったく無知だったというのでもない。ただ、書く以上は開高健にも眼をあげさせ、谷沢永一にもその判官気質を発動させるに足るものでなければならないという、気負いというか、思いあがりというか、今思えば滑稽で不遜な思惑が私のなかに渦巻いて、私の手を金縛りにしていたのである。
…それから三十年、しかし、その言葉に私は答えることができなかった。あんなにも手をさしのべてくれたのに何も手渡すことができなかった。」
文学の方法は小説のみではないと、いつも向井敏は教えてくれた。そして残された書評の一群。そのからりと乾いた文章の陰に、これほどの辛苦があろうとは。
「書く」ということの意味をあらためて考えずには居れない。