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紙の本
もっともっと欺いてよぉ。
2003/04/26 11:18
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投稿者:松井高志 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私がもと勤務していた出版社は、元々国木田独歩が作った婦人雑誌が始まりで、新入社員は4月初めの研修期間にガイダンスを受けるが、そこでは国木田独歩は「明治の文豪」ということになっていた。
「文豪」呼ばわりされているわりに、実はほとんどの社員が国木田独歩なんか読んだことがないのだった。ではそういうおまえはどうなんだと言われると、新潮文庫の「武蔵野」を持ってはいたが読んでいなかった。全部ちゃんと読んだのは会社を辞めてからだった。「武蔵野」の中の「忘れえぬ人々」の舞台である溝の口に住んでいるので、なじみの場所も出てきて、入れ込む理由は充分にあるのだが、今時どうしても読んでおかねばならない名作であるとは思わなかった。ところによっては「文豪」なのに、なんだか独歩という人は気の毒だ。略年譜などを見ると、彼は24歳のときに結婚したが、半年のうちに奥さんに逃げられている。この経緯は当時一級のスキャンダルで、後に有島武郎が代表作「或る女」(愚考するに、これが日本のへんてこな「近代小説」のスタートじゃないか? )の素材にした、というので知られている。
およそこの間の独歩の日記が「欺かざるの記」(抄)で、その別離のプロセスが実にややこしく、まわりくどく吐露されるのだが、「浪漫的恋愛と近代的自我の内面が刻明に」(背表紙のコピー)語られているのはまぁ大負けに負けて事実として、いかに明治時代とはいえ、こう至る所でおのれの「理想」のおもむくまま、カドを立てまくる難儀な男では、あっという間にかみさんに出て行かれるのも仕方ないかなぁ、と思う。この日記は明治41年、つまり筆者が37歳で亡くなった直後に刊行されているが、はっきりいってこういうこっぱずかしいものが本にされてしまうところに、「私」の告白に「真実」が含まれるという日本の小説・小説家につきまとい続ける信仰がすでにみられる(『空想』を排して『事実』だけを語る詩人たちの自己表白がたんに小説として扱われるだけでなく、それゆえに小説の『本道』とされる我國に獨自な事態が生まれた」(中村光夫「日本の近代小説」岩波新書))。独歩と後世、袖振り合った者の一人として、ここにご紹介しておく。だってなんだか不憫な人なんだもんな(そう思わせるのも作家の才能の一部なのか)。これも浮き世の義理とやら。