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あじさいの唄 第1集 紫陽花 (Big comics special)
あじさいの唄 紫陽花(あじさい)の巻
紙の本 |
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- 税込価格:5,840円(53pt)
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紙の本
いまどきのこどもが、これを読んで笑っているのを見て、ぼくは驚きながら、心なしか、微かにではあるけれど、ほっとしたような気がしている。
2004/03/30 01:17
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投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
*前置き……僕は個別指導塾で国語(だけではないが)を教えていて、ときどき漫画を教材に使う。岡崎京子さんとか楠本まきさんとか狩撫麻礼さんとかかわぐちかいじさんとか、僕好みの漫画を使うわけにもいかないから、ほのぼの系のギャグ漫画『あじさいの唄』を選んでみたら、予想外にウケた。あくまでもその子の場合は、ということに過ぎなくて、それを「いまどきのこども」なんて一般化しようとする自分を僕は恥ずかしく思いもするのだけれど、でも、なんだかほっとしたので、書いてみようと思った。
<紫陽花>(第一話のあらすじと感想文)
雨の日、紫陽花のかげに栗太郎はのら犬を見つける。その哀れに濡れた姿(どうやら、まだ子犬のようである)を可哀想に思った栗太郎が、さっそく父に「のら犬が雨の中を……」と報告しにいくと、父は「んなもん追っぱらえばええじゃろうが、追っぱらえば」と、にべもない。しかたなく食べ物をもって犬のところに戻って「これ食べたらどこかに行っておくれよ」と告げる栗太郎であったが、のら犬の哀れな表情を見て、やはりこのまま見捨てるわけにはいかないと、父のもとへ駆け戻って涙ながらに訴える。
初めは、<のら犬ごときに憐憫の情を抱くなど男の風上にもおけぬ、男子たるもの常に毅然としておらねばならぬ>と武士道的な教育方針を貫こうとした父も、息子のやさしさ、そして母のいない息子の寂しさ(のら犬が庭に埋めてあった古い壺を<ここほれワンワン>的に見つけ出して、そこに父が亡き母に対して送った「好きじゃ」一辺倒の愚直な恋文が山のように入っている。わざわざ<栗太郎には母がいない>なんて書かずに、こんなふうにして、さりげなく栗太郎の母の死を読者に知らせるなんて、なかなか洒落た手法である。でもって、栗太郎はその後、初恋の人である雪乃さんに恋心を告げるがあえなく撃沈……のら犬に「悲しき遠吠え」のやり方を教えてもらう……「アオーン、アオーン」)を考え、それ以上「捨てて来い」とも言わず、いわば「暗黙の了解」を与える。
そして一週間後、「父上、栗之助が家にきて、もう一週間になります。栗太郎一生のお願いです。栗之助をこのままうちへおいて下さい」(栗太郎は自分の名前から一字取って、犬に<栗之助>という名前を付けている。実は連れてきたその瞬間に……。そういうものである、子どもというのは。さらに言えば、人が誰かに親愛の情を持つとき、それは<その誰かの名前を呼ぶこと>から始まるのかもしれない。)と頼む栗太郎に対して、父は言う。「今さら捨てにいくというわけにもいかんじゃろう? ん?」
いいやつじゃないか、父上!
で、父上、栗太郎、栗之助。二人と一匹の(三人の?)おもしろおかしい、それでいてどこか哀しい物語の幕が切って落とされるわけである。(つづく)
*最後に、僕の生徒の第二話「秋風」についての感想文の一部を勝手に引用(たぶん著作権はないから)。
「栗太郎が栗之助を守るときとか、栗之助が栗太郎を守るときとかに、顔がおもしろくなっていたことは、ふたりの友情の証なのかなと思った」
コメント:やるじゃないか、×××くん。ちょっと感動したぜ、あまりの読みの鋭さ(?)に。(念のために強調しておくと、決してバカにしているわけではない。彼は確かにその漫画を読み進めながら、ときどき栗太郎たちが変な顔をすることに純粋な疑問を抱いて、「なんで?」と僕に訊いてきたりもしていて、正直に言えば僕は「そんなんギャグ漫画なんやから、当然やんか」と思いながら「どうしてやろなあ」とお茶を濁していたのだが、彼の感想文を読んでみたらそんな凡庸な僕の度肝を抜く解釈が示されていたわけで、大いに唸ったのである。)「友情の証」か……いいこと書くじゃないか。その言葉が自分の心に浮かんだこと、そしてそれを文章にしたためたこと、ぜったいに忘れるなよ、×××くん。