サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。

電子書籍化お知らせメール

商品が電子書籍化すると、メールでお知らせする機能です。
「メールを登録する」ボタンを押して登録完了です。
キャンセルをご希望の場合は、同じ場所から「メール登録を解除する」を押してください。

電子書籍化したら知らせてほしい

  • みんなの評価 5つ星のうち 3 3件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2000.10
  • 出版社: 河出書房新社
  • サイズ:21cm/159p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-309-72703-4

紙の本

失われた日本の風景 故郷回想 (らんぷの本)

著者 薗部 澄 (写真),神崎 宣武 (文)

土を耕す人がいた、浜で網を曳く男がいた、手伝いをする子がいた…。昭和20〜40年代の農山漁村と村人たちの生活写真。想い出から甦るふるさとの情景。都市懐旧篇に次ぐ故郷回想篇...

もっと見る

失われた日本の風景 故郷回想 (らんぷの本)

税込 1,430 13pt

予約購入とは

まだ販売されていない電子書籍の予約ができます。予約すると、販売開始日に自動的に決済されて本が読めます。

  • 商品は販売開始日にダウンロード可能となります。
  • 価格と販売開始日は変更となる可能性があります。
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて予約購入しても、予約一覧から簡単にキャンセルができます。
  • honto会員とクレジットカードの登録が必要です。未登録でも、ボタンを押せばスムーズにご案内します。

予約購入について詳しく見る

ワンステップ購入とは

ワンステップ購入とは、ボタンを1回押すだけでカートを通らずに電子書籍を購入できる機能です。

こんな方にオススメ

  • とにかくすぐ読みたい
  • 購入までの手間を省きたい
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて購入しても、完了ページもしくは購入履歴詳細から簡単にキャンセルができます。
  • 初めてのご利用でボタンを押すと会員登録(無料)をご案内します。購入する場合はクレジットカード登録までご案内します。

キャンセルについて詳しく見る

このセットに含まれる商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

商品説明

土を耕す人がいた、浜で網を曳く男がいた、手伝いをする子がいた…。昭和20〜40年代の農山漁村と村人たちの生活写真。想い出から甦るふるさとの情景。都市懐旧篇に次ぐ故郷回想篇。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

薗部 澄

略歴
〈薗部〉1921〜96年。東京生まれ。フリーランスのカメラマン。風景写真・民俗写真の第一人者。平成六年度芸術選奨を受賞。著書に「日本の郷土玩具」「日本の民具」など。

あわせて読みたい本

この商品に興味のある人は、こんな商品にも興味があります。

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

この著者・アーティストの他の商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

みんなのレビュー3件

みんなの評価3.0

評価内訳

  • 星 5 (0件)
  • 星 4 (0件)
  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

「失われた日本の風景」は、現在の日本人の暮らしから何が失われたかを静かに語りかけてくる。

2000/12/26 21:15

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:上野昂志 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本の社会は、昭和30年代を境に激変する。そのメルクマールは、東京オリンピックがあった1964(昭和39)年であろう。その前後で、日本人の暮らしが大きく変わるのだ。それをもたらしたのは、高度経済成長である。それが、日本人の、衣食住すべてにわたる生活のあり方を決定的に変化させた。決して大仰な話でなく、人々の顔つきまでも、それ以前と以後では変わってしまったのだ。それは、昭和30年代前半に撮られた写真を見ればわかる。

 本書に収められた薗部澄の写真で、もっとも多いのは、昭和30年のものである。撮られているのは、おもに農山漁村の家や人や仕事であるが、それらを見ていると、まさにタイトル通り、いまは「失われた日本の風景」という思いにうたれる。たとえば最上川をくだる四角い一枚帆の舟があるかと思えば、着ござを身にまとった子どもや女の人の姿があり、ねんねこで赤ん坊をおぶったお婆さんがいる。あるいは、田を耕す人がおり、山で炭を焼く人がいる。
 なんとも懐かしい風景である。だが、たんに懐かしいだけではない。ここには、いまの日本人の生活から失われてしまった、健康さがあるからだ。たとえば、それを神崎宣武は、こんなふうに書く。

「子どもの本分は、外で遊ぶことにあった。家で手伝いすることにあった。そして学校で学ぶことにあった。
 家の事情によって、その役割の配分がちがってくる。が、その三つをこなすのが子どもであった。かつての子どもであった、といい直すべきか。現在、子どもたちは学ぶことが中心。」

 「子どもの本分」の三つの並べ方に注意してほしい。確かに、昭和30年代までの子どもたちは、このような順序で、子どもの本分をまっとうしていたのだ。ところが、その一番目と二番目が、本分の位置を奪われてしまった。学校が、子どもの生活の中心になり、子どもの世界全体が「学校化」してしまったからである。

 むろん、いまでも子どもは遊んではいる。が、それは学校の同じ学年の、同じクラスの友だちとであって、かつてのように、近所の、年齢のまちまちな子どもたちとではない。昔は、学校とは別の、近所の友だちという集団があったのに、いまでは、すべてが学校に取り込まれてしまったのである。だから、クラスのなかでイジメを受けても逃げ場がない。また、家事が電化されたり、親の仕事が機械化された結果、子どもに手伝いをさせるということがなくなった。その結果、手伝うことによって「学ぶ」さまざまなことが失われてしまった。

 これは、一つの例に過ぎない。生活のさまざまな局面で、こういったことが、経済的に豊かになり、便利になるという反面において進行したのである。本書に収められた写真を見ているうちに、そのことに気づかせられる。つまり、「失われた」のは、たんなる「日本の風景」ではない。風景と同時に、それを生み出していた生活のかたちや、それを支えていた人間の健康さも失われたということなのである。 (bk1ブックナビゲーター:上野昂志/評論家 2000.12.27)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2009/08/15 13:18

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2011/09/23 21:01

投稿元:ブクログ

レビューを見る

×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。