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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2000.10
- 出版社: 河出書房新社
- サイズ:21cm/159p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-309-72703-4
紙の本
失われた日本の風景 故郷回想 (らんぷの本)
土を耕す人がいた、浜で網を曳く男がいた、手伝いをする子がいた…。昭和20〜40年代の農山漁村と村人たちの生活写真。想い出から甦るふるさとの情景。都市懐旧篇に次ぐ故郷回想篇...
失われた日本の風景 故郷回想 (らんぷの本)
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商品説明
土を耕す人がいた、浜で網を曳く男がいた、手伝いをする子がいた…。昭和20〜40年代の農山漁村と村人たちの生活写真。想い出から甦るふるさとの情景。都市懐旧篇に次ぐ故郷回想篇。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
薗部 澄
- 略歴
- 〈薗部〉1921〜96年。東京生まれ。フリーランスのカメラマン。風景写真・民俗写真の第一人者。平成六年度芸術選奨を受賞。著書に「日本の郷土玩具」「日本の民具」など。
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紙の本
「失われた日本の風景」は、現在の日本人の暮らしから何が失われたかを静かに語りかけてくる。
2000/12/26 21:15
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:上野昂志 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の社会は、昭和30年代を境に激変する。そのメルクマールは、東京オリンピックがあった1964(昭和39)年であろう。その前後で、日本人の暮らしが大きく変わるのだ。それをもたらしたのは、高度経済成長である。それが、日本人の、衣食住すべてにわたる生活のあり方を決定的に変化させた。決して大仰な話でなく、人々の顔つきまでも、それ以前と以後では変わってしまったのだ。それは、昭和30年代前半に撮られた写真を見ればわかる。
本書に収められた薗部澄の写真で、もっとも多いのは、昭和30年のものである。撮られているのは、おもに農山漁村の家や人や仕事であるが、それらを見ていると、まさにタイトル通り、いまは「失われた日本の風景」という思いにうたれる。たとえば最上川をくだる四角い一枚帆の舟があるかと思えば、着ござを身にまとった子どもや女の人の姿があり、ねんねこで赤ん坊をおぶったお婆さんがいる。あるいは、田を耕す人がおり、山で炭を焼く人がいる。
なんとも懐かしい風景である。だが、たんに懐かしいだけではない。ここには、いまの日本人の生活から失われてしまった、健康さがあるからだ。たとえば、それを神崎宣武は、こんなふうに書く。
「子どもの本分は、外で遊ぶことにあった。家で手伝いすることにあった。そして学校で学ぶことにあった。
家の事情によって、その役割の配分がちがってくる。が、その三つをこなすのが子どもであった。かつての子どもであった、といい直すべきか。現在、子どもたちは学ぶことが中心。」
「子どもの本分」の三つの並べ方に注意してほしい。確かに、昭和30年代までの子どもたちは、このような順序で、子どもの本分をまっとうしていたのだ。ところが、その一番目と二番目が、本分の位置を奪われてしまった。学校が、子どもの生活の中心になり、子どもの世界全体が「学校化」してしまったからである。
むろん、いまでも子どもは遊んではいる。が、それは学校の同じ学年の、同じクラスの友だちとであって、かつてのように、近所の、年齢のまちまちな子どもたちとではない。昔は、学校とは別の、近所の友だちという集団があったのに、いまでは、すべてが学校に取り込まれてしまったのである。だから、クラスのなかでイジメを受けても逃げ場がない。また、家事が電化されたり、親の仕事が機械化された結果、子どもに手伝いをさせるということがなくなった。その結果、手伝うことによって「学ぶ」さまざまなことが失われてしまった。
これは、一つの例に過ぎない。生活のさまざまな局面で、こういったことが、経済的に豊かになり、便利になるという反面において進行したのである。本書に収められた写真を見ているうちに、そのことに気づかせられる。つまり、「失われた」のは、たんなる「日本の風景」ではない。風景と同時に、それを生み出していた生活のかたちや、それを支えていた人間の健康さも失われたということなのである。 (bk1ブックナビゲーター:上野昂志/評論家 2000.12.27)