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沖縄女性史 (平凡社ライブラリー)
著者 伊波 普猷 (著)
政治と宗教の関係を軸に女性の地位や役割、経済生活、家族制度、女子教育等を論じ、女性史という視点から新たな沖縄像を提示する。小沢書店1919年刊行本に、「琉球女人の被服」等...
沖縄女性史 (平凡社ライブラリー)
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商品説明
政治と宗教の関係を軸に女性の地位や役割、経済生活、家族制度、女子教育等を論じ、女性史という視点から新たな沖縄像を提示する。小沢書店1919年刊行本に、「琉球女人の被服」等女性史関連論集を併録。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
伊波 普猷
- 略歴
- 〈伊波普猷〉1876〜1947年。沖縄生まれ。東京帝国大学言語学科卒業。沖縄文化の研究と啓蒙活動に従事。著書に「古琉球」「をなり神の島」など。
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書評後編:内部人でありながら、外部人でもあったノマドの学者
2000/12/26 12:15
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投稿者:越川芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
〜 書評前編より 〜
「15世紀の尚氏による統一王朝以降、なぜ琉球の女性が宗教行事に励むようになったのか?」という疑問。それに関連して、「琉球王国発足とともに、“国民最高の神官”聞得大君(きこえおおきみ)を頂点として、大あむしられ、のろくもい、根人(ねちゅ)、神人(かみんちゅ)と軍隊組織のようながっちりした縦系列の神道組織が作られたのはなぜか?」という疑問。「なぜ辻、仲瘍、渡地(わたんじ)の三遊郭が那覇で発達するようになったのか?」という疑問。「なぜ琉球の女性が巫女(ユタ)という医者兼予言者のような存在に依存してきたのか?」という疑問。「琉球古代、とりわけ八重山諸島では、なぜ女性の裸の踊りがあったのか?」という疑問。そうした沖縄の女性にまつわる疑問に対して書かれた伊波の論文やエッセイは、確かに沖縄の旧来の男女関係のひずみを背負った一学者の苦闘を出発点にし、それを発展させたものだけあって、読み応えがあります。しかし、それだけではありません。伊波の文章は内部の人でありながら、かつ外部の人であるということからくるダブル・パースペクティヴ(E・サイード)に貫かれています。たとえば、伊波はユタをはじめとする、沖縄に存在する特異な風習や制度を、その歴史的・汎世界的意義を解きおこし弁護しながらも、一方で「いかなる美しい制度もその使命を全うした暁には、新しい制度にその位置を譲ってなくなるのが、制度それ自身の理想であろう」と、シビアな意見を述べます。伊波はたんに沖縄の女性史を研究するのみならず、啓蒙家として、「なぜ女子に教育が必要なのか?」ということを男性にも女性にも熱く説きました。尊敬する母のかかわったユタを伊波が悪習と決めつけた、その背後には、「用が済んだ後まで、それが勢力を逞しうすると、動(やや)もすれば、その制度は牢獄と化して、人間を奴隷化するものである」という近代人としての信念がありました。
伊波は沖縄を捨てて東京に出ていきましたが、東京に出ていっても、伊波は学問としての沖縄を捨てたわけではありませんでした。むしろ、沖縄の外からアウトサイダーとして前近代の沖縄を研究した点に伊波の真骨頂がありました。その点では、伊波はノマドの学者だったのです。沖縄を外なる視点で見て、内部人として書くこと。そこにぼくは現代の沖縄の最良の書き手である、目取真俊(『魂込め』)や崎山多美(『ムイアニ由来記』)につながるものを見るのです。高良倉吉氏(『琉球王国』)によれば、伊波の弟子たちが浦添城跡の一角に墓を建てたといいますが、その墓庭には顕彰碑が建っていて、その碑にはこうした文句が刻まれているそうです。
おもろと沖縄学の父、伊波普猷
彼ほど沖縄を識(し)った人はいない
彼ほど沖縄を愛した人はいない
彼ほど沖縄を憂いた人はいない
彼は識った為に愛し、愛した為に憂えた
彼は学者であり愛郷者であり予言者であった
(bk1ブックナビゲーター:越川芳明/翻訳家 2000.12.26)