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紙の本
「脳死」≠「人の死」という視点から語られ容認される臓器移植
2001/11/25 00:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「健康人である大多数の国民が殆ど関心を持たない問題、しかも、その本質までしっかり理解しようという関心を積極的に抱きにくい問題」(本文より)——「脳死」と「臓器移植」。
限りなく黒に近い灰色として認識されている和田移植(1968)や筑波大の膵腎移植(1984)、ICUでの見聞をまとめて『見えない死』(文藝春秋1985)を発表した著者が、「臓器の移植に関する法律」(1997[平成9]年7月16日 法律第104号)が制定されてから3年経ち、いまだにさまざまな誤解やごり押しが渦巻いている現状を危惧し、今一度「脳死」や「臓器移植」を問う意味で世に問う書である。
「脳死」を一律で「人の死」としようとする動きが最近(2000年の町野案など)になって再び胎動を始めていることを憂い、そうではなく「脳死」を例外的な死とし、そこから臓器移植をする道こそが、反対派・賛成派に共通の着陸地点ではないか、という論を提示している。著者の論は生者を死者にする論でもある。だが、さまざまな問題が「脳死」と「臓器移植」を取り囲んでいる現状では、これしかないのではないかと私は思う。また、一律的な死を法で規定してしまえば後は万々歳だとする一部の推進派の考え方には、彼女と一緒に疑義を呈することしか私には出来ない。
著者のそのような論を「アウシュビッツ的だ」として批判する刑法学者に対し、著者は、「しかし、観念の中で脳死状態にある患者を死んでいるものにしてしまいさえすれば、観念の中のアウシュビッツ強制収容所なるものも消え去ってしまうということのほうが、私にはよっぽど怖いように感じられるが、如何なものであろうか。」と、言葉は緩やかだが、実質的には強い態度で臨んでいる。
臓器移植法が制定されたときに一体何が起こっていたのか、恐らくこの国の大部分の人間が全く知らなかったことも詳細にリポートされている。情報開示とプライバシーという困難な問題にも果敢に取り組んでいる。2000年秋に来ると予想されていた臓器移植法改正についても、「脳死」や「臓器移植」の深い理解をもとにした批判を展開している。なのにこれが標準的な新書サイズに収まっている。賛成派にも反対派にも強くお薦めできる。まだどちらとも態度を決めかねている人にも。
なお、内容が論理的で硬派であるにも拘わらず、文章は平易で非常に読みやすい。これは著者が問題を非常に包括的によく把握しているためである。
紙の本
2001/3/4朝刊
2001/03/12 22:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あまり大きな話題にならなかったが、昨年十月は日本の臓器移植に関して一つの節目であった。一九九七年に施行された「臓器移植法」が三年間の経過期間を終え、見直しが行われる時であったからだ。現実にはそうした検討は行われず、なんとはなくもう少し、様子を見ようということになった。
臓器移植法は長い時間をかけた議論と、脳死受け入れについての賛否両論が戦わされた後に生まれた。移植推進派にとってはハードルが高いものと受け取られたが、一方で長い目で見れば、当初は厳しい条件の下でスタートした方がよい、という声もあった。
テレビジャーナリストであった著者は長年、脳死・臓器移植問題に取り組んできた。その間の体験と取材をもとに、臓器移植法が生まれるまでを検証したものである。日本の臓器移植に関する総括とも言える。内容も単なる解説ではなく、臓器移植法づくりにかかわった人たちが実際にどのような発言、行動をしたかが書かれている。また、脳死者を抱えた家族の複雑な気持ちや、医療を透明なものにするために情報開示が欠かせないことも説く。
最終章では「法」の見直しに言及している。ここで著者が強調しているのは、移植の推進だけを念頭に置いて見直しを進めるのではなく、脳死者本人の(生前の)意思を最大限尊重し、日本人の死生観に十分配慮することである。風化しようとしている臓器移植問題をいま一度考えてみるのに格好の書である。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001