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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2000.12
  • 出版社: マガジンハウス
  • サイズ:20cm/269p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-8387-1286-3

紙の本

モダンガール論 女の子には出世の道が二つある

著者 斎藤 美奈子 (著)

社長になるか、社長夫人になるか。それが問題だ。お祖母ちゃんもお母さんも、お姉さんも、みんな同じ夢を抱えてきた。「欲望史観」で読む女の子の百年。『鳩よ!』に掲載された作品を...

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モダンガール論 女の子には出世の道が二つある

税込 1,760 16pt

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商品説明

社長になるか、社長夫人になるか。それが問題だ。お祖母ちゃんもお母さんも、お姉さんも、みんな同じ夢を抱えてきた。「欲望史観」で読む女の子の百年。『鳩よ!』に掲載された作品を加筆修正した。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

斎藤 美奈子

略歴
〈斎藤美奈子〉1956年新潟市生まれ。成城大学経済学部卒業。文芸評論家。著書に「妊娠小説」「紅一点論」など。

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みんなのレビュー10件

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評価内訳

  • 星 5 (1件)
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  • 星 3 (1件)
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  • 星 1 (0件)

紙の本

楽しく、かっこよく

2003/04/21 01:23

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:木こり - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「専業主婦なんて絶対イヤ!! 結婚なんてできなくてもいい。社会に出て自立した大人になるんだ!」
 中学生のころ、本気でこう思っていた。それもかなり、熱く。二十歳を過ぎた今でも基本的な考えは変わっていない。だけどもし、もしもだ。物凄くお金持ちで、でっかい家を持っていて、お手伝いさんなんかも雇えちゃって、おまけに優しくて格好よくて…(さすがに空しくなるので以下略)…そんな男性と結婚したとしよう。彼は言う「君はなんでも好きなことをして暮らせばいいよ」と。それでもやっぱり働こうと考えるだろうか。やりがいがあって楽しい仕事など、そうはないことを私はとっくに気づいている。だったらいっそ、日がな一日好きな本でも読んで暮らそうじゃないか。なんてね? うーん、…どうしよう…。
 これが女であるということ。本書でいう、“女の子の出世の道・その2”である。
 
この本を読んでわかったのは、女性の社会進出や自立の歴史がなかなか複雑だということ。理想に燃えた勇敢な女性が男女平等の旗を掲げて一心不乱に突っ走ってきた、苦しくも美しい営み、というイメージは間違いなのだ。良妻賢母思想や戦争、階級差別など、意外なところから追い風を受けたり逆に邪魔をされたりと流されまくり、行ったり来たり。だけどそれが健全なあり方なのだろう。単なる理想ではなく、現実の問題なのだから上辺の理屈やきれい事だけでは進まない。
もう“男女平等なんて夢のまた夢”という時代ではない、と思う。“男女平等なんて夢”というくらいかな。もうひとつ“夢”を取り除くのに必要なのは何か。この本にその答えは書かれていない。それはきっと仕方のないこと。これまでの歩みを見てきても、なにが味方になり、なにが敵になるのかわからないのが現実だ。結局わたしたちは、流れに惑わされながらも意思を持って健全に(がむしゃらに?)進むしかないのだろう。そちらのほうが(少々痛い目にあったとしても)甘い妄想にふけるよりはかっこいいし楽しそうだ。

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紙の本

戦前の「軍国の母」と、戦後の平和運動の担い手が同一人物な理由。

2003/04/14 14:47

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Helena - この投稿者のレビュー一覧を見る

一番面白いと思ったのは、いわゆる「進歩的」な知識人たちの身の振り方について。
羽仁もと子や市川房枝といった人たちは、第二次世界大戦を「戦争万歳!」って迎えたわけ。全然知らなかった。戦後の平和運動の担い手たちが、「戦争万歳!」だったなんて。私の頭の中は、?でいっぱい。

でも斎藤は、あれだけ民主的な人がどうして「戦争万歳!」なわけ? と問うても答えは出ない、と。そうじゃなくて、「彼女たちのような考え方こそ、当時は「革新的」だったのだ」[172]と言うわけ。
えーー!! どういうこと?
つまり、
「戦争は変化を求めていた人々の気持ちをパッと明るくした。保守的で頑迷な昔風の女性ではなく、前向きで活発で近代的なセンスをもった女性ほど、戦争にはハマリやすいのですよ、みなさん」[172]
なんだって。
進歩的な女性が、性差別で不満を持つのは当然。「あらゆる女性の不満を、戦争はみごとに忘れさせてくれたのだ」[174]と。納得。
だから、当時の婦人運動家の中からは、女子の徴用を求める声も。市川房枝の右腕だった山高しげりは、それでがんがんやってたとか。むしろ、東条英機らは、女性に早婚多産を期待してたから、女子徴用が実現されず。婦人運動家は徴用を望んでいたのに、東条らの反対で実現しなかったとはね。すごい構図。

ちょっと話がそれたけど、斎藤美奈子は、戦前の女性たちのことを、こうまとめてるの。
「当時の女性は、「みんな新しがり屋で上昇志向の強いモダンガールだった。だからこそ「新体制」に順応し、あっさり軍国婦人や軍国乙女に移行できたのではなかっただろうか。
進歩的な女性知識人が、率先して戦争協力に走った理由も、そう考えれば納得がゆく。インテリな女性は、そのときどきの「新体制」にいち早く反応し、いつも張りきっちゃうのだ。
もう一度いおう。モダンガールは後ろ向きな姿勢や保守的な態度を嫌う。だからこそ、戦争に向かって進んでいく時代には、軍国婦人になりやすいのである」[191]
すごい分析。ね、面白いでしょ。
大事なのはね、「戦争万歳!」と言った女性の知識人たちも、「軍国の母」代表の「国防婦人会」のおばちゃんたちも、極悪非道な人たちだったんじゃないし、圧政のために強いられたわけでもないってことなの。斎藤の言わせれば、国防の婦人会のおばさんのノリは、現代のボランティア主婦と同じってわけ。

こういうふうに考えると、平和教育もがらっと変わるでしょ(こんな大胆に言っちゃっていいかな)。斎藤はこうも書いてるの。
「重要なのは、戦争がどんなに悲惨な結末を迎えたかじゃなく、人々がどんな気分で戦争をスタートさせたか、だ。戦争責任ってそういうことでしょ」[190-191]
「戦争はいけない」「人を殺しちゃいけない」っていうメッセージだけじゃ、戦争はなくならないんじゃないかなあって思うんだけど。もちろん、そういうメッセージも大事なのは当然よ。

さて戦後。
例えば羽仁もと子は、「民主主義万歳!」を高らかに主張するわけ。これについての斎藤のコメント。
「懲りてませんね。戦争中とまったく同じテンションで、こんどは復興の精神を説く変わり身の早さ。もっとも彼女の名誉のためにいっておけば、これは彼女にかぎったことではなく、市川房枝も、奧むめおも、平塚らいてうも、戦前の婦人運動の指導者たちは、特に過去を清算するでもなく、みんなこんな感じで戦後も婦人解放運動・平和運動のリーダーに復帰した。だからいったでしょ。「進歩的」な女の人は、いつも「新体制」の前で張りきっちゃうんだって」[195]
軍国少女が平和運動のリーダーに。こういう論理って、なぜ?って思うけど、現実にはそういうことって、たくさんあるじゃない。でも、そうなるには、そうなるだけの論理ってあるんだね。斎藤の説明って、一つの説明になってると思う。だから、私は、納得だな。

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紙の本

「専業主婦VS働く主婦」の論争は大正時代からあった!

2001/04/20 10:22

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:吉野 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 驚きです。不勉強で知らなかったんだけど、大正のアグネス論争ともいえる「母性保護論争」なんてのがあったんですね。しかも、内容が今より過激だ。まっこうから対決した与謝野晶子と平塚らいてうの論を要約してみると、こうだ。

与謝野晶子男女の完全な平等。女も経済的に独立すべきであり、妊娠・出産・育児中の保護も求めるべきではない。
平塚らいてう「母」であることによって女は社会的存在となるのだから、保護は必要である。
 なんだか、現代の論争と言いたいことはほとんど変わらない。しかも「妊娠・出産・育児中の保護」もいらないなんて、今ここまで言う人いないよ! 潔すぎ。
 しかし100年近くも、あーだこーだ言ってきても全然決着はつかないのか…。力抜けますね。

 この本は「欲望史観」という名前がつけられている。成功したい! 良い暮らしがしたい! という女の子の欲望を中心に、女の子の職業について述べられていく。
 国民のほとんどが小作農だった時代から、現代まで、少ーしづつではあるが確実に、女の子はなりたい自分になってきているではないか!
「楽で、ちょっと人に自慢できるような生活」を求めて、女の子はぐいぐい突き進んでいるのである。
こっちのほうが楽そう面白そう、となればざざーっとそっちに流れていく。女の子ってかなり強欲で自慢したがりなんだな、と本書で改めて実感した。
 今、100年も続く「家事・育児中心VS仕事中心」に決着がつかないのは、どっちも「すんごく楽しく楽で人に自慢できる」ことでないことを、みんなわかっちゃったからなんだろうな。
 コマダムだのシロガネーゼだの細かい差別化をして、女の子の欲望をかきたてようとしても、誰もがそれを目指すというほどの魅力はないのである。コマダムとかにならなくても、同等に見栄をはれる方法は他にもあるしね。
「家事・育児中心」「仕事中心」以外の価値観が出てこない限り、どっちがいいかなあって女の子は悩み続けるんだろう。

 しかし、女の子が「こっちが良い」「いや、こっちのほうが良い」と言ってる間、男の子はもくもくと仕事を続けるのみ。男の子も「仕事するのは嫌だから、家事・育児を中心にやりたい」とか言ってもいいと思うんだけど。(そう思っている人いるよね?)男の子は何故なにも言わないんだろう? やっぱり男はだまってハイライト(©ひろし)なんだろうか。
 男の子よ、立ち上がれ! 女の子の選択肢は出尽くし試しつくした。あなたたちの発言が、また家庭の可能性を広げることになる。
 男も女も、このことを考えはじめたら、社会のシステムも変わっていくはず。
 え、何? 社会のシステムも家庭も変わらなくっていい、って? そ、そう言われると私も強く言えないんだけど…。(笑)

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紙の本

いま女の子たちの見る夢は?

2001/03/14 20:12

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:holly - この投稿者のレビュー一覧を見る

 斎藤美奈子さんの『モダンガール論』、副題は「女の子には出世の道が二つある」とあり、その語り口の軽妙さもあって、現在の女の子の生態をおもしろく描いた書物と誤解される方もいるかもしれません。いやいやところが、この本、戦前の平塚らいてふと与謝野晶子の母性保護論争と戦後のアグネス論争の相似と新しい視点の分析や、落合恵美子さんらの近代家族論を下敷きにしての主婦に対する分析など、深い問題意識と鋭い分析に満ちた刺激的な本なのです。でもそこで決して斎藤さんは、お説教をしようとするのではありませんし、無条件にいまの現状を肯定しようとしているのでもありません。結局、戦前と戦後にわたって繰り返されてきた、女にとっての職業と家庭との相克、貧しさから豊かさへ向かう中で追い求めた夢を描きながら、これからの男と女のあり方を考え出そうとしているのだと思います。そして、その問題は男中心の「性別役割分担意識」をどのようにして乗り越え、その乗り越えた先にはなにがあるのかという問いであったわけです。
 最後に40代の男としてこれを読んで、いまや男と女が一緒の地点で生きる意味とはいったい何なのだろうと考えるスタートについたのかなという思いを抱きました。「何を言っているのか、いまだ男の性別役割分担意識が女性の社会進出を阻み、男社会が真の男女平等を遅らせている」という批判を甘んじて受けながらも、夢がもてなくなっているのは何も女子高校生だけではない。会社のために生きる生き方を否定され、家族からもいつの間にか疎外されてしまっている男たちも、いま同一線上でこれからの生き方を考えようとしているのだと思っているのです。

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紙の本

2001/2/27地方経済面

2001/03/06 18:16

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「リッチな暮らしがしたい」「きれいな服が着たい」。女性ならだれもが抱く出世願望を手掛かりに、明治以降を読み直す女性論。キャリアウーマンか、社長夫人か。女性の目標が常に二つの間で揺れてきたことを、環境の変化とともに明らかにする。女性誌の消長や人気職種の起源など、雑学部分にも魅力がある。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001

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紙の本

「女性の時代」って永遠に来ないのかなあ

2001/01/23 19:17

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:青月にじむ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本人を大きく4つに分けると、有産階級と無産階級、そして男と女と、4つに分かれるというのはこの本読んで改めて思い出したこと。階級と性差で、差別があるということです。これは、だいぶ目立たなくなってるとはいえ、現代も同じことでしょう。実に、日本というのは昔から抱えている問題は同じで、浮かび上がってくるそれらのものがいつの間にか忘れ去られたり、メインの階級(つまり、有産階級の男性ってことですな)にはそう大切なことに思われずにうっちゃっておかれたりしたのだ。そして、「戦争」というものが全てをリセットしたとも言える。

 そんな中でもめげずに人生を楽しんだ人たちもいた訳だけれど、実のところ、長い間、情報が断絶していてあまねく情報が伝わりきらなかったということでもある。無産階級の女性に生まれたら、もう、先の人生まで決まってて「職業」や」「人生」の選択の自由なんて無かったのだし。気づいた方が、不幸ってこともあるかもね。

 中ほどの、世の中が戦争に突入するくだりでは、先取的な人たちほど戦争を歓迎していたというのは結構ショックだった。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」ばかり印象に残ってたもので。あれは単なる感傷だったのかなあ。新しいもの好きな人たちにとっては戦争までが新しくて刺激的なものだったのだ。しかし、自分達の街まで焼かれ、住む場所さえもなくなるとはよもや思ってなかっただろうけれど。

 斎藤女史がフェミニズム史を説くと、こういう形になる。とても明快な文章で歯切良く論じてくれるので非常に分かりやすいのだけれど、分かり易すぎてちょっとだけ、物足りないところがあったかなあ。たとえば、現代のここでいうところのモダン・ガールはそれじゃあどうとらえられるのか、とか、その辺のことまでは書かれてない。私達以前で終わっちゃってるせいかもしれない。

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2010/06/01 18:28

投稿元:ブクログ

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2011/10/03 23:53

投稿元:ブクログ

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2012/06/24 16:54

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2013/07/04 03:19

投稿元:ブクログ

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