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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2001.2
- 出版社: ダイヤモンド社
- サイズ:20cm/220p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-478-20065-3
紙の本
富める貧者の国 「豊かさ」とは何だろうか
著者 佐和 隆光 (著),浅田 彰 (著),植草 一秀 (ほか対談)
20世紀のラスト・ディケイドは「失われた10年」と呼ばれる。なぜ、日本は本当の豊かさが実現できないのか? 佐和隆光と浅田彰が、いまだ近代化できぬ日本の現状を診断し、多彩な...
富める貧者の国 「豊かさ」とは何だろうか
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商品説明
20世紀のラスト・ディケイドは「失われた10年」と呼ばれる。なぜ、日本は本当の豊かさが実現できないのか? 佐和隆光と浅田彰が、いまだ近代化できぬ日本の現状を診断し、多彩なジャンルの識者と語る、改革への処方箋。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
ポストバブルという転換点 | 植草一秀 ほか鼎談 | 1-26 |
---|---|---|
迷走する日本資本主義 | 猪木武徳 ほか鼎談 | 27-48 |
戦後五〇年目の政治と経済 | 佐和隆光 対談 | 49-72 |
著者紹介
佐和 隆光
- 略歴
- 〈佐和〉1942年和歌山県生まれ。京都大学経済研究所教授、国立情報学研究所副所長。
〈浅田〉1957年兵庫県生まれ。京都大学経済研究所助教授。
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紙の本
あの、「10年」を振り返る
2006/02/02 06:47
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「失われた10年」という言葉は、あまり好きではない。失ったモノがあれば、得たモノもあるだろうから。それでも社会はさまざまに行き詰まり、「改革」の必要なケースがあったことは認める。
新世紀も5年が過ぎた。「20世紀のラスト・ディケイド」で本書において提言されたものの内、何が実現し、何が実現され得なかったか。はたまた、歪められて実現したものはないか。本書をよすがに、振り返りつつ点検し直すことができる。
本書は『週刊ダイヤモンド』誌上で、年一回、9年間に亘って行われた鼎談を元にしている。佐和氏と浅田氏がホスト役で、ゲストが代わる代わる、8人登場する。一回分は事情で欠席のため、佐和氏と浅田氏の対談になっている。
鼎談の前には「各年に起きた主な出来事」がおかれ、後ろには各「鼎談の背景とまとめ」として、両氏が交代で解説している。通読すれば、「あの時代」の姿が朧ながら浮かび上がってくる。
話題を「政治・経済」に絞った方が見通しはよくなったとは思うが、そこはホストの両氏が時代状況と噛み合わせ、うまくリードしている。
ゲストの8人は、バラエティに富んだ人選だ。私としては異論もあるが、耳を傾けたい意見も多い。浅田氏も田中康夫氏との他所での対談とは異なり、折り目正しいので、獅ソ着いて読める。
植草氏は、バブルとは「予算制約の拡大だ」としながら、それだけではないとする。
《同時にリーガル・マインドの欠如が広がりました。越えてはならない一線を越える人が、大企業のトップや政治家に出たわけです。(中略)徹底的にウミを出さないと、日本はマフィアの国だと言われて国際社会の信用を失ってしまいます。》
92年末の発言。「マフィアの国」は大げさだが、「リーガル・マインドの欠如」は今日においても「花盛り」のようである。
猪木氏は、《「天下りをきっちり規制」して、「官僚への魅力を減じる」ことが必要だと言う》のだが、これもまた、現在でも課題のままだ。
対談の回では、両氏によって「社会民主主義の復権」が唱えられる。これは今も少数勢力だ。社民党が、その受け皿となるよう脱皮し切れていないところにも、問題があろう。
本庶氏は、教育やサイエンス・ジャーナリズムの底上げを図り、自然科学への理解を深めることが重要と説く。そうしなければ「過大評価」か、懐疑による「迷信のリヴァイヴァル」という、二つの落とし穴に陥る危険性があるとする。
小池氏は、行政改革と情報公開法の制定の必要性を説く。後者は「一応」成立した。前者はまだ道半ばか。
河合氏との鼎談で目指される「構造改革」とは、「改革なくして成長なし」ではなく、「成長から成熟へ」である。
日高氏の回は、「利己的な遺伝子」の生物学における地位の高まりと、それや、社会ダーウィニズム的な考え方の危険性などが語られる。
日高氏の《生産することが重要だという価値観は、いつ頃からできたのでしょうか。》という問いが、印象的だ。最近の調査報告では、これまで「自然と調和して生きてきた」とされる人々も、そうとは単純に言えないものが多いそうだ。
山折氏は、インドの林住期というモデルを、ライフステージに組み込むことを提案する。そうやってライフ・サイクルを多元化し、しかもそれを併存化させることが大事だと、浅田氏が受ける。
最後の回は、間接民主主義が機能不全に陥っているとの見立てから、田中氏のような人物の挑戦に期待をかける。
佐和氏と浅田氏は、アメリカ(ポスト工業化社会)やフィンランド(進んだ情報段階)の、良いところがモデルになるとする。
21世紀の「最初の10年」は、後からどう呼ばれるであろうか。残り5年、『富める貧者の国』を返上できるだろうか。
「満員電車での通勤」一つをとってみても、容易なことではなさそうだ。