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紙の本
感性の哲学 (NHKブックス)
著者 桑子 敏雄 (著)
21世紀は感性の時代といわれる。感性は西洋哲学では理性より劣るものとみなされてきたが、成熟社会の新しい哲学として、超自然的な西洋の理性と対比しつつ、東洋の伝統を掘り起こし...
感性の哲学 (NHKブックス)
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商品説明
21世紀は感性の時代といわれる。感性は西洋哲学では理性より劣るものとみなされてきたが、成熟社会の新しい哲学として、超自然的な西洋の理性と対比しつつ、東洋の伝統を掘り起こし、感性的自己の復権を考える。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
桑子 敏雄
- 略歴
- 〈桑子敏雄〉1951年群馬県生まれ。東京大学大学院人文社会学研究科博士課程修了。現在、東京工業大学大学院社会理工学研究科教授。博士(文学)。著書に「気相の哲学」「空間と身体」「西行の風景」等。
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紙の本
目の眩むような書物
2001/11/24 21:21
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「感」とは動くことである。「気」(エネルギーをもつもの)が拡散して空間となり、拡散した物質が凝集して物体的なものが成立する。これら二つの状態は相互作用によって宇宙と生命を作り出す。この相互作用を「感」という。また、「性」とは能力(デュナミス)である。性が感じて、つまり世界と交感して「情」(エネルゲイア)となる。「性」と「情」の統合が、すなわち「心」である。感性とは「環境世界と自己の身体との交感能力」(32頁)であり、「配置と履歴から世界を感知する能力」(222頁)である。
ここに出てくる二つの言葉、「配置と履歴」が本書のキーワードとなる。人間を「履歴をもつ空間での身体の配置」(198頁)と捉えることが、「履歴をもたない自己」=「デカルト的自己」の対極に位置する、著者の人間観の根幹をなすのである。
著者は、風景がもつ奥行きを「ひだ」と呼ぶ。《風景のひだの奥には、空間のもつ履歴が存在する。ひとの人生の長さを超える履歴がひそんでいる。その履歴をもつ空間のなかに自分の存在を得ることで、自己の存在は、時間的存在であることを確認し始める》(51頁)。
西行に朱子学、アリストテレスのプシューケー論とこれにもとづき江戸初期に書かれた『妙貞問答』(ハビアン不干斎著)、ハードゾーニングの形態をとる「概念風景」(ロゴス化された風景)と空間の意味に着目したソフトゾーニングによる「感性空間」の対比、環境と生命と情報をめぐる価値構造論、等々、西洋と東洋の哲学から公共政策のあり方まで、まことに射程の広い目の眩むような書物で、全九章のどれをとっても刺激的な洞察に満ちているのだが、とりわけ終章の、個人的交流の履歴を織り交ぜた故大森荘藏をめぐる叙述は印象深く、感動的でさえあった。
《大森は、ことばについて考察するプロセスでつぎのように考えている。声になったことばは、じっさいは、身体の外にあってのみ、はたらくことができる。声は出されていないときには存在せず、声として身体の外に出されてはじめて存在するからである。すると、声は皮膚の外で身体の生きることに「参加」しているのである。そこでこそ、声は、身体と密接な関係をもつ。大森は、このように考えて、声を身体の一部として見ることもできるという。(略)ひとが身体を動かすとき、身振りが生じるが、この「身振り」ということばを大森は、たんに身体を動かす場合だけでなく、声や視線を動かすときの「視振り」や「声振り」などの全体を含めて用いている。(略)触れられ、動かされることが、ことばの意味を知ることであり、だからこそことばとは行為である。(略)このように考えるならば、ことばとひと、ことばと世界とは人間の生活のなかで直接的にむすびついていることになる。だから、そこには、世界とことばをむすぶ第三の存在としての「意味」を想定する必要はない》(205-206頁)。