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商品説明
引きこもりは止めた。革命実行だ! ネットで武装し、暗い部屋を飛び出した青年は、いかにしてニッポンに反逆したのか? ニッポンの総てが凝縮された、知的企みと白熱する物語のスリルに充ちた作品。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
阿部 和重
- 略歴
- 〈阿部和重〉1968年山形県生まれ。94年「アメリカの夜」で群像新人文学賞受賞。他の著書に「ABC戦争」「アブストラクトなゆーわく」など。
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紙の本
コミュニケーション不足の怖さ
2002/06/30 20:27
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投稿者:ふーにゃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品の主人公・鴇谷春生は、彼が起こした行動が元で地元を離れざるを得なくなり、東京で一人暮らしを始めた。人と接する機会を持たずに生活を送るうちに、それまでも関心があった自分の名前に含まれる「鴇」トキ・学名ニッポニアニッポンへの興味がより深くなる。そして、その学名ゆえに環境庁が日本国内での種の保存にこだわり、周囲から隔離・監視されているために、トキの自由と尊厳を奪われている現状を知り、自分の境遇と重なるトキに特別な思い入れを抱くようになる。そして、トキに関するある計画を思い立つ。
彼がその計画を立てる上で重要な役割を果たすのがインターネットである。必要な道具や情報を彼は全てネットで手に入れる。この全く人とコミットしない方法、これは彼の物事への理解方法でもある。彼は、人と接して人の心を探ろうとせず、自分の思考の中で人の心を想像し、それを答えとする。そして、その答えは非常に自分勝手に解釈されたものなのである。それが犯罪を生んでいく。
彼のような人物は、現代社会の中で珍しい存在ではない。病んだ現代社会とそこに生きる心が病んでいる人間。世の中に蔓延ったこの病を癒すことはできるのだろうか。その薬は未だ発見されていないようだ。そんな世の中を生きている怖さを、非常にリアルに現代社会が描かれたこの作品を読んで感じた。
紙の本
勝手にしやがれ
2002/06/18 01:37
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投稿者:青月堂 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あまりにも自己中心的な妄想から、現実の生活に適応することが出来ず引きこもりを続ける鴇谷春生。彼は名前に“鴇”という文字があることから、そこに運命を感じ、トキ(学名ニッポニアニッポン)を解放しようとする。その名も「ニッポニア・ニッポン問題の最終解決」。バカ。
春生は中学時代に、運命(と勝手に思っている)により席が隣になった本木桜を執拗に追い回し、果ては彼女を守護するという名目でストーカー行為を続け田舎を追われている。世の中の全てのことは、彼の都合の良いように解釈され、その結果彼は挫折と言うものとは無縁だった。
ところが、シンパシーを感じていたトキが、産卵することがわかる。未だ童貞の春生は、恵まれた環境のトキに激しく嫉妬し、裏切り行為だと断定する。そして、トキの解放ではなくトキの密殺が最終解決と決定する。彼はインターネットという知識の宝庫(まがい物も多いが)から情報を得、武器を揃え、着々と準備を整える。バカバカ。
ジコチューな妄想家が行動力を身に付けると恐ろしい、というのは春生だけに限ったことではない。今の世の中を見渡すと、そう言った例は幾らでも見つかるだろう。
ところが、綿密に準備された計画は、些細なことで破綻し、その時初めて春生は知る。—運命とは、全く無意味なものだと。オオバカ。
まあ、なんだな、勝手にしやがれ、だな。
紙の本
おもしろい
2001/09/09 23:54
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投稿者:みつはる - この投稿者のレビュー一覧を見る
引きこもり少年の国家への叛逆小説。鴇谷という苗字からトキ(ニッポニアニッポン)と自分に運命を感じた引きこもり少年は、国際保護鳥である日本のトキ保護問題についてネットで詳しく調べるうちに、その存在に疑問を感じある計画をたて、ニッポンに叛逆を企てる。その結果は…?
著者独特の知的企みにあふれ、鋭いスリルと興奮を味あわせてくれるが、帯にうたわれているように著者の名作インディビジュアル・プロジェクションを超えたかといわれれば疑問が残る。しかしその著者独特の世界は絶対に読む価値あり。おもしろい。
紙の本
引きこもりと鴇
2001/08/29 15:58
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投稿者:ゲップ3号 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この小説はいわゆる引きこもり小説である。引きこもり小説といえば村上竜の「共生虫」が思いつく。どちらも引きこもりを素材にしたのはいいが、引きこもりであるという必然性が作品とうまく結びつかず中途半端に話が展開してゆく。この作品に限っていえば、少年が引きこもりであろうがなかろうが関係ないのではないかと思ってしまうほどにうまく作られていない。そろそろ、ひきこもり小説も飽きられるのでは
紙の本
平板な三人称叙述に失望
2002/01/08 12:37
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投稿者:OK - この投稿者のレビュー一覧を見る
誇大妄想に駆られたひきこもり青年の犯罪計画を描く、といういつもながらの筋書きだけど、何の変哲もない三人称の叙述形式で語られるため、この作者の持ち味といえそうな 「歪んだ一人称叙述」のおもしろさは出ていない。語り手の独り善がりで客観性を欠いた叙述が世界と乖離して続いていくのが、これまでの阿部作品の多くの魅力だったのに、そこを地の文で「幼稚」「妄想」などとあっさり断じてしまっては話にならないでしょう。まあ、あえて好意的に見れば、従来の作風に満足せず新たな手法を模索しているところということになるだろうか。
標的の「トキ」に象徴される政治的連想の埋め込みや、「バスジャック事件」などとの照応も、小説内ではただの空振りに終わっている感想を否めない。
http://members.home.ne.jp/kogiso/
紙の本
2001/09/16朝刊
2001/09/20 18:16
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投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
気鋭の若手作家が久々に発表した中編小説は、「ニッポニア・ニッポン」の学名を持つ絶滅寸前のトキをテーマにした。十七歳のひきこもり少年、鴇谷は自分の名字に含まれたトキに異常な関心を寄せて妄想をふくらませ、保護センターの襲撃がすべての問題を解決する、と思い込む。少年が大人になる過程でぶちあたる通過儀礼を描く青春小説の形式を借りながら、その射程は「日本」のあり方に鋭く向かっている。純文学を意識しつつ、エンターテインメント性も欠かさない意欲作。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001
紙の本
トキと「鴇」
2001/09/01 22:47
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投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
トキの学名である「ニッポニアニッポン」。なんとも不思議な名前だと思う。いかにもナショナリズムを刺激するような名前だ。
主人公の春生の苗字は「鴇谷(とうや)」という。ここには「鴇」という文字がある。そこから春生は、自分がトキと何か関係があるのではないかと思い込む。トキが稀少な鳥で保護されている特別な存在であることに惹かれ、自分自身をトキに重ねてみたりもする。自分もトキと同じように、特別な存在ではないかと。
春生が自分の姓名に拘っているのは、そこに自分の存在の意味が現れているのではないかと思っているからだ。春生は、ひどくおしゃべりで相手を気にせず話すので、周囲の人から疎まれていた。もちろん親友もいない。部屋に閉じこもっている「ひきこもり」の状態。孤独な人生である。彼は自分の人生に意味がないと悟ることを恐れる。そして実存的な不安を振り払うために「鴇」=トキに関心を持ちつづけるのである。
だが、トキの現状をインターネットで調べていくうちに、何かが違うと思い始める。それは、日本中がトキがいや「ニッポニアニッポン」という名前の鳥が「保存」されることを望んでいるだけではないか。トキという生物が生き残ることには何の意味もないのか、と考え始める。そして、このような現状ではトキはただ単に「人間の書いたシナリオ」の犠牲になっていると思い、自分がこの「人間の書いたシナリオ」を壊してやるという。それを行うことは「運命」なのだと思いこむのであった。そこで春生は「ニッポニア・ニッポン問題の最終的解決」という綿密な計画を立て、それを実行にうつすのである。すべては、自分の生に意味をもたせるために。
この小説全体を見てみると、どうしても前半に比べて後半の部分、つまりトキ保護センターを襲う場面に力がないように感じる。あっさりしている印象を受けてしまう。
小説の語りの中心は、全体を通じて春生なのだが、後半おそらく2ヶ所だけ、語りの焦点が春生から別の人物になっている場面がある。つまり物語のほとんどは春生の視点なのだが、2ヶ所ほど視点人物が変わる。その一つがちょうど春生がトキを襲っている場面である。そこでは警備員の視点から物語は語られている。ここで警備員から見た春生はこう描写される。
「そこでは、一人の黒装束の人物がたも網を振り回して必死にトキらを追い掛けていた。」
この姿を見た警備員は、「唖然」として「呆れて」いる。この直後に警備員は「黒装束の人物」=春生に殺されてしまう。この場面は、かなりシリアスな場面なのだが、春生が網を振り回してトキを追いかけている姿はどこか滑稽だ。これまでぴったりと春生に寄り添っていた語り手が、突然冷めて見つめている感じがする。この突き放し方は、トキに生の意味を求めている春生を戯画化する点において有効かもしれないが、重要と思える場面で語り手があっさり引いてしまっていると思えて、それがこの小説の後半の弱さになっているように感じるのだ。したがって、重要な場面が抜け落ちているようで、襲撃の後「運命とは、全く無意味なものだ」と悟ったといってもそこには説得力が欠けている。前半の広がりに比べ、後半は尻つぼみになっている感は否めない。それが残念だった。