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紙の本
延長線上には現代がある
2008/12/19 18:32
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mikimaru - この投稿者のレビュー一覧を見る
宮本常一の著作を何冊か読んで、これほどの膨大なフィールドワークを積み重ねて文章にまとめつづけた人がいた事実を、最近まで知らなかった自分が恥ずかしくなった。
伝承の役割や村社会のまとめとして、あるいは農作業や漁業の担い手として、形はさまざまであれなくてはならない存在であるはずの女性というもの。世の風潮の変化や中途半端な近代化に翻弄され、その環境の変化のなかで虐げられる立場に追いやられることもしばしばであるその存在は、記録にすら残らず社会の隙間に埋もれていく。著者は多くの地方をまわり、人々の家にあがりこんで話を聞きながら、そんな風に埋もれているものを、掘り起こしていく。
足入れ婚なども含む婚礼、共稼ぎ、見習い奉公、女工、人身売買(無知や貧困により外国へ売り飛ばされる)、女の相続、戦後の女性、島の女性風俗誌などについて、章別に読みやすい記録がつづく。
興味深かったのはP.155からの「月小屋と娘宿」の章。
月の小屋とは、月経期間中の女性が過ごすことになっていた小屋のことで、昭和10年代ころには各地にまだ名残があったという。血を忌むという考えが薄れつつあり、諸事情から生理期間中の女性が小屋に集まることに不都合が生じてきた近代以降、小屋はのちに産屋などに転用されることもあったが、やがてその目的としても利用されることはなくなっていった。
やがて、月の小屋は「娘宿」となり、そこは月のものに関係なく女性が出入りして一緒に針仕事をするなど、地域の社交場のような役割を果たしていたようで、若い男性も集うことがあったらしい。
こうした話は、滅多に文字の情報として頭に入れる機会がなく、これまでは想像するしかなかった。
本書を読み、現代の女性が幸せかどうかなど、そういった短絡的な方向に話を結びつけるのは危険で乱暴なことと思う。多くの人々から聞きとった話や数字を淡々と並べていく文章には力強さがあり、知らないことが多すぎる自分に恥ずかしさを覚える。
こんな風に生きてきた人たちの延長線上に、現代の人間は生きているのだ。勝ちとってきた権利、培ってきた人権の意識など、すべてがその結果なのだ。「あって当たり前」のものはひとつもない。現代の人間として、それだけは忘れてはいけない。
最後に、P.269以降の「女の物語」について。
島流しではなく、島から追い出される「地方流し」に遭った女性の話がある。不注意から家の商売に悪評を立ててしまった女性は、島から追い出されてそのまま行方しれずになった。数十年後、島外で偶然に出会った子孫に話しかけたとされているが、その後についてはわからなかったという。
月並みな表現だが、とても印象的な話だった。