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紙の本
今後の生涯に何の益ももたらさないであろう,でも愛おしい逸話たち
2010/09/20 15:03
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和初期の浅草で輝き並び称された2人の喜劇人,榎本健一と古川ロッパ(「緑波」というのはカタカナ芸名が白眼視された戦争中の表記で本人はたいそう不満だったようだと本書にある)。
青山の鞄屋の長男として生まれ(麻布の煎餅屋と書いている資料が多いがこれは彼が生まれてから親が転業したものだそうな),麻布尋常小学校をでたあと父親が入学手続きをした私立中学にはほとんど通わなかったというエノケンに対し,一方のロッパは麹町の華族の家柄に生まれ,早稲田中学からエスカレータ式に早稲田大学英文科を卒業している。このあまりと言えばあまりに対照的出自が,のちに「エノケン・ロッパ」と呼ばれ同時代の喜劇シーンを席巻した二人の芸の違いに宿命的な影響を与えていた……というのがこの本を貫くトーンである。
正直なところ,オレとしてはもっと……そう,例えば小林信彦の「おかしな男 渥美清」とか,「天才伝説 横山やすし」みたいな,なんつかもう少し「芸談」めいた読み物を期待していて,舞台の中身に関する記述がほぼ皆無なのはスコブル期待はずれであった。
が,別系であの三谷幸喜の傑作「笑の大学」が,ロッパの劇団「笑の王国」を模した劇団と徴兵され河廊鎮に客死したエノケンの相棒・菊谷栄(あの名作「最後の伝令」を書いた人)の姿を投影したものであったのかぁと合点したり,日劇(今の有楽町マリオンの場所にかつてあった日本劇場)は,建築途中で資金繰りがつかなくなり鉄骨むき出しのまま放置されていたのを行幸の車窓から見た昭和天皇が「あれはいったいどういうわけだ?」と下問したおかげで突如スポンサーがついて完成したとかいうおそらく今後の生涯に何の益ももたらさないであろう逸話に感じ入ったり,それなりに楽しい読書ではありました。
ところでさ,このエノケンのそっくりさん(声だけ,顔は非公開らしい)が歌う「エノケソの天国と地獄」てのが iTunes で販売中でさ,これ実になんつかホントに似てて傑作であります。
紙の本
昭和の東京の喜劇を背負って立った二人だがその生き方は対照的だった。好敵手二人の生と死——
2002/02/19 22:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:花田紀凱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
食に関するエッセイは数多あるけれど、ぼくがいちばん好きなのは古川緑波の『ロッパの悲食記』(九五年にちくま文庫で復刊)である。
戦争中、食の不自由な時代に、グルメにして大食漢(グルマン)のロッパが、うまいものを求めていかに苦労したかを坦々と綴っている。坦々としているだけにかえってロッパの食に対する情熱が伝ってくる。
なかでもぼくが好きなのは帝国ホテルのグリルのくだり。
〈(昭和十九年)一月十一日(火) 昼食、帝国ホテルのグリルへ、久々で行く。注文制となり、前以て申し込んだ。一人前では困るので影武者(?)を一人連れて行き、その分も食う。彼は目の前へ並んだのを見るだけだ。辛かろうが、許せ。〉
許せ、と言われてもなぁ。
もうひとつ。
〈二月二十日(日)(略)夜は、林正之助氏(吉本会長)より招かれ、南の富田屋で、アチャコと共に、ふぐを、ふんだんに御馳走になる。ふぐ、六十人前あったと、後できいた。〉
六十人前なら「ふんだん」なはずだ。
戦前、戦中、日本の喜劇の世界で、ライバルとして並び称された榎本健一(エノケン)と古川緑波(ロッパ)、ふたりの生涯をたどったこの『エノケン・ロッパの時代』でももちろん帝国ホテルのエピソードは紹介している。
貴族院議員、男爵の家に生まれ、早稲田大学英文科を卒業、映画雑誌の編集者を経て役者になったロッパ。一方、青山の鞄屋の長男に生まれ、高小卒、浅草オペラ出身のエノケン。出自も芸風もまったく対照的なふたりがライバルとして一九三〇年代の日本の喜劇を席捲していく。
浅草を拠点にしたエノケンの最盛期、エノケン一座は座員百五十人、オーケストラ二十五人を擁し、一部三銭の「エノケン新聞」、一部十銭の「月刊エノケン」なる定期刊行物まで発行されていたというから人気のほどが伺えよう。
一方、ロッパはまず声帯模写(これもロッパの造語)で大人気を博し、「笑の王国」を主宰。浅草から丸の内に転じ、急速な都市化を担った小市民の共感を得た。
丹念に資料を読み込み、矢野さんはふたりの人生を浮き彫りにしていく。特に、戦争に対する姿勢の違いから、ふたりの芸人としての体質の違いを明らかにした分析は鋭い。
戦争が終り、活躍の場が拡がるはずだったふたり。だが、ロッパは金銭的窮乏により、エノケンは不治の難病脱疽によって失意の日々を送らねばならなかった。
〈古川ロッパの創始した藝である声帯模写にたずさわる藝人たちが俎上にのぼせたふたりの声色だけが、その時代をむなしくひとり歩きしていたのが皮肉といえば皮肉であった〉
東京の喜劇が輝いていた時代へのオマージュである。 (bk1ブックナビゲーター:花田紀凱/「編集会議」「映画館へ!」編集長 2002.02.20)