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紙の本
現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義 (講談社現代新書)
著者 池内 恵 (著)
【大佛次郎論壇賞(第2回)】【「TRC MARC」の商品解説】なぜ今、終末論なのか。なぜ「イスラームが解決」なのか。 学術書からヒットソングまで渉猟し、苦難の歴史を見直し...
現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義 (講談社現代新書)
現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義
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商品説明
【大佛次郎論壇賞(第2回)】【「TRC MARC」の商品解説】
なぜ今、終末論なのか。
なぜ「イスラームが解決」なのか。
学術書からヒットソングまで渉猟し、苦難の歴史を見直しながら描く「アラブ世界」の現在。
終末論の地層――イスラーム教の古典的要素にさかのぼることのできる要素の上に、近代に入ってから流入した陰謀史観の要素と、現在に流入したオカルト思想の要素が、いわば地層のように堆積して、現代の終末論は成り立っている。そして、イスラーム教の古典終末論の要素にも、また積み重ねがある。イスラーム教はユダヤ教・キリスト教から続く「セム的一神教」のひとつである。ユダヤ教とキリスト教が発展させた終末論体系を基本的に継承しており、両宗教から受け継いだモチーフがかなり多い。その上に「コーラン」や「ハーディス集」によってイスラーム教独自の修正や潤色が加えられている。――本書より【商品解説】
目次
- 序 アラブ社会の現在
- 1 狭まる世界認識
- 2 悪化する世相
- 第1部 アラブの苦境
- 1 「1967」の衝撃――社会思想の分極化
- 2 「人民闘争」論の隆盛
- 3 パレスチナへの視線
- 4 「イスラームが解決だ」
- 5 イスラーム原理主義の隘路
- 6 アラブ現実主義のプロファイル
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紙の本
右過ぎず、左過ぎず
2004/01/18 17:09
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さだ - この投稿者のレビュー一覧を見る
分かりやすい。特に「時代の空気」の扱い方に非常に納得ができる。よってたつスタンス(イスラーム学者としてイスラームを無用に賛美せず、客観的なスタンス)も好感がもてる。最近のアラブとイスラムの動向について、自分なりの考えを持ちたいと思っている人には入門書として最適の一冊。
時代の「閉塞感」、というキーワードが、今の日本の状況も想起させる。
紙の本
世評高いアラブ論
2003/05/12 20:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YOMUひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代史の出発点を1967年の第三次中東戦争とする、アラブ社会思想の流れと不本意な歴史の展開の結果、それがイスラム教に回帰し、終末観と陰謀史観に収束する過程はよく理解できる。しかし、知識人まで(一応)このような社会思想に左右されつづける事情はちょっと理解しがたい。
著者は、別の場所で、過去30年はアラブ社会の経済成長はほとんどゼロに等しく、中産階級が一部でしか育たないので、宗教の力が強い、と述べているが、第二部でコーラン等から終末意識を説明する部分はもっと簡潔にして、何故、思想的停滞が続くのか、掘り下げてほしかった。それでなければ、彼らの知的怠慢もあると思われても仕方がないではないだろうか(もっとも、日本も大同小異か)。
しかし本書は、アラビア語の原資料を広く渉猟した地道な研究に基づき、アラブ社会思想の状況の把握は信頼性が高い。原資料の駆使に関連して、本書に次のようなくだりがある。
「アメリカの議会図書館、ニューヨーク市立図書館、ハーバード大学図書館などの目録を検索してみると、この種(アラビア語による終末論関係—評者注)の書物を実に多く所蔵している。翻って、日本の大学・研究機関にはほとんど一冊も所蔵されていない。…アメリカの場合、これらの大規模図書館によって、世界の各種の言語で毎年出版される書籍はほぼすべて、自動的に購入されているといってよいだろう。網羅的な購入を可能にする組織と資金、即座にデータ入力して検索・閲覧を可能にするシステム、そしてそれら文献のもつ意義を判断する、高い能力を持った司書の存在といったあらゆる面で、アメリカの情報収集能力には舌を巻かざるを得ない」。
これが世界第二位の超経済大国とは名ばかりの日本と、本当の超大国、米国との学術資料面の格差である。この国の学術行政も若い研究者を嘆かせるに十分貧しい。これを変えるには、できるだけ多くの人にこの現状を知ってもらうしかない。
紙の本
「時代精神の歴史」の功罪
2002/02/15 10:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
去年秋の連続航空機テロ以来、本当に驚くような数の「イスラーム原理主義本」が出た。もちろんそのなかには、テロより前に企画されてたり、とくにテロを意識せずにかかれたものもあるはずだけど、それらを読む僕らの眼に「イスラーム原理主義」ってバイアスがかかってしまってるから、どうしようもない。僕も結構な数を読んで、「防衛ジハード」とか「イスラーム聖職者による統治」とかって専門用語を知ったけど、最近はちょっと食傷気味。この辺が「イスラーム原理主義」とも「世界貿易センタービル」とも遠い世界に暮らしてる人間の限界なのかもしれないけど。本当は、どちらの世界からも遠いっていう距離を生かして、冷静な判断ができるようにならなきゃいけないんだろうけどね。
そんななかで、「終末論」をキーワードにアラブ世界の社会思想を読み解こうとするこの本には、ちょっと違う視点を提供してくれるかもしれないって予感がした。著者の池内さんは、イスラーム世界を忌避も理想化もせず、「時代精神の歴史」(七頁)としての社会思想史って方法を採用しながら、今のアラブ世界の全体的な精神的雰囲気とでもいったものをクールに捉えようと試みた。具体的には、第三次中東戦争に敗北(一九六七年)して以来のアラブ世界の時代精神の展開を、社会主義的「人民闘争論」と「イスラーム原理主義」の相克のなかで位置づけ、そのうえで、今日のアラブ世界で高まる「終末意識」の特徴と、その思想的な起源を論じてる。
この本のメリットは、「終末論書」(一五一頁)をはじめとする怪しげなアラブ世界のベストセラーを山ほど参照して、アラブ世界の全体的な雰囲気を理解しようと試みたことにある。たしかに、アラブ世界の動向を捉えるためには、一部の政治的指導者や知識人だけじゃなくて、そこに暮らす普通の人々が何を読み、何を考え、何を主張してるかを知っておくことが必要だろう。これを「時代精神」と呼ぶとすれば、この本は「時代精神の歴史」って方法をちゃんと活用してる。
さて、この本の目的は、「アラブ世界の社会思想の最近の展開」を踏まえ、それが知的な閉塞状況に陥ってると判断したうえで、この「知的閉塞の背景にある政治・社会・文化的な経緯を解き明か」(六頁)すことにある。この本が時代精神の歴史って方法を採用したのも、そのためだ。そして、この目的に即して見ると、僕は二つの不満を感じる。
第一、「知的閉塞」の側面ばかりを強調し、アラブ世界の社会思想を一枚岩的に描くため、その「展開」のダイナミクスがみえないこと。広大なアラブ世界の内部では様々な思想動向がうごめいてるはずなのに、その多様性とか今後の見通しとかが浮かび上がってこないのだ。たとえば、「イスラーム原理主義」と「アラブ現実主義」(一三四頁)の関係って、一体どうなってるんだろうか。「時代精神の歴史」って方法を採用するとこうなりやすいのかもしれないけど、やっぱり「歴史的な推移」(七頁)も知りたいのだ。
第二、記述が「社会思想」中心になるのは当然だけど、その背景にある「政治・社会・文化的な経緯」がわからないこと。「イスラーム原理主義」がアラブ世界の庶民の心を捉えた理由は何か。彼らが「人民闘争論」から離反した理由は何か。「アラブ現実主義」が「国民から遊離したもの」(一四六頁)にとどまり、しかしそれにもとづく政権がアラブ諸国で存続できてる理由は何か。そういったことがわからないと、社会思想史の本としても、どうしても厚みが欠けるって印象が残る。
精神的雰囲気に接近できることと、精神的雰囲気「だけ」を「一枚岩的に」描くから平板になること、「時代精神の歴史」の功罪のどちらを重視するかによって、この本に対する評価は決まるだろう。[ご意見はここに]
紙の本
アラブ諸国に広まる終末論と陰謀史観が、イスラーム主義と連動する不吉な状況
2002/03/27 22:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤崎康 - この投稿者のレビュー一覧を見る
弱冠29才のイスラーム思想の専門家・池内恵のこの本は、現今のアラブ諸国の思想・文化状況がつぶさに分析された、きわめて内容の濃い1冊である。現地での綿密な調査をつづけてきた池内は言う。…ともすれば日本の研究者は、自身の願望や政治的主張を投影して、「アラブ」や「イスラーム」を過度に理想化して論じがちだが、アラブ諸国の現状を客観的に見つめれば、テロや戦争といったネガティブな事象が一部で発生してしまうのは、必然的であると感じられてくる。
そして、こんにちアラブ諸国において蔓延(まんえん)しているのが、終末論であり、それと合流した「ユダヤ・シオニスト・フリーメーソンの陰謀」というオカルト的、サブカル的な陰謀史観である。もともと終末論はイスラーム教の根幹をなしているが、こんにちのアラブでは、イスラエルやアメリカをたんなる現世的な陰謀の主体ではなく、終末の前兆として出現する偽救世主(キリスト教でいうアンチ・キリスト)とみなし、人を欺く悪の勢力と解釈する。それにしても、「宇宙人」「UFO」「ノストラダムス」といった欧米のサブカル的アイテムが、文化のグローバル化によって(!)アラブに流れこみ、近代化による宗教の世俗化を諸悪の根源とするイスラーム原理(復興)主義と連動しつつある事態(159頁)は、われわれの眼には奇妙に映る。もっとも、こうした非合理的・超自然的・ポストモダン的言説の流行は、60年代のアラブ民族主義、アラブ社会主義(人民闘争による世界革命)の退潮とも深く関わっている。たとえば、階級史観から陰謀史観への変質という形において。さらにイスラーム復興主義による「解決」の限界、そして今の、現政権の安定を最重要視し、国益を最大限に追求するという「アラブ現実主義」によって、国民に寄る辺なき精神的空白が生じたことなども、その要因の一つだと池内は述べる。
また、コーランとセム的一神教における、それぞれの終末論を比較検討した本書の後半(162頁─242頁)は、とりわけ興味深いが、ムハンマドとその信者たちは、ひじょうに切迫した終末の予感のなかで生きていたという。「時は近づき、月は裂けた」(コーラン54章第1節)。「最後の時はイスラーム教徒がユダヤ教徒と戦い彼らを殺した後に起こる」(ハディース)。ちなみに、現在のアラブ世界では、「アメリカ=偽救世主ダッジャール」説なる陰謀論も広まっているという。もちろん池内も言うように、セム的一神教にも「破局─審判─応報」からなる終末論があり、それはユダヤ教の「旧約聖書」の預言書で提示される。すなわち「アモス書」「エゼキエル書」「ダニエル書」などだが、「ダニエル書」に集大成された終末論が、キリスト教やイスラーム教に受け継がれていったのだ。が、われわれはまた、現在、「カルト」と呼ばれる欧米のキリスト教集団が過激な終末論をとなえ、黙示録的暴力さえ肯定している点にも注意を向けねばなるまい。(炭そ菌事件の犯人はだれなのか?) (bk1ブックナビゲーター:藤崎康/現代文化論・映画批評 2002.03.28)