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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.3
- 出版社: マガジンハウス
- サイズ:20cm/235p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-8387-1366-5
紙の本
秘密の花園
著者 三浦 しをん (著)
幼い頃に受けた性的いたずらによるトラウマを抱える那由多、教師との不倫に悩む淑子、那由多にひそかな思いを寄せる翠。カトリック系女子高に通う17歳の3人の少女たちが織りなす心...
秘密の花園
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商品説明
幼い頃に受けた性的いたずらによるトラウマを抱える那由多、教師との不倫に悩む淑子、那由多にひそかな思いを寄せる翠。カトリック系女子高に通う17歳の3人の少女たちが織りなす心理&青春小説。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
三浦 しをん
- 略歴
- 〈三浦しをん〉1976年東京生まれ。早稲田大学卒業。著書に「格闘する者に○」「月魚」「極め道」など。
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紙の本
秘密
2017/05/04 21:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
誰しも秘密は抱えている。若くても、仲が良くても、秘密は明かせない。キリスト系の女子高に通う三人の女性の心を語っていく物語。
一人は幼児期に遭った性的イタズラから恋愛の触合いを求められない。
一人は高校の教師との肉体的な恋愛をして、その感情をもて余している。
一人は生まれなかった自身の兄をイマジナリーの友とし、客観的に周囲を見詰めている。
心の中では、友情を求めているのに、現実はもどかしい。
そのもどかしさが女の子らしいけれど、10代離れしている。
でも読んでいて、女性の生き方ってなんだろうと考えさせられます。
紙の本
衣食住に満たされすぎた女子高生たちの心の奥
2008/11/10 09:24
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
秘密の花園 三浦しをん 新潮文庫
3作品が連続でかたまって、ひとつの物語になっています。私立女子高生たちが登場人物です。
「洪水のあとに」五十嵐那由多(なゆた、女性)、その友人中谷翠(すい? 女性)、那由多の彼氏生島薫。
この作品を読み始める直前まで、この本についての書評のブログを読んでいました。30代女性のページでした。生き生きと本読みの様子が書かれていたのですが、末尾に彼女の夫が書いた記事がありました。ブログを書いていた妻は突然ですが亡くなりました。検査入院となり、ひと月半後に病死しました。自分も息子も悲しい。ご愛読ありがとうございましたというものでした。胸が詰まりました。
そしてこの作品の冒頭で主人公の母親は病死します。引き続いてのことだったので恐ろしくなりました。母の死とエッチ話との関連は何だろう。舞台は横浜です。先日読んだ「ゴールドラッシュ」柳美里(ゆうみり)著に続きました。さらにきのうから読み始めた「流星の絆」東野圭吾著も横浜が舞台です。
母の死後5年へ飛ぶ。セクシーな作品です。作者はそのセンで本を売ろうとしたのではないか。しかし、女性じゃないと理解が無理。わたしには男性の体験しかない。
田口ランディ著「忘れないよ! ヴェトナム」で登場していたメコンデルタの川で、観光客相手に舟こぎをしていた同世代のヴェトナム人の女性たちがこの本を読んだらどんな感想をもつのだろう。日本人をどう評価するだろうか。ぬるま湯のようなありようにあきれるのでしょう。父親に対する物足りなさあり。欲望が飽和状態なのです。欲望を満たしている生活に浸っている。物質的な欲望が盛りを過ぎた時期であり憂(うれ)いです。衣食住、教育、福祉に満ち足りた生活を送っている。金銭的にも余裕あり。だから家族間の結びつきが弱い。母親がいてもいなくても変化が少ない。父親との距離も遠い。
後半では、いざというときには、だれも助けてくれない。自分が牙を向いて敵に襲いかかっていかなければならない場面に至ります。洪水のあとにというタイトルの意味がわかりません。
「地下を照らす光」秘密の花園は女性の秘密の部分を形容しています。この本では、外見では見えない身体的なもの性格的なものまでを光で照らしています。だからセクシーです。坊家淑子(ぼうやとしこ)さん、資産家のキリスト教系私立女子高校の生徒さんです。彼女が判断する相手は同性の女性に限ります。男性ではない。こどもからおとなへの移行期における心のバランスを感じます。高校教師との関係が書かれているのですが、実感が湧きません。妄想、空想のたぐいととらえます。生徒から教師をみれば、おじさん、おじいさんにしか見えません。教師からみれば、リスク(危険)度が高い。恋愛よりも収入のほうが大事です。坊家さんは生活に追われていないので暇なのだろうなあ。作者自身もそうなのかなあ。坊家さんは結局死ななかったようです。人は死のうと思って死ぬのではなく、死のうと思わないのに死ぬものです。それが自殺です。
「廃園の花守りは唄う」この本を読みながら向田邦子著「阿修羅のごとく」を読んでいるのですが、そちらは4姉妹のお話で、秘密の花園の女子高生が脱皮すると阿修羅の4人のおばちゃんのように快活頑健無敵な女性になるのだと心を励ましつつ、登場人物女子高生たちの行く末を案じています。
作品はまるで尻切れトンボのごとく唐突に終わってしまいました。キリスト教的なお話が続いたあとでした。読み手のわたしは突然ほおりだされてしまいました。さて、どうしよう。もっと楽しい気分で読ませて欲しい。坊家淑子は死んでしまったのだろう。きっかけの手紙を書いたのは三溝真理だろう。女性の成長過程での繊細な心理を描いた作品でした。
紙の本
TEENS小説はリアリズムを志向できない
2004/06/17 06:59
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:13オミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんて言うのかなあ、いつも青春小説読んで思うんだけど、17歳以下ってほんとにこんなこと考えてんのかなあって。こんなに理知的であったはずがなかろうって。表現力も人間観察力も全くないんじゃなかったかって。作家は青春小説に関しては、もっとリアリズムを志向すべきだろうって。30代の思考で10代のころを描くのは邪道なんだなあ。だって、恋も死も「あの子とえっちしたい」「ぜったい死にたくない」という思考しかなかった気がするのはあたしが馬鹿だから。
「洪水のあとに」の那由多の章で、ちょっと付き合った薫から連絡がなくなる。と言っても、那由多の方から着信拒否しているので仕方がない。で、那由多は「安心もしたし、その程度のものかと拍子抜けもした。…薫は私を好きだと言ったし、私も薫を嫌いではなかったが、でもそれだけでは一緒にいるには足りないものがあるのだろう。」と言う考え。そして、もっと食い下がるための何かが、私たちの間には生まれなかったんだなあ、と結論づける。これ身につまされます。
「地下を照らす光」の淑子の章で、学校の先生と付き合っているが嫌われているんじゃないかと疑い始める。そこから周囲との人間関係に思考は波及し「私は一人だ。土曜日の午後、委員会のあいだじゅう、私はそんなことを思っていた。誰も私を一番にはしない。先生も、なゆちゃんも中谷さんも。」と考える。これも身につまされます。
「廃園の花守りは唄う」の翠の章で、レズ思考?にどっぷりと浸りながらいわゆるマーフィーの法則を夢想する。「周囲につられるものなのか、人の動きにはなぜか波がある。だれ一人としてレジに本を持ってこないかと思うと、急に多くの人がレジに殺到してくるときもある。潮の満ち引きみたいで不思議だ。でも理解できない。」買うものが決まっていれば空いているときにさっさと会計を済ませればいいのに。レジが混んでいたら少し時間を潰せばいいのに。と批判の目を向ける。
この中で最もいじめたくて可愛がりたいのはやっぱ翠かなあ。理性だけで物事を判断するタイプだけど、はまったらどこまでも行くって感じだからねえ。かなり美形らしいし。
この3人が22歳になったときの状態と思考を書いてほしい。知識が増えることで、何が変わって何が変わらないかを描いてほしいです。
紙の本
少女マンガ好き元少女の挑戦
2002/07/22 19:26
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:じゃりン子@チエ - この投稿者のレビュー一覧を見る
横浜中区では「丘の上」に住む人間は金持ちと相場が決まっています。で、丘の下の貧乏人は「上」を金持ち空間と表しています。本書に登場するカソリックの女子高も金持ち空間にあります。
しかし、やってることはあんまり他の高校生モノと変わりません。人生がつまんない女の子が屋上に集まって語り合ったり、相手を思いやれなかったり、教師とつきあって家出したり、昼メロ並の典型的な展開です。でも、帰り道、自分の家からは少し遠くなるのに一駅分友人と一緒にいる、けどお互い何もしゃべらないシーンとか。高校時代に少し寂しかった人なら懐かしさと同時に共感できるであろう部分は少なくないです。
逆に題名が持っているような淫靡さや深遠さはありません。明らかにイメージ先行掘り下げ不足だなあ。自らの感性に正直でいることによる自立や屹立を書こうとしているのかもしれませんが、それにしては彼らの行動範囲そのものが狭く囲われた空間である事実は否めない気がします。だって、結局屋上だもんなあ。マンガにおいて、この場所は少年少女の逡巡場所の典型ですが、同時にどうしようもなく何処へも行けないことを感じる場所だったのではないでしょうか。懐かしくて、しかも地元の地名駅名がばんばん出てくるのでとても楽しく読んでしまいましたが、作者の言う「記号でも消費物でもない誇り高い生き物である少女を書きたい」というのはいまいち達成されていないのでは。
あ? でも、一応元少女の私が懐かしいと思ったんだからいいのか? するとそれが少女の限界なのか?
閑話休題。私のお気に入りの場面、主人公の一人が電車の中で露出狂のち○ぽ切っちゃうとこは痛快です。そうそう、女としては本当はその位やりたいんですよー。そういう意味で拍手、どんどんやったれ!
紙の本
「記号でも消費物でもない」女子高生の心と行動を描ききるフェミニズム小説の誕生
2002/03/23 17:17
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佛頂面 - この投稿者のレビュー一覧を見る
那由多、淑子、翠という3人の女子高生を語り手として、物語を展開していくという手法が新鮮である。しかも、物語は、それぞれの主人公の性格付けと見事なまでに対応した文体によって語り変えられており、三浦しをんという作家の才能の豊かさを、今までの作品以上に実感させてくれる。
伝統のあるカトリック系女子校の雰囲気が、この物語にはぴったりである。現代に生きる少女たちの心と行動が、メディアや軽薄な社会学者らによって誇張され商品化された女子高生とはまったく別な、ホントウの生き物として息づいている。幼いころに受けた傷が激情となってほとばしり出てしまう那由多の衝撃的な行動、心から男を愛してしまったお嬢様・淑子の揺れる心と最後の決断、冷静に理知的におのれを抑制する翠の消すことのできない羊水への記憶、オムニバス的に展開する3人の少女たちの語りに引きずり込まれ、少女たちの心と行動にシンクロしていく……。
これはとても心地よいことであり、男としては同時に異和をも体験することになる。ハッピーエンドではないが後味はけっして悪くはない。3人ともしっかりと大人になってゆくはずだと思わせてくれる。その余韻もいい。消費されない女子高生を描くために、これはとても大切なことだろう。真のフェミニズム小説の誕生を、素直に喜びたいと思う。