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  • みんなの評価 5つ星のうち 4 4件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2002.7
  • 出版社: 文芸春秋
  • サイズ:20cm/213,48p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-16-358430-7

紙の本

日本精神分析

著者 柄谷 行人 (著)

独裁政治を防ぐにはどうするか? 古今東西の思想、文学、歴史テキストを駆使して、現代と日本の諸問題を鮮やかに照射した画期的論考。巻末には、本文で取り上げた、芥川、菊池寛、谷...

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日本精神分析

税込 1,466 13pt

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商品説明

独裁政治を防ぐにはどうするか? 古今東西の思想、文学、歴史テキストを駆使して、現代と日本の諸問題を鮮やかに照射した画期的論考。巻末には、本文で取り上げた、芥川、菊池寛、谷崎の短篇小説も掲載する。【「TRC MARC」の商品解説】

収録作品一覧

言語と国家 7-54
日本精神分析 55-106
入れ札と籤引き 107-172

著者紹介

柄谷 行人

略歴
〈柄谷行人〉1941年生まれ。現在、近畿大学国際人文科学研究所所長、コロンビア大学比較文学科客員教授。著書に「トランスクリティーク」「日本近代文学の起源」など。

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みんなのレビュー4件

みんなの評価4.0

評価内訳

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紙の本

理想と現実のコラボレーション?

2002/12/02 00:50

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:PASSER - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者はこう述べる。「つまり、精神分析は治癒を目標とするのであって、治癒をもたらさないような分析は意味がありません。同じことが「日本精神分析」についても言えます」。つまり、ここで展開される持論は、柄谷流「日本への処方箋」、を意図して書かれていることになる。はたして、本書は本当にそうなりえているのだろうか。簡単に内容から検証していきたい。
 本書は国家と文字・議会制・資本制などとの関わりをそれぞれ述べた第一・三・四章と、日本の精神分析/日本精神(=やまと魂)の分析、を兼ねたという表題作・第二章「日本精神分析」の四章からなる。一、二章が分析に重点をおいたとすれば、三、四章は現状打破の柄谷なりの方法論といえる。
 一章では文字が国家と民族の接着剤となって、国民国家(ネーション=ステート)の生産に大きな役割を果たしていることを述べれば、二章では一章の内容を援用しながら日本/日本精神の分析をすることによって、確固とした日本あるいは日本文化の本質の存在を否定する。この点は、正直に言えばこう語ること、それ自体が柄谷的な日本本質論にすり替えられる危険性がある。ただし、この点は柄谷自身がそれに言及することと、分析そのものが一時的・相対的なものに過ぎないと脱構築して語ることによって、エクスキューズされ成り立っていると捉えておくべきなのだろう。
 この二つの章の分析を受け、後半が展開される。三章であれば議会制(だけではないが)の欺瞞を暴いた上で、その権力集中に対抗する手段として籤引きを提案する。そうすることによって、偶然性の導入による権力の流動化を企図している。四章であれば資本制=ネーション=ステートという三位一体による強固な国家システムの元となる資本の蓄積を避けるため、市民通貨「Q」を提案する。それにより、資本制の根幹となる、資本の蓄積を回避することが可能になるという。
 分析については、同時に文芸作品を用いて展開するなど、相変わらず手馴れた感じで分かりやすいし、妥当なところだ。したがって、本書の評価は後半の現代社会への提起を、読者がどう受け取るかにかかってくるだろう。一見すれば大それた夢物語のようにも聞こえるが、効果から考えれば、確かに最初から捨てたものでもない。特に後半の市民通貨に関しては、「円」との共生を模索するなど単純な理想主義に走るのを抑え、あえて現実も視野に入れているし、ただ批判に終始するだけの批評が多い中、実践も視野に入れての具体的な展開は、意欲も含めて評価したい。
 ただ、柄谷自身述認めるとおり、現実を考えれば実現は近い将来ではない。本書は最近柄谷達が進めている社会運動の理念的な導入書としての位置付けなのだろうが、これだけでは現実への浸透力はまだまだ弱いといわざるを得ない。理想と現実を沿わせようという努力の跡はうかがえるが、より現実に、実践に即した展開を今後期待する。何も理想を持った知識人だけに広がればいいと思っているわけではないのだろうから。

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紙の本

推論の普遍的過程

2002/09/08 16:59

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 柄谷氏は、ネーション=ステート(国民国家)はそれに先行する「帝国」の宗教・法・言語をめぐる三つの布置、つまり包摂原理(世界宗教)と交通・通商制度(国際法)と超越的概念(普遍言語=文字)を全面的に組み替えること(主観化・自然化すること)で形成されたのであって、このことは古代・近代、西洋・日本の別を超えた世界史的に普遍的な現象であるという。

 たとえば、ルターの宗教革命はキリスト教を諸制度から主観的な信仰に移行させることで近代的な諸個人を作り出した、というだけでは不十分である。それは免罪符を財源とするローマ教会の植民地主義的支配に対する反抗という意味をふくんでいたし、なにより重要なことに言語論的な意味をはらんでいた。教会その他の形式が第二次的であるように、大事なのは心(内的な音声)で、ラテン語の文字(多様な音声から独立した普遍的・超越的概念)はそれをあらわす二次的・副次的なものにすぎない。宗教革命の普及は『聖書』の俗語訳(口語訳)なしにはありえなかったし、このドイツ語がドイツ民族の言語を、ひいてはドイツ民族を形成していった。

《以上は西欧の例です。しかし、ネーション=ステートを、帝国内で諸国家の自立として見るとき、各地における歴史的文脈の差異を越えて、共通の問題を見出すことができるのです。私が『日本近代文学の起源』において考察した「言文一致」が普遍的に見えるのは、そのためです。一般的にいって、ネーションは、旧来隔絶していた書き言葉と話し言葉を、新たな書き言葉(言文一致)によって綜合していく過程なしには成立しません。ナショナルな言葉は、それが書き言葉(ラテン語や漢字)からの翻訳によるということが忘れられ、直接的な感情や内面に発すると思われた時点で完成します。

 ルソーやヘルダーのような一八世紀の哲学者たちがそのような観点から「言語の起源」を考察しはじめたのですが、実は、そのときにはすでに、ナショナルな言語が完成していたのです。彼らは近過去の「国語の起源」を問うべきであるのに、遠い「言語の起源」を問うています。そのことは、「国語」の歴史性を隠蔽し、それを自然化することにしかなりません。彼らの歴史的な視点そのものが歴史を隠蔽する。一九世紀に確立された歴史言語学は、実際は書き言葉によって形成された話し言葉を、根源的なものとみなす遠近法的倒錯にもとづいており、さらに、それ自身が「国語」を形成する作用をもったのです。

 したがって、音声中心主義的な考え方は、近代のネーションの形成にとって不可欠なのです。私が、デリダが西洋における音声中心主義をプラトンに遡って見ることに批判的だったのは、そのことが「近い起源」を隠蔽することになると思ったからです。しかし、その後、私が気づいたのは、古代においても、一つの国家が帝国から自立しようとするとき、自らの文字言語をもつ、そして、その時、音声中心主義的な考えがとられるということです。》(第一章「言語と国家」)

 ──『日本精神分析』の冒頭部分が指し示す「世界帝国の言語(文字=超越的概念)→内面の言語(音声)→ナショナルな言語(言文一致)」という推移は、「客観→主観→客観」(あるいは「物質→現象(クオリア)→言語」もしくは資本の自己増殖運動「M−C−M’」)とでも仮に表記できる、より普遍的で抽象的な推論過程の一例であって、このことはおそらく理系と文系を通底する言語や歴史の問題に帰着する。

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2013/03/10 17:49

投稿元:ブクログ

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2013/08/24 15:20

投稿元:ブクログ

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