紙の本
彼の存在感
2005/01/03 14:40
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投稿者:オクヤマメグミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
さびれて、ある時点で進むことをやめてしまったと言う町で過ごした時代の物語。西日の町というタイトルを読むだけで、目を細めてしまう。
主人公の祖父・『てこじい』が突然アパートに転がり込んできてからの日々が描かれている。
母親が何故『てこじい』に冷たくあたるのか、目の前で夜中に爪を切るのか、主人公はまだ幼いから解せないことが多い。
『てこじい』に少し怖れを抱きながら、戸惑いながら一緒に暮らした数ヶ月。
子供の目から見た老人が細かに描写されている。
乱暴な口ぶりや頑固な気性、『てこじい』はまるで実在するかのようだ。
彼の最期の瞬間を見届けた場面が、私は好きです。
紙の本
爪を切る
2002/10/20 22:07
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕の本棚に著者の処女小説「夏の庭」の文庫本がある。印象深い小説で、何冊か並んだ文庫の中で前面にきちんと収まっている。児童文学の域にはいるのかもしれないが、大人が読んでも充分鑑賞できる作品だ。僕の場合、僕が読んで娘たちに読むことを勧めた作品でもある。そんな著者の最新作だから、期待したのだが。
母と少年の構図がありふれている。ふたりの間に「てこじい」と呼ばれる母の父親を配したとはいえ、著者が描きたかったのは気丈な母と純朴な少年といえる(もし「てこじい」を中心に書いたつもりだとすれば、あまりにも魅力に乏しい)。その構図は、すでに「猛スピードで母は」(第126回芥川賞)で長嶋有さんが描いたものだ。長嶋さんの作品と比べると、残念ながら湯本さんの作品は、物語の底の浅さ、登場人物の表情の薄さが目だってしまう。それでも湯本さんらしい、詩のような純な表現がいくつかあったことは事実だが。
ちなみにこの作品は第127回の芥川賞候補作になって、支持する委員もいたらしい。しかし、選評の中の河野多恵子評がこの作品の本質を捉えているように思う。「全編に向けられる視野が平面的に偏していて、主題が生きていない」。次回作を期待するのは、選者以上に多くの湯本香樹実ファンだろう。
「また会おうな」「うん、きっと」
湯本さんの「夏の庭」の最後は、こんな会話で終わっていた。
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1970年代、日本を舞台に不器用に生きる祖父と主人公の少年の交流を描いた作品。
若い生命と消えゆく生命から浮かび上がる「生」と「死」。
主人公の家に突然転がり込んできた「てこじい」は、はじめ偏屈で厄介者と写ります。
しかし家族の危機に際しての行動にには、「てこじい」なりの不器用な優しさが表れていました。
そういった言葉にしなくても通じる思いをみていると、家族ってよいなって感じます。
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誰かを失うことを恐れるすべての人に伝えたい。
失うことは、怖い、と。
でも、失うことを恐れられることは、本当は幸せなことで、あの空気を嗅いだら、もう、恐れることもできないのだ、と。
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大学で教員をする主人公が、子供時代をすごした母と祖父について回想する話です。反発しながらも愛情で結ばれた家族の姿をみることが出来ます。
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話でしか聞いたことのなかった祖父「てこじい」が突然現れ、いつのまにかぼくと母のアパートで同居をはじめた。
てこじいと一緒にすごした日々は1年かそこらのはずなのに、ぼくの心に強烈な印象を残し、中年になった今も忘れがたい。
そんな不思議なてこじいの印象を、説明することなくそのまま断続的に、淡々としかし強烈に語った話。
ノスタルジーという格好いいもんじゃない、何か陽焼けした畳と西日のニオイが全体に漂う感じ。何とも言えん感じ。
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西日を追うようにして辿り着いた北九州の町、若い母と十歳の「僕」が
身を寄せ合うところへ、ふらりと「てこじい」が現れた。無頼の限りを
尽くした祖父。六畳の端にうずくまって動かない。どっさり秘密を抱え
て。秘密? てこじいばかりではない、母もまた…。
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西日を追うようにして辿り着いた北九州の町、若い母と十歳の「僕」が身を寄せ合うところへ、ふらりと「てこじい」が現れた。無頼の限りを尽くした祖父。六畳の端にうずくまって動かない。どっさり秘密を抱えて。秘密? てこじいばかりではない、母もまた…。
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つかめない文章だけど引き込まれる。てこじいとの思い出とそれを失う瞬間。幼心が出会う喪失体験。誰もが生きていく過程で他人の死とめぐり合い、そこで生きる死ぬを見て考えていくのだということを再び感じさせられました。
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湯本さん独特の雰囲気や優しさが
文からたくさん読み取れました。
ストーリー的にも
心あたたまるけど、
それだけで表現するのは
難しいってくらい
ワールドが広がっています。
こてじぃがホントに笑える場面とかあって
笑あり、微笑みあり、涙あり、ため息ありかな。
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母親と少年の元に転がり込んできた謎だらけの祖父。リリーさんの『東京タワー』前半部分と同じ匂いが漂う。
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子供の頃のことというのは、自分にとってはそれ程遠い過去のことではないのに、一端他人に対して語られると随分と昔のことのように聞こえてしまう。そしてその自分にとっては昔話ではない昔話を語りながら、その話に出て来る風景が随分と変わってしまっていることに気付く。するとさっきまで緑濃い雑木林が広がっていた風景が急にセピア色に変わってしまうのを実感するのだ。思い出していたのは真夏の昼間の出来事であったり、晴れた冬の一日のことであったりした筈なのに、セピアに変わってしまった風景は、何故か全て西日の中で赤く染まる風景のように思われてしまうのだ。そんな自分の記憶が、想い出、という言葉の中に埋もれて行く様を、湯本香樹実の「西日の町」を読んで実感せざるを得なかった。
主人公は、四十台と思われる男性。70年代に少年時代を過ごしたらしいことが物語の初めの方で語られる。70年代。自分もまさにその時代を少年として過ごして来た。家の周りには空き地があり、背の高い草むらが茂り、子供たちはすっかり大人から身を隠したようなつもりになって雑木林だの田んぼの近くの小川だので好きなだけ悪さをしてた。稲が実れば一房二房片手でもいで、口の中でおやつ代わりに玄米をいつまでも噛んでいた。みんなが、そこそこ貧乏で、同じように時間を自由にでき、大人はみな忙しく子供はほったらかされていた。子供に目を配っていたのは近所の年寄りばかり。今から思うとなんて贅沢な時代だったのだろうかと振り返らずにはいられない。それが自分にとっての70年代だ。
奥付によると、作者湯本香樹実は1959年生まれ。ということは四歳年上である。恐らく似たような時代の変化を感じて来たであろうことは、この作品を読んだ途端に感知される。繰り返しになるが、自分達にとってそれ程遠く隔たった時間ではないのに、例えば、紙芝居を見たことがある、というような記憶が、本当にそんなことがあったんだね、というような覚めた感慨を持って受け止められがちであるように、ある意味隔絶した時代の出来事によって構築されていることも実感せざるを得ない。時代は流れた。それはそうだ。しかし時代が変わった程に人間は変わったのだろうか。そこのところが解るような解らないような気分にならざるを得ないのが三十年後の事実でもある。
「西日の町」は主人公の少年時代の風景を切り取って来たお話しだ。主人公が、この話を語り始めたのは、母親の死が切っ掛けだったらしいことは、それとなく告げられる。母親の死が、少年時代に遭遇した祖父の死を思い起こさせ、その祖父の存在の奇妙さを今さらながら噛み締めさせ、少年であった自分には理解できなかった父娘の情の繋がり方に思いを巡らせることを強い、そして今自分の置かれた場所を見直す切っ掛けを与える。この場所に居て、自分は何を覚えていて、何を忘れたのか。そんなことにすら気付かなかった自分に驚く。その主人公の静かな思いが、ひたひたと伝わって来る。
自分達が子供だった頃、大人は子供に不正直だった。本当のことは言わなかった。それは大人が大人であって、子供が子供であるためには必要だったことなのかも知れない、と今は思い始めている。例えば「西日の町」の中でも、こんなシーンが描かれる。ある時、苛立ちを覚えた母親は自分の弟に対して感情を爆発させる。その感情の解放は、封じ込めた筈の昔の思いも一緒に記憶の浅い領域に押し上げ、母親はその感情の波に放浪されてどうにもならなくなる。母親の弟は、子供である主人公をさり気なく城趾に再建された天守閣へ連れ出し、姉に落ち着きを取り戻す切っ掛けを与える。更に、主人公が母親を上から見つけようとするのを、これまたさり気なく別の方向へと、気をそらせてしまうのだ。このシーンを語る主人公は、子供ながらに何かに気づいてはいたのだが、それを語りながら、そういうことだったのか、と得心するような雰囲気を醸し出してさえ居る。単に想い出を語ることで過去を生き直すのではなく、その意味していたものを読み解くかのようだ。
そんなようにして、子供が見るべきものと見てはならないものは、ルールなどなくても厳然と区別され、子供に疑問を抱かせることがない位はっきりとした態度で管理されていたように思う。そして、その当人達が大人になると、あれにはこういう意味があったのだ、と重々しく真実が告げられるのだ。その伝承のような行いの中で、大人になる意味というのを再確認し、法律などのような血の通わないものから決して感じ取ることのできない、守り護られなければならない掟のようなものを、自然と受け入れるシステムになっていたのだな、と思うのだ。それに対して、今の大人は余りにも正直だ。子供に対してむき出しの感情をぶつけ、友達のような関係と言えば聞こえはいいが、大人としての配慮は偏った形でしか配られることがないようにすら思う。それは大人が大人になる機会を失ったからであるとも言えるのだが、その原因は、裏を返せば子供が子供であることを許すこともない。現代を生きる子供は、聞き分けのいい子供時代を過ごし、わがままな大人の仲間入りを強要される。
決してそんなことが描かれているわけでもないし、声高に主張されているわけでもない。けれど、この「西日の町」を読んで似たような少年時代を過ごし、似たような大人からの心優しい差別をうけた身としては、この本が見つめ直している現代に対して、やはり、思考を巡らさずにはいられなくなる。
この本の持つノスタルジックな雰囲気は、どこかしら幸せだった時代の自分に繋がっていて温かい気分になる。それと同時に、現代に投げ出された自分が、行き場を失っているかのような気にもなり、少しだけやり切れないような気分も沸き起こるのだ。そして、より強く、大人になった自分として、何かをなさなければならないという使命感のようなものも、不思議と湧いて来る。そしえそのことは、誓って言うが、決して悪い気分ではないのだった。
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風邪でもうろうとしている時に読んだせいか、あまり印象に残らず…。
でも湯本香樹美のは、やっぱりデビュー作が一番だなぁ。これで全てを言いきっている感がある…。
新作はいつ出るのだろうか?
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◆ざっくりあらすじ
好き勝手に生きてきて何年も行方をくらましていた「てこじい」が、歳を取ってある日ひょっこり帰ってくる。
そんなてこじいに文句をいいながらも、てこじいの事を一番気にしている僕の母と、今は大学教員をしている僕との、家族の物語。
◆感想
不器用で好き勝手に生きてきて、そんな身内を持ったら、家族は大変だろうし文句も出るだろう。
でも、不器用ながらにも家族の事を想っているのであれば、その想いは家族自身が意識しないところで届いているもの・・・。
だからこそ、家族はあのような形でてこじいをみとる事ができたのではないか。
「みとる」・・・っていうのは、こういうことなのだと思った。
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人が死ぬ時の、しゅぅーと生気が抜けていく感じ。あれは不思議なものですね。
ていうか、これ、何年か前に一度読んでるのに間違えて買ってしまった。