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収録作品一覧
赤の組曲 | 7-312 | |
---|---|---|
夜の判決 | 313-360 | |
縄の証言 | 361-418 |
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紙の本
これはもう好き嫌いの問題でしょうね。鬼面ものや『刑事コロンボ』を好きな人は、きっと土屋作品を高く評価する。でも、私のように警察の見込み捜査を権力の乱用、倫理の放棄と思ってしまう人間には、その犯人を追いつめる過程そのものが許せない。でも、タイトルは大好きです。文庫のカバーも魅力的。
2010/02/09 20:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
土屋隆夫の本は殆ど読んだ気になっていたんですが、それは錯覚でした。いや、もしかすると読んだけれど忘れているだけかもしれません。いずれにしても「新装版」になったのを契機に、時間があれば読もう、と思っていて、漸くその機会が訪れました。カバーデザインは田村義也、色の使い方が日本的で、金色の使い方も含めて私は好きです。
カバー後の案内は
*
千草検事は、懐かしい友・坂
口秋男の来訪をうけた。「警察
署長を紹介してほしい」彼の妻
が失踪したというのだ。千草は
助力を約束する。坂口の妻らし
き女性が、長野の温泉を訪れた
という情報が入るが、その女性
も失踪してしまう。犯人が残す
「赤い」謎――。
論理と直感が絡まり合い、ひ
きたて合い、鮮やかな結末を紡
ぎ出す本格推理小説。
*
となっています。上の文は表題作についてのことなので、目次に従って他の収録作品の初出と簡単な内容案内をしましょう。
赤の組曲(文藝春秋1966年12月号)
前奏曲 ビゼーよ、帰れ
第一楽章 赤いゼロ
第二楽章 赤い寝衣
第三楽章 赤い日記帳
第四楽章 赤い合唱
終 曲 夕焼けはなぜ赤い
短篇 夜の判決(推理ストーリー1965年6月号):出世街道から外れたことの鬱憤を妻にあたることで解消しようとする地方公務員。そんな夫を憎みながら、それでも恋しくてならない妻。夫恋しさに一人悶える夜に事件は起きた・・・
縄の証言(別冊宝石1967年4月号):地方検察庁の検事が死刑を求刑していた男が、控訴中に刑務所で病死した。一貫して被告と被告の家族の証言を虚偽として退けてきた検事の家に、病死した男の娘が現われて父親の無罪を訴えて・・・
芥川龍之介の推理(推理ストーリー1968年9月号):S警察署関内に連続して起きた自殺事件。最初は市立工業高校の三年の男子生徒、次が市立第二中学校二年の女子生徒、三人目が市立中央小学校五年生の女の子、捜査主任は芥川龍之介の本を読みながら考える・・・
エッセイ 江戸川乱歩先生の思い出(「推理小説研究」1965年11月):亡くなった乱歩へ
ひまつぶし(日本推理作家協会会報1968年2月):へそくり、などの語源を辿ってみると
解説 大野由美子
となっています。この中で言えば私は「赤の組曲」と「芥川龍之介の推理」は一度読んでいます。ただし、完全忘失。特に後者は、我が家に単行本があるにもかかわらず全く覚えていません。で、「芥川龍之介の推理」についていえば、芥川を出さなくてもよかったんじゃあないかなあ、って思います。芥川を使わなくても充分理解できる、むしろ足を引っ張っていると思います。
短篇で言えば、「縄の証言」が気になる存在。時代とはいえ、何故、検事が容疑者とその娘の証言を嘘と決め付けるのかが分かりません。検事の家庭生活問題とか、背景に何かないと、検事という職にある人間が、ここまで一方的に容疑者を犯人と決め付けるかなあ、って私などは思うんです。そういう点では「夜の判決」のほうが腑に落ちます。ともかく、読後感の悪さでは、「縄の証言」と表題作。
で、私が読んだことすら忘れていた「赤の組曲」ですが、まず、なぜ検事か、というのがわかり難いんです。検事抜きで刑事だけでこの話は成り立たないのでしょうか。私は成り立つと思うし、そのほうが話を理解しやすい。そうでなければ、もっときちんと検事と刑事の役割を説明して欲しい。多分、ここらがよく理解できないので、まだ若かった私はこの作品を高く評価しなかったんだと思います。
それと検事と刑事の付き合い方です。今読んでも、不自然なんです。まず、検事の尊大さが嫌なんですが、そんな人間に顎で使われて、一緒に酒呑む気がするか、って思います。私だったら刑事仲間で飲みますよ。それと野本は何故、いつも検事に報告を直接入れるんでしょう。上司や仲間はいないんでしょうか。どうも、この古くて矛盾した人間関係が理解できないこともマイナス評価に繋がったんだと思います。
それと、「縄の証言」でも書きましたが、私は警察や検事が容疑者を犯人だと決め付けてから捜査をする、っていうのが嫌いなんです。証拠があって、ではなく、心証で動く。じゃあ、「縄の証言」を書きながら、土屋は前の年に出した自分の「赤の組曲」の千草のやり方が、この小説の検事の方法と全く同じであることに疑問を抱かなかったんだろうか、って思います。
要するに、私は、捜査側に感情移入することが全く出来ず、反発ばかり感じて、この作品を評価しなかった、だから覚える価値なしと判断して、読んだことも含めて意図的に忘れたんだと思います。そして、再読した結果、そのときの読後感は、今も間違っていない、そう確信しました。