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商品説明
いったいなぜ、「政治哲学」は復権したのか? 多元的世界における政治哲学の衰退〜復権の枠組みを描き出し、ロールズ政治哲学の全体像と論理、現実的意義を明らかにする。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
伊藤 恭彦
- 略歴
- 〈伊藤恭彦〉1961年愛知県生まれ。大阪市立大学大学院法学研究科単位修得。現在、静岡大学人文学部助教授。共著に「現代政治学」など。
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紙の本
共通価値なき価値多元社会のために
2007/07/28 22:38
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代社会は、共通価値なき価値多元社会である。この著者の認識は、目新しくはないが「正しい」と思う。本書の良さは、全編がこの基本認識に貫かれていて、議論の軸になっているところ。しっかりとした軸があることが、まとまりの良さにつながっている。
本書のテーマは二つ。
一つ目は、価値多元社会の到来により、政治哲学はいったんは衰退した。しかし、まさに「そのことにより」政治哲学は復権を果たしたのである。まずはこの系譜を追う。
二つ目は、価値多元社会において政治哲学はどのような貢献ができるか、だ。個々人によって「善の構想」が異なる社会のなかで、どのような「正義」や「秩序」を打ち立てられるだろうか。
ロールズに対して批判的であれ好意的であれ、その業績を真剣に受け止めてきた後続から、ロールズを乗り越えんとするとする魅力的な議論は次々と出てきた。だが著者はそこに直接向かうことは最小限に留め、ロールズの理論に再度照明を当てようとする。まだまだロールズからは学ぶべき点があるのだ。
内容に即して見てみよう。
一つ目。冒頭ニーチェによって、「神の死」が宣告される。ウィトゲンシュタインは人生の意味や価値は「語りえない」ことだとする。エイヤーは、価値言明は真でも偽でもない単なる情緒の表現にすぎないと述べる。
彼らの影響の元、相異なる価値同士が通訳不可能である価値多元社会の幕が開かれる。畢竟、価値の追求を中心としてきた従来の政治哲学は衰退してしまう。
この後、政治学にも科学化の波が押し寄せる。実証主義的な政治学が席巻することになるのである。だからといって、価値対立が収まるわけではない。むしろ深刻化していく。そのことが、いったんは死んだはずの政治哲学を、復権へと導くことになるのだ。
ここまでが序章と第1章。次の第2章ではシュトラウス対ロールズの、第3章ではマルクス主義対ロールズの構図を抽出することで、政治哲学復権の系譜が描かれる。それぞれの関係を著者は対立というより対話として、読み込んでいる。
この後が二つ目のテーマ。第4章は、ロールズ理論の主要トピックの解説が中心だ。ここでの著者の内省的均衡の解釈は、以前に『ロールズ正義論の行方』のレビューで触れた盛山氏の批判が当てはまるので疑問もあるが、それを割り引けば大体はしっかりとした解釈なのではないだろうか。
第5章が福祉国家をどう考えるか。格差原理を「私」という存在が受け入れることができるのか。
第6章では、ロールズの正義論ではあまり注目されることがなかった課税原理を取り上げている。本書の特色でもあるだろう。それは比例的支出税の構想なのだが、果たして公正なのかという話だ。財産所有民主制を前提とするなら、受け入れ可能なのかどうかが検討される。ここはもっと突っ込んで論じてほしかった。
終章はグローバル時代の政治哲学。学者らしい抽象的な物言いが主だが(それが学者の誠実さでもあるだろうが)、その決意表明の一端を聞いてみよう。
《政治哲学はそうした点で、グローバリゼーションの下でモダンがもつ複雑な問題性をつかまえるための知的営みであり続けなければならない。同時に現代政治哲学は、狭い哲学者(哲学研究者)達の知的な遊戯ではありえない。価値多元社会という、豊かではあるが生きにくい社会にいる個々人に、価値対立をどう引き受けるのかに関する実践的な指針をも提示しなくてはならない。そうした意味で政治哲学は、複雑な現代を読み解くさまざまな知と協同しながら、一人一人の個人に実践的な力を与えるエンパワーメントとしての哲学という性格ももたざるをえないであろう。》
世間では、哲学書がまた読まれているそうだ。それも形而上学的な興味というより、個々人の生活世界に引きつけて、あるいは実践的な知として。
政治哲学もまた、そちらの方向へと歩んでいるのだろう。