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商品説明
「人はみな自分の幸福を求めているか?」「社会契約は可能か?」 道徳という不可思議な現象について、従来の倫理学書とは異なる「道徳外的」視点から扱う。道徳的善悪そのものを疑う、逆転した新しい倫理学の書。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
永井 均
- 略歴
- 〈永井均〉1951年東京都生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、千葉大学教授。著書に「マンガは哲学する」「転校生とブラック・ジャック」ほか多数。
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紙の本
新しい哲学猫が語るエゴイストの愛
2003/06/08 19:18
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
『〈子ども〉のための哲学』は、第一の問いが「ぼくはなぜ存在するのか」で、第二の問いが「なぜ悪いことをしてはいけないのか」だった。第一の問いについては、『翔太と猫のインサイトの夏休み』で、猫のインサイトが縦横に論じていた。第二の問いに答えるために、永井均さんは新しい「哲学猫」、アインジヒトをうみだした。(第二の問いをめぐっては、すでに小泉義之さんとの共著『なぜ人を殺してはいけないのか?』がある。そこで永井さんは、アインジヒトを彷彿とさせる議論を展開していた。)
いま「問いに答えるために」と書いたけれど、アインジヒトが本書で示す最終的な回答──《悪事は黙ってただせざるをえない──これが「なぜ悪いことをしてはいけないか?」という問いに対する本当の答えだ。つまり「答えとして語るべき言葉が原理的にありえない」という答えだ。原理的になくなったとき悪になるんだよ。「悪 vs 善」の論争がない理由も同じだ。悪を悪の方向で正当化する言説などあるわけがないんだ。なぜなら、言葉とは、本質的に、他者──つまり他人か異時点の自分──と語り合うためのものなのだから。そして、それが道徳的善の意味なのだから。》──は、ただそれだけを黙って拝聴しても、答えを得たことにはならない。
かといって、アインジヒトが、M先生(実はアインジヒトの、そして永井均の分身)の講義を聴講する新入生の裕樹君や千絵さんを相手に繰り出す語録──たとえば、われわれはすでに「社会契約」後の存在で、だから「契約前と契約後を対等に見通すような観点に立つことはできないのかもしれない」とか、「本当の利己主義者が他人にも本物の利己主義になって欲しいと思って、そう呼びかけたくなるのは、その人のためを思うからなんだよ」(エゴイストの愛)とか、「俺であるという性質が普遍化可能であるということこそが倫理の基本だと思うね」とか、「道徳が、徹頭徹尾、権力現象であることを忘れてはいけない」とか、「つまり俺は、社会とその中での個人といった観念に基礎をおいて発想すること自体を拒否するのさ」──に、いちいち唸ったり、蒙を啓かれたりしても、本書をよく読んだことにはならない。
永井さんは「はじめに」でこう書いている。「この本が対象としている読者は、いかに生きるべきかという問いを考えているが、それを道徳的な問いに解消したくないと思っている人である」。「私は、私の人生において直接感じた問いしか問うことができない。まさにそれこそが私の理解するところの哲学ということの意味なのである」。──だから、この本をよく読むということは、「いかに生きるべきか」という問い(『〈子ども〉のための哲学』での分類によると、それは「青年の哲学の根本課題」だった)を生きることそのものだし、その答えを得るということは、よく生きることそのものなのだ。
──ところで、本書のなかでただ一度、千絵さんが関西弁になる(198頁)のはどうしてだろう。