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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.3 90件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2003.3
  • 出版社: 北海道新聞社
  • サイズ:19cm/463p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-89453-247-6

紙の本

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち

著者 渡辺 一史 (著)

【大宅壮一ノンフィクション賞(第35回)】【講談社ノンフィクション賞(第25回)】人工呼吸器を着けながらも自由を貫いた重度身体障害者と、生きる手ごたえを求めて介助に通う主...

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こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち

税込 1,980 18pt

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商品説明

【大宅壮一ノンフィクション賞(第35回)】【講談社ノンフィクション賞(第25回)】人工呼吸器を着けながらも自由を貫いた重度身体障害者と、生きる手ごたえを求めて介助に通う主婦や学生ボランティア。02年8月死亡した筋ジス患者・鹿野氏と24時間体制で自立生活を支えたボランティア達の心の葛藤を描く。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

渡辺 一史

略歴
〈渡辺一史〉1968年愛知県生まれ。北海道大学文学部中退。フリーライター。北海道内の市町村、郷土関係の出版物に共同執筆作がある。著書に「銀の海峡魚の城下町らうす物語」など。

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みんなのレビュー90件

みんなの評価4.3

評価内訳

紙の本

出版社コメント・著者コメント

2004/05/14 10:18

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:渡辺 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ダブル受賞!
第35回大宅壮一ノンフィクション賞
第25回講談社ノンフィクション賞

デビュー作で2大ノンフィクション賞を制覇!

 第35回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した渡辺一史氏(1968年名古屋生まれ)はこれが単行本デビュー作。北海道大学在学中からライター活動を始め、一度も組織に属さず、北海道でキャリアを積んできた「たたき上げ」のフリーライターである。

 2003年3月に出版した本書で同年9月、講談社ノンフィクション賞を受賞。今回の大宅賞受賞でふたたびノンフィクション賞の最高峰に輝いた。これまでに両賞のダブル受賞は高山文彦氏の「火花」など3度あるが、新人のデビュー作としては初めて。また地方出版社の本が両賞を受けるのも初という快挙を果たした。

「先入観」裏切るスリリングな成長物語

 本書は、札幌市内で在宅自立生活を送る筋ジス患者・鹿野靖明さんと、24時間体制で支える介助ボランティアとの交流や葛藤を描いたノンフィクション。渡辺氏がみずからもボランティアの一員となり、「わがままな」障害者である鹿野さんとそこに通う主婦や学生ボランティアたちの人生を丹念に聞き取った。鹿野さんは、原稿完成直前の2002年8月、42歳で亡くなった。

 完成まで3年の歳月をかけてまとめ上げた本書では、ありがちな美談ではなく、障害者と健常者の枠を超えた新しい人間関係がリアルに描かれている。大宅賞選考委員の作家・関川夏央氏は受賞作発表の記者会見で「介護の話というと、普通は『またあれか』と思われるかもしれないが、その、またあれか、という最初の数十ページの感想が、だんだん裏切られていく。書き手がボランティアの場に放り込まれて、成長しないと生きていけない、というふうになっていって、ある種のビルドゥングスロマン(成長物語)としても非常に面白いのではないか。現在の福祉行政におけるノーマライゼーションに対する意義深い意見をもはらんで、スリリングな読書体験を生んでいる」と講評を述べた。

▼上野千鶴子氏が選ぶベスト3(「ことし読む本いち押しガイド2004」)
▼2003年ブック・オブ・ザ・イヤー総合第3位(ダカーポ編集部)
▼「本の雑誌」2003年度「私のベスト3」(東えりか氏)
▼「東大教師が新入生にすすめる本」(東大出版会「UP」2004年4月号)で長瀬修氏が推薦


■著者コメント
‾‾‾‾‾‾‾
ありがちな美談ではなく

 私は、この本の取材に取り組むまで、「福祉」にも「ボランティア」にもまったく無関心な人間でした。
 そんな私がなぜ筋ジス患者の生きざまと、それを支えるボランティアたちの世界に巻き込まれていったのか。それはこの世界が、決して美談や感動ドラマでは語りきれない、非常にドロドロとした人間くさい世界だったからです。生や死や人間関係の凝縮する“シカノ邸”に向き合うことで、私の人生は大きく変わりました。
 これから福祉や医療を志そうとする学生たち、あるいは「福祉」や「障害者」は無縁だと思っている、かつての自分自身に似た人々にこそ読んでいただければ、と思っています。

                               渡辺 一史

■→著者・渡辺一史氏インタビュー(講談社ノンフィクション賞受賞時)

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紙の本

弱さこそが強み

2009/04/27 00:00

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

本は自分から選び取る本と向こうからやってくる本があるが、
どちらの場合もたいてい測ったようにぴったりのタイミングで
読むことになるというのが持論である。

この本は、よく読むジャンルの本ではあったので、
前から存在は知っていた。

が、読むことになったのは、「読んだことはありますか?」と
聞かれたからであった。

読んでみて、薦められた理由がわかった。

そこに展開されていたのは、
単純に割り切れない重度障害者と介助者の関係性。

私が思ったこと悩んだことは、
なんだ、ほとんどすでに書かれていたじゃないかとという衝撃。

かつての自分がここにいる気がした。

痛いまでに自分がいて、困るくらいだった。

でも、今だから、読めた。

もっと前だったら無理だったから、やっぱり今だったのだと思った。

本書は、筋ジストロフィーの当事者である鹿野靖明の自立生活と
それを支えたボランティアたちの物語である。

ライターの渡辺一史氏は、鹿野氏やボランティアたちを
取材したというだけではなく、
自分もボランティアの中に入り込んで、
実際に介助を経験し、悩みながら、書いているという点が特徴的である。

鹿野氏自身だけでなく、大きく関わったボランティアたちにも話を聴き、
うまく行った関係もうまく行かなかった関係も、
苦労した時期のことも書ききっている。

悩んでやっと書き終わりそうなところで、
訪れた予期しなかった結末は、この本の決着をつけることとなり、
もしかすると、その結末があったからこそ、
著者はこの本を書き終えることができたのではないかという気さえした。

総ページ463ページ、大量の注と参考文献。

圧倒されるが、重苦しさはなく、重厚であっても、
どこか爽快に読み通せるという、不思議な魅力を持っている。

タイトルの「こんな夜更けにバナナかよ」は、
鹿野とボランティアの関係を象徴する
伝説の「バナナ事件」から生まれた。

不眠症で、睡眠導入剤と精神安定剤がなくては眠れない鹿野は、
とにかくなかなか寝ない人であった。

ボランティアの国吉が、深夜に起こされて何かと思ったら、
「腹が減ったからバナナ食う」という鹿野。

「こんな真夜中にバナナかよ」と内心ひどく腹を立てたが、
口には出さず無言でバナナの皮をむき、口に押し込んだ国吉。

ふたりの間にただよう言い知れぬ緊張感。

鹿野は食べるのが遅いから、手がしびれてくる。

ようやく一本食べ終わったと思ったら、「国ちゃん、もう一本」。

国吉は、驚くとともに、そこで鹿野に対する怒りは
急速に冷えていったという。

あとあと、この話は、本当は長い時間をかけて作り上げていった
関係性を象徴的にエピソード化した物語だったと
国吉氏自身が思い出すことになる。

この鹿野の自身の、欲求や生きることにあきれるほどに
正直で、貪欲で、それを臆せず口に出すことと、

そのことに、ボランティアは驚いたり、あきれたり、
腹が立ったり、ぶつかっていったりしても、
結局のところ、魅力に感じて惹かれて、ずっとボランティアを続けていく。

その両者の関係性を象徴するエピソードがバナナ事件ということで、
本書のタイトルとなったのだろう。

かつての私は、ここまでは、突き抜けられなかったな。

ぶつかったら途中でやめてしまったタイプの方だと思う。

いや、ぶつかるのがいやで、自分ひとりでためこんで
もうだめだとやめていくタイプだ。

それは、障害のある人との関係においてだけではない。

そういう自分の物事への処し方の課題が見えてきてしまった。

かつて私が壊した人間関係の、
その壊れた理由の一端も見えてきたような気がしたのだった。

印象的なフレーズは、多々あったが、私はこの一節を選びたい。

  <<人に助けを求めるのは少しも悪いことじゃないのです。
   私はどんなことをしてでも生きたい、また生きていくでしょう。
   日本の福祉を変えたいです―>>

  しかし、結局のところ、こうした言葉と思いが、
  鹿野の「強さ」から来るものなのか、
  「弱さ」から来るものなのかは判然としない。

  鹿野には「一人静かに困難を耐え忍ぶ」という
  「強さ」がいっこうないようなのだ。

  いつも自分の問題に他人を巻き込み、引きずり込もうとする。

  しかし、こうした一見「弱さ」と映る性格があればこそ、
  全国でもあまり類を見ない人工呼吸器をつけての
  ボランティアとの「完全自立生活」を
  軌道に乗せているといえばいえた。

  (p.327)

人が「一人静かに耐え忍ぶ」ことができる困難なんて、たかがしれている。

自分の力を超えたところまで、ひとりで抱え込もうとすると、
心が壊れてしまったり、死を選んでしまったりする。

そうなってから、人を巻き込むのでは悲しすぎる。

福祉の周辺では、依然としてそんなことがあとを絶たないのだ。

浦河べてるの家の人たちが、「弱さの情報公開」は大切だと言った。

弱いからこそ絆ができるのだと。

ここに「弱さを絆に」を体現した究極の世界があった。

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紙の本

介護という言葉に構えなくてもいい社会に

2008/10/23 15:08

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:カフェイン中毒 - この投稿者のレビュー一覧を見る

進行性筋ジストロフィー。
全身の筋肉がどんどん衰え、内蔵もやられていく難病である。
それは、筋肉のかたまりである心臓も同様であり、
最終的には人工呼吸器をつけるという選択を迫られることになる。

人工呼吸器をつけるというのは、通常、病院など施設での最後の日々を意味するが、
日進月歩の医療のおかげで、以前より寿命ものびる傾向にある現代、
自宅に帰ることのできない生活は嫌だと、この本の主人公シカノさんは訴える。

「自由」という言葉にはとても甘い響きがあるが、自己責任もついてまわる。
病院を出るというのは、24時間を看護師以外の人間に任せるということでもあり、
それをボランティア(ほとんどが学生などの素人)に頼る以上、常に危険とストレスを伴う。
そもそも自宅とはいえ、プライバシーというものが介入できない生活なのだ。

それでも彼は、自宅での生活を選ぶ。
特に人格者ではなさそうだし、怒鳴り散らすし、自分がいかに大変かを訴え続ける彼は、
器用にボランティアの人たちと付き合えたとはとても思えない。
事実、彼との摩擦で辞めていった人もいるらしい。

著者は、そんな彼の元に残ったたくさんの人たちに(もちろん去って行った人にも)取材をしている。
綺麗事ではすまない、介護の現場。
重苦しいものから目をそらさず、美談に走らず、淡々とつづられる文章。
目にした事実をひとつひとつ咀嚼していく姿が、目に浮かぶようでもある。
おそらくは、とても誠実な仕事をする人なのだろう。
シカノさん宅に通ううちに、ちゃっかりボランティアの頭数に入れられていたりもする。

シカノさんを取り巻く状況(著者が向きわなければならないもの)は、
なにもボランティアとのやりとりだけではない。
病気や障害とともに味わってきた感情、社会の無理解と闘った日々、
そして思うようにならない自分の身体。
何度も死線をくぐりぬけ、そのくせ達観するということのないシカノさん。
そしてそのギラギラする部分に惹かれて、ボランティアを続ける人たち。

著者は幾度も悩む。
ボランティアとは何か。
究極は人間関係だと思うけれど、それを書き始めたら自分の手にはおえない。

ひとりのボランティアOBが語る言葉が、私の心にしっくりとなじんだ。
結局、最後までやめなかったのは、情が移っていたからじゃないかと。
彼はこうも言う。
シカノさんも含め、みんな物事を大げさにしているのではないか。
障害者を介助することは、もっと日常的でフツウのことであるのが理想だと思う。

障害者と健常者は同じだといくら言っても、介助がなければならない時点で条件は違って当然なのだ。
しかしそれはあたりまえのことであり、
そういう「条件の違い」は、健常者同士であっても存在するのではないだろうか。
あえて「異質なもの」という言葉を使うが、それを込みでなされるのが人間関係だと私は思っている。
もちろん、そこには好みや相性がある。
長くつきあえば情もわく。
そういうことだ。

もしかしたら、それも理想論なのかもしれない。
ただ、日常の中のあたりまえのこととして「介助」が組み込まれる世の中なら、
ボランティアに対する過剰な思い入れも、障害者に対する偏見も、健常者に抱く劣等感も、
現状よりやわらぐのではないだろうか。

本書の柱になっているのは、重度障害者の在宅介護である。
施設に隔離するのではなく、多くの手を借りながらも健常者と同じ社会システムの中で生活すること。
お互いが大変なように見えて、
じつはそのシステムが、健常者にも障害者にももたらす効果はとても大きいこと。

ワガママいっぱいのシカノさんが愛されたのは、
その困難なことの実現に、命をかけてぶつかっていたからなのだと思う。
ワガママ?
そんな人、障害の有無にかかわらず、周りにたくさんいるではないか。
それでも付き合いが続くのは、そこに愛や情があるからだ。
その人を好きだからなのだ。

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紙の本

怒り、笑い、生きる、同じ人間

2022/02/28 14:30

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:chat_noir - この投稿者のレビュー一覧を見る

タイトルに惹かれて読みました。
「かわいそう」な障害者ではなく、同情や憐れみの客体ではなく、怒り、笑い、生きる、同じ人間であること。当たり前のことのはずなのに、無意識に当たり前でなくしていること。
そんなことを考えさせられました。

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2004/10/16 20:32

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2004/10/31 18:49

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2005/02/20 14:04

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2005/06/16 14:14

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2005/08/14 10:41

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2005/11/08 01:14

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2006/02/09 21:15

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2006/03/01 16:09

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2006/07/01 01:03

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2006/09/19 11:21

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2006/11/27 23:11

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