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紙の本
四季 夏 (講談社ノベルス)
著者 森 博嗣 (著)
米国から帰国した真賀田四季は13歳。すでに、人類の中で最も神に近い、真の天才として世に知られていた。叔父と行った遊園地で四季は何者かに誘拐される…。「すべてがFになる」で...
四季 夏 (講談社ノベルス)
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商品説明
米国から帰国した真賀田四季は13歳。すでに、人類の中で最も神に近い、真の天才として世に知られていた。叔父と行った遊園地で四季は何者かに誘拐される…。「すべてがFになる」で触れられなかった真相が今、明らかになる。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
森 博嗣
- 略歴
- 〈森博嗣〉1957年愛知県生まれ。著書に「すべてがFになる」「冷たい密室と博士たち」「笑わない数学者」など。
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紙の本
四季シリーズは、楽しいか?
2004/03/17 21:01
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:海の王子さま - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕は前作「四季 春」を読んでから 夏 をスっ飛ばして「四季 秋」を読んでしまったので、途中がスッポリと抜け落ちたようになっていました。
ナニがイケなかったのか?って、書店の品揃え。ちょうど、このあいだは「四季 夏」が本棚になかったのです。で、ようやく手に入れて読むことができた「四季 夏」。
なるほど、なるほど。こうやって四季シリーズは繋がるのですね。四季シリーズは春、夏、秋の順で読んだ方がずっと楽しめます。(教訓)
それにしても、こんなに豪華に絢爛にふんだんに惜しみなく おなじみのキャラクタ を登場させてしまって、大丈夫なのでしょうか。4冊目となる(であろう)「四季 冬」では、いったいどんなことになってしまうのでしょう? とてもとても、楽しみです。
森博嗣ファン(?)にはタマらない四季シリーズですが。密室殺人があるワケでもなく、スリリングな身代金の受け渡しがあるワケでもなく、呪われた寒村の老婆が何をするワケでもなく。淡々と 天才の姿 が描かれて、これまでの作品では描かれていなかったピースが少しずつ提示されるこのシリーズ。森ファンではない読者にとって、どれだけ楽しめるものなのでしょう?
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四季は幼くして人生の盛夏を迎えた。
2004/01/20 23:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:綾瀬良太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「四季」シリーズの第2作を「四季の愛のカタチ」と解釈した。ミステリー仕立てだが、実はこの物語は、天才少女の、特殊な愛のあり方を描いていると、私は勝手に思うのだが、はたして。
「愛の物語」を示しているのが、タイトルだ。「赤い夏」は、人間離れした四季の、短い青春を暗示しているのではないか。なにせ暗示が好きな森博嗣である。しかも、描かれるのは、人間の理解を超えた天才。いわば神に近い存在の少女が遭遇した、唯一の恋愛(のようなもの)が、「すべてがFになる」の事件の秘密を握っていたわけだ。そんな過去をもつ天才だからこそ、S&Mシリーズの「封印再度」で犀川にアプローチをしかけてきたのである。これは「四季」ワールド、いや、S&MシリーズとVシリーズに共通する鍵になるはずだ。その鍵は「四季」の物語へと流れ込む支流なのだ。そう、すべての川は海へ流れているのだから。
「四季」シリーズは、このように複数の伏線が張られた物語のひとつのゴールだが、忘れてはならないことがある。それは物語があらたな物語を出産し、スタートラインに戻ってくることだ。森博嗣の関心は、この関係性に注がれている。彼と彼女は、あの人とこの人は、森博嗣の中では同時に動いている。そしてパラレルに物語を紡いでいる。「四季 夏」は、その中で、四季の過去にスポットを当てる特集号だが、あなどってはいけない。四季は神に近い存在だ。その愛のカタチもまた、一般人を超越している。読者は四季のうつろいの中にたゆたいながら、突出した人格の愛のあり方に人間の意志の強さとプライドを感じ取る。
四季の夏は、けっして明るい季節ではないが、本人はそれを背負って生きる決意をしている。読者はここに、このまま世界に通用する人格を読取るのである。
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一冊まるまる「すべてがFになる」の解決版、か?
2003/11/12 12:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:川島芽李子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
四季四部作の第二部である。第一部「春」とはちがって、この「夏」は、少なくとも「すべてがFになる」と「四季春」を読んでいないと、気付けないまた楽しめないトラップが随所にちりばめられている。この二作を先に読むことをオススメする
さて「夏」のテーマは、何故真賀田四季は両親を殺したのか? である。正確に言えば誰が殺したのか、だろうか。「すべてがFになる」の作中では、曖昧なままだった。確か四季の多重人格性で無理矢理説明されたはずだ。ともかく見どころは、何故、両親を殺さなければならなかったか、という四季の心情である。
四季は「春」の頃に比べると、外の世界にも目を向けるようになる。しかし悲劇は外に目を向けたことにより起こったとも言えそうだ。私がわからないのは四季の思考そのものなのだが、あれだけ物事の展開の推測が得意な四季が、なぜ、最悪(と常人には思われる)の選択をしたのか? ということだ。四季が自室でナイフを取り出したシーンを思う。四季は推測できない心の動きにこの時初めて気付くのか? いや。ナイフは衝動で買ったのか衝動に見せかけて計画的に買ったのか。そもそも研究所を設立しようししたときからこうなることを予測していた? 私はいったい四季のこれが思考の結果なのか衝動なのかを判断できないのである。
四季は自分が妊娠する以前から、「死」と「妊娠」についての関係を瀬在丸紅子からヒントを得て熟考し、なんらかの結論を導き出したようだが、それが殺人の動機に関係していなくもない気もする。しかし、繰り返すが、常人には理解しがたい。
両親を殺した後、四季は叔父に向かって動揺もせずに言う。
「私の産む子が大きくなれば、私や、叔父様をきっと殺すでしょう」
「F」においてその予想は半分は当たったといえるのだろうか。
13歳の少女が、この言葉を口にすることの意味を考えると恐ろしい。というか、ここで恐れている時点で私は四季の思考には到達していないし、したくもない。森博嗣はそういう「理解できない人物」として四季を設定しているのだろうけれど。カヴァーの文字を読後に読みなおして頂きたい。建設的かつ傲慢に感じられたその言葉が恐ろしくなるはずだ。
ここからは楽しい話を。別の見どころとしては、さらにふたつ、今回の事件と今までにほのめかされていただけだった人間関係が明確な形で提示された点を挙げておこう。とくにS&MシリーズとVシリーズをつなぐ人間関係、こういう本筋とは関係のない、いわば森博嗣の余技の部分は本当に楽しい。むしろ、ミステリよりもこう言う部分に萌えてこのシリーズを読んでいる読者が多いのではないだろうかと想像する。実は私もそのひとりだ。
ちなみに今回の事件というのは、この物語の帯になっている「誘拐」だ。しかし、わざわざ帯にするほどのクライマックスではなく、過去の事実の確認だけでは構成的に物足りないので、盛り上げるために演出してみた、という印象だった。とはいいうものの、私は誘拐犯と四季の会話がこの本の中で一番面白かった。誘拐犯とは、言わずと知れたあの人で、この展開、伏線の張り方はぜんぜんミステリとして成立していないし、そう言う意図もないと思うので、この作品は純粋にミステリ作品とは言えない。一冊まるまる「すべてがFになる」の解決版(部分解決版?)、言い方を変えると「F」ファンのための複雑かつまた楽しいおまけ、とも言えそうである。
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やっと四季の年齢と精神内容が噛み合ってきたかな、っていうかんじ。やっぱり六歳の天才ってのは、無理があるんだよね。その点、夏は安心、チューブだね
2003/12/19 20:21
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
いやあ、やっぱりこのカバーデザインは上手い。実は、『四季 春』のときは気付かなかったけれど、真中の真っ赤でキンキラ?の『夏』という字の横に、洒落た英字でRed Summerと書いてある。日本語訳には何処にも「赤夏」なんて言葉は見えない。いやあ、こういう工夫って言うのに弱いんだよね。流石、辰巳四郎のカバーデザインは、違う。ブックデザインは熊谷博人。
で、カバー折り返しの牡丹みたいな花の写真と、「取り替えられる夏」って云う言葉がね、なぜか不思議と胸に迫るんですよ、意味はわかんないけれど。
「米国から帰国した真賀田四季は13歳。すでに、人類の中で最も神に近い、真の天才として世に知られていた。叔父、新藤清二と行った閉園間近の遊園地で、四季は何者かに誘拐される。瀬在丸紅子との再会。妃真加島の研究所で何が起こったのか?『すべてがFになる』で触れられなかった真相が今、明らかになる!」
全5章。第1章「欲望と苦心その攪乱」。第2章「隷属と支配の活路」。第3章「祈りと腐心は似ている」。第4章「希望は懐かしさの欠片。第5章「冷徹と敏捷その格調」。それにプロローグとエピローグ。カバーや、本文の活字のレイアウトには、本当に感心するけれど、目次だけは当たり前。実物を見てもらえば分るけれど、ごくフツー。せめて、文の長さが同じだとか、漢字熟語が全て二文字とか、文の長さが綺麗に増えていって、それが対称形で減っていくとか、もうちょっとタイポグラフィックな工夫があってもよかったのに。
とまあ、これは贅沢すぎる要求と言うもの。今回は、章の見出しと、主な登場人物で内容紹介に替えてしまおう。『春』では6歳だった真賀田四季が、今は13歳。父の左千朗と母美千代は離婚寸前である。叔父の新藤清二は、物語りの中で37歳になる。四季の手足となるのが各務亜樹良。その片思いの相手として泥棒が出てくるが、名前でこそかかれないものの保呂草潤平だろう。となれば、当然、Vシリーズの瀬在丸紅子が出てくるし、元夫の林、紅子の恋敵祖父江七夏も出てくる。勿論、前回出てきた其志雄も登場する。
でだ、この話の内容紹介はここまで。私が最も好きな展開で、前作『春』は、四季の年齢と内容のアンバランスに不満をぶつけたけれど、今回はひたすら納得。ただし、我が家の長女に言わせれば「森のロリコン趣味がもろに出た」そうで、中学生にこう言われちゃっちゃあ形無しだね、大学助教授。
でも、私に言わせれば、これこそ森の戦略だろう(藤田宜永よ、戦略的小説の作り方というのは、こういうのを言うんだぞ!)。ロリコンは、森が想定する読者であって、森自身では絶対無い、いや多分、無い。きっと無い。うん? もしかして、あるかもしれない。いや、あるか、やっぱり?
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おすすめします
2003/11/12 10:24
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投稿者:ゆきぽん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「すべてがFになる」「四季 春」の続編。単なる続編にならないところが、森マジックとでもいうのでしょうか?「すべてがFになる」「四季 春」を読んでいる人はもちろん、まだ森作品を読んでいない人でも、十分に楽しめると思う。M&Sシリーズ、Vシリーズを全部読んでいる人(私もだが)には、今までの「謎」が少しとける、かも。