紙の本
「真実をわたしの実験の対象として」という副題をもつ、マハトマ・ガンジーの自叙伝です。
2004/09/29 00:57
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ガンジーといえば、「非暴力・非服従」というキーワードで知られるインド建国の父である。リチャード・アッテンボロー監督の映画「ガンジー」はとても感動的で、ガンジーの一生をドラマティックに描き出している。ガンジーのことを知るための入り口としては、この映画が一番だと思う。(アッテンボローといえば、映画「大脱走」での役者っぷりも忘れがたい。ちなみに、あの映画で僕はマックイーンに惚れた……)で、アッテンボローの映画を見て感動したりしたならば、次はこの本に進んでみたらどうだろう。ガンジーはいかにしてあの「ガンジー」になったか、それがわかると思うから。
(ちなみに、この本の解説を書いているのは博覧強記の松岡正剛さんである。)
*****
「明日死んでしまうかのように生きる。永遠に生きつづけるかのように学ぶ。」
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
マハトマ・ガンジー(1869-1948)
「永遠に生きるが如く夢を見ろ。今日死んでしまうが如く生きろ。」
Dream as if you'll live forever. Live as if you'll die today.
ジェームス・ディーン(1931-55)
塾の授業でお遊び的に使おうと思って、あれこれと英語の名言を探していたら、ガンジーとジェームス・ディーンが同じような言葉を残しているのを知って、驚いた。まったく対照的な生き方をしたかに思える二人なのに。(一人の生徒は、「おれ、ジェームス・ディーンとかのほうがいいな」というような感想を口にした。)
で、このふたつの名言が僕にとても響いてきたのは、パスカルの『パンセ』のなかにも同じような言葉が書かれていて、その言葉に僕がとても勇気づけられたからだ。何に苦しみ、何に絶望を感じるかは人それぞれ違うけれど、この二人(パスカルも入れれば三人)がその苦しみや絶望的状況のなかで、他者に向けて発した言葉は、けっして他者に対して自らの苦い思いをそのままぶつけるような、そういう類の言葉ではなかった。そして、その言葉が口先だけのもの、口当たりのいい名文句にすぎないようなものでなかったことは、彼らの生きざまや作品が今に至るも多くの人を惹きつけつづけ勇気づけつづけていることに示されている。(ところで不思議な暗号がもうひとつあって、大空を自由に羽ばたく鳥の如きアルトサックスの吹きっぷりゆえに「バード」と呼ばれたチャーリー・パーカーがこの世を去ったのが、ジェームス・ディーンと同じ1955年だったりする。)
苦しみを感じ、絶望(あるいは絶望まがい)を感じてしまった人間に求められていることは、その状況(今)から学ぶことを決して諦めず、自らの発する言葉を含めた行動のなかで、自分という狭い檻を超え出るような力強い夢(永遠)を描き出してみせることなのだと思う。具体的に何をやるかは人それぞれであるにせよ、その大枠だけは確かなものであると、僕はそう思っている。なんだか、かなり人生論くさいけれども。
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アッテンボローの映画では、何かっていうと駄々っ子のように断食生活に入ってしまう頑固な男という印象のガンジーだったけれど、この自伝によれば、彼はとても引っ込み思案な人間だったようである。
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あまり読みやすい本ではないかもしれない(宗教的な言葉とか、生活信条的な言葉とか……)。でも人それぞれ、心に響く言葉が詰まった本であることは、間違いない。
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マハトマ・ガンジー氏による自伝「自叙伝」と「南アフリカにおける非服従運動」の二作を収録した貴重な書です!
2020/07/23 10:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、インドの非暴力闘争の指導者で、独立指導者とも言われるマハトマ・ガンジー氏による自伝です。同氏は、真実と非暴力を信奉しつづけ、インド独立運動の精神的指導者として、民衆から聖人と慕われた偉大な人物です。インド古来の思想を再生し、人間の品位と威厳を示した生きざまが、現代人にも感動を呼びます。ガンジー氏自身の筆による自伝的著作には『自叙伝』と『南アフリカにおける非服従運動』の二作があり、この両者を収めたのは同書です。同書の内容構成は、「生まれと両親」、「学校時代」、「結婚」、「友情の非劇」、「盗みと贖い」、「父の病と死」、「宗教をかいまみる」、「イギリス行きの準備」、「船中で」、「ロンドンにて」となっています。
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自伝なのに、歴史的偉業は出てこない。これは自己鍛錬の実験記録。
2005/03/27 12:53
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:花代 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この自伝は本当に風変わりで、ガンジーの歴史的偉業についての記述がない。これは彼の自己鍛錬の実験記録である。
東洋には自伝を書くという風習がない。ガンジーは自伝に着手するにあたり、友人から西洋文化特有の自伝を書くという行為は慎むべきとの忠告を受けているが、それでも自伝を書き始めた理由を序文にこう記している。「わたしは単純に、わたしの行ったかずかずの真実に関する実験について話をしようと思っているにすぎない。そしてわたしの生涯は、これらの実験だけでできあがっているのだから、話といえば自伝の形をとってしまうことはまちがいない。」
この自伝は、真実を求めるための圧倒的な自己抑制と、精神の鍛錬を、起きた出来事をつづることで表現している。自分の行動すべて、ひとかけらの塵も見逃すことなく点検し、鍛錬と奉仕に捧げることを、意志の力で実行する。それが彼の「真実に関する実験」である。凄まじい精神鍛錬の歴史である。
後年神格化され、民衆から聖人の称号「マハトマ」を捧げられたガンジーはしかし神ではなく、私たちと同じ欲望を感じる人間である。その欲望を戦いながら内省に内省を重ね、なおも内省を重ね、真実を探求した。自らの欲望に立ち向かい実験を繰り返す彼の姿に、わたし自身もこのように生きたいと思わないはずはない。
特に序文である「はしがき」と、第五部、第六部、文末の「別れの辞」は読み応えがある。この自伝を読んで、こういう便利なことを思いついた。自分で、あることをした方がよい、でも面倒だなあ、嫌だなあ、と思ったことがあったら、このように言ってみる。「是々を行うことはわたしの義務であり特権である」。たとえば、毎日運動したいとき、勉強を始めたいとき、使えます。ガンジーに一歩でも近づくために、実験してみよう。「ガンジー関連の書籍を読むことは、わたしの義務であり特権である。」
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非殺生、非暴力。ガンジーさんの想いがつづられている。
大衆の前でスピーチするの苦手だったんですね。身近に感じられます。
本当に偉大な人だ。ちょうど読み終わった日がガンジーさんの誕生日だった。
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な・・長い・・・
読破したけど、半月かかった><
それはまるで自己浄化への道の様に困難で、また、読破までの拷問に耐えるのはアヒンサを通したガンジーの気持ちを理解するのに近いものを感じるwww(言い杉)
なぜなら、知らない地名や、聞きなれないインド人名のカタカナのオンパレードで(登場人物大杉)、想像力を奮い起こしまくりの為、脳が灰になっちまうーと思いきや、ラスト1Pにはめちゃくちゃ救われた。
ほんと、そのページが汚くなる程、かなり線を引いた。
個人メモは膨大すぎて、いつもの様にここには打ち込む気力がない。それくらい魂のこもったずっしりとした素晴らしい言葉がたくさん出てくる。
自伝ていったい・・・?
個人メモ(short ver.)
・神を伴侶にしようと欲する者は、孤独を持するか、全世界を伴侶にするかせねばならない。
・慈悲の矢に射止められし者のみ、慈悲の力を知る
・一杯の水を与えられれば、山海の珍味をもってこれに報いよ(中略)いかに小さき奉仕であれ、十倍にして報いん。されどまことに心貴き人は万人を一人と知り、悪に報いるに善を持ってし、これを喜ばん(グジュラート教訓歌)
・詩人という者は、人間の胸の中に隠れているよきものを呼び起すことの出来る者である。
・肉体の中の精神は、感覚を支配するかわりに、その奴隷にもなってしまう。したがって肉体は、常に清潔な刺激性の無い食べ物や、ときどきの断食を必要とする。
・教師は常にかわらぬ教科目標になっていなくてはならない。
・真実に対する誠実さ
・非真実は存在すらしないのだから、その勝利はありえない
・謙譲の真の意味は、自己の消滅である。謙譲に欠けた奉仕は利己主義であり、自我主義である。
・われわれの自尊心を傷つけてしまうよりも。
・民主主義を守る為には、人々は独立、自尊、及び一致の明確な観念を持たなくてはならない。
・自己浄化は非常に伝染しやすい自我の浄化であるから、必然的にその人の周囲の浄化になっていく。
おまけかな?
ガンジーの外国語の勉強の方法と、断食法がちょこっと入ってて、それがとてもクオリティ高くて有難かった☆
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ガンジーは、晩年のころ、側近の女性に裸で添い寝させたという話しをきき、ほんとかいな、という下世話な興味で手に取ったのだが、、、いやー、すごい、このひとは。なにがすごいって、「インド独立」という偉業を、たいしたこととおもっておらず、まったく触れていないのである。
<人生は実験である>として、さまざまな実験をしただけということなのね。
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マハトマ(大いなる魂)・ガンジー
子どもの頃、菜食主義にも拘わらず、イギリス人に支配されるのは、インド人が肉食をしないで弱いからだと、隠れて肉食を試す。盗みも働いた。
13歳で結婚。
18歳でイギリスへ留学。その間ずっと菜食主義で通し、弁護士免許を取得する。
その後南アフリカの一会社に就職。イギリス仕込みの服装にも拘わらず一等列車から引きずりおろされる。南アフリカにおけるヨーロッパ人の有色人種やアジア人の労働移民に対する差別に立ちあがる。南アフリカに21年間住み、インド人の運動『サッティヤーグラハ闘争』を繰り広げる。
その後インドに帰国、今度はインドにおけるイギリス人・イギリスのローラット法に対しヒンドゥ教徒、イスラム教徒が一丸となってインド全域の一斉休業を実施、抗議する。
この本では有名な『塩の行進』やインド独立のついては殆ど書かれていない。しかし、非暴力 禁欲生活 権利 人種偏見問題 ガンジーが真に目指したものが書かれている。
彼は1912年からミルクも辞め菜食主義に徹した。食するものは果物・ナッツだけ。しかし大病に死の淵に立たされた時、植物性の注射と、ヤギの乳だけは摂取するよう説得されなんとか健康を取り戻した。
ガンジー1869年生まれ。
1948年1月30日 イスラム教徒との融和に反対するヒンドゥ教徒青年の凶弾に倒れる。
真実と非暴力
物理的な物質の力である暴力を否定し、道徳的な精神の力を信奉する。
「魂の優れた力は皮膚の色になんら関係なく、男にも女にも子どもにも、あらゆる人々のなかに宿っている」
アッテンボロー監督の映画『ガンジー』 一度見たが、この本を読んで再度見たらまた違う何かが見えてくると思う。楽しみだ。
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厳しいルールを自らに課し、そのルールに従うことで自分自身を究極まで高めていくガンジーの思想が見られる。ガンジーの成し遂げたことよりも、そのガンジーという人間がどのように作られていったのかに迫れる本。自由・富・贅・堕落の時代に生まれた自分を見直すいいきっかけになります。
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偉人の自伝は初めて読んだが、赤裸々で、当たり前だけど誰もが同じなんだなと感じた。たいした人じゃないとも感じたけど、こうゆう自伝を書ける謙虚さはいいとおもった。
教養を得られる裕福さは成功のカギだなとも感じ、なんとなくガッカリした部分もある 意外だった。
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凄い長かった〜。でも学ぶことはいっぱいありました。
ガンジーも小さな悪行が何度もあったことが意外!やはりガンジーもひとりの人間。一人の人間から始まる大きな可能性を示してくれた人物だと思いました。
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彼自身が生きた世界には人の地位に関して上や下が存在する。
カースト制度の下、それでも彼は彼の宗教観や社会観、価値観を貫いた。
彼の口に入るもの、着るもの、住む場所、関わる人間すべてに関心を持ち、何1つとして妥協することなく生きた。
しかし決して自分本位になることはなく、彼はどこに行くときもその地、そこにいる人に合わせた格好をするなど他人を尊重し、尊敬する心も忘れない。
彼は聖人として民衆に慕われたが、それは決して彼が生まれながらに優れた能力を持っていたからではない。インド、イギリス、南アフリカの地でたくさんの人と触れ、考え、考え抜いて到達した地位なんだと思う。
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以前、お手軽な『ガンディー魂の言葉』という本を読んで、一度、ガンジーの本も読んでみようと思っていた。
ガンジーでアマゾンで検索して、自伝が文庫ででていることを知って購入。
不思議な自伝で、ガンジーの塩の行進とか、第二次世界大戦中の反英活動とかは載っていない。
子供のときから、政治活動に入るまでの期間の自伝。
①自己浄化の道は困難で、かつ険しい。完全な純潔を達成するためには、人は思想において、言葉において、行為において、絶対に喜怒哀楽の情から解放されていなければならない。(p451)
②私たちは、道場はアウトカースト制度に賛成していないことを宣言したのだ。こうしたことで、道場を援助しようとした人に、心構えができた。(p335)
③教育のある人や金を持っている人が、積極的に貧乏人の状態を受け入れ、三等で旅行し、貧乏人にはない楽しみを持つことをやめ、虐待、非礼、不正義を、しかたがないことだと避けてとおらずに、それらの除去のために闘うこと、そうしないかぎり、改革は不可能であろう。(p321)
ガンジーは人間らしく悩みながら、不殺生の反英運動を続けていく、その過程がよくわかります。
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ガンジーの名前を知らない人はほとんどいないでしょうが、ガンジ
ーが何をやった人かということについては、意外と知られていない
かもしれません。少なくとも井上は知りませんでした。
ガンジーと聞いて思い浮かぶのは「非暴力」「非殺生」でしょうか。
これらを合言葉に英国からの独立運動を率いたため「インド独立の
父」と慕われ、マハトマ=聖人と称賛されますが、最後は狂信的な
民族主義者に暗殺されてしまう。これがガンジーの生涯です。
もっとも、本書を読んでも、「何をやったか」はついぞわからずじ
まいです。解説の松岡正剛が驚いているように、自伝なのに、そう
いうことはほとんど書かれていない。では何が書かれているのかと
言えば、ガンジーがその生涯をかけて実践した「精神の実験」の内
容であり、「真実」(サッティア)を求める旅の過程なのです。
つまり、本書は、何をしたか(to do)、よりも、どういう存在であ
ろうとしたのか(to be)を綴った魂の遍歴の記録といえるでしょう。
そこではガンジーの生身の姿がかなり赤裸々に綴られます。特に、
13歳という若さで結婚した妻への振る舞いは、「聖人」の印象が強
いガンジーのイメージを覆すものです。妻とセックスにふけってい
たが故に実父の死に目に会えなかったことから、以後、自らの獣欲
に対しとても強い否定的感情を持つに至ったというようなことまで
書かれていて、その生臭さには驚かされます。
徹底した菜食主義や近代医学の否定など、時に狂信的に思えるほど
の苛烈な生き方には、正直、共感できないことも多いです。でも、
愚直なまでに誠実に道を求め、道を究めようとした魂のみが放つ光、
その気高さには、胸を衝かれます。ガンジーに比べ、どれだけ自分
は誠実に生きているのか。そういう問いをつきつけられます。
ガンジーは、決して、自ら政治運動の世界を目ざした人ではありま
せん。ただひたすら真実を求める求道者であろうと奉仕を貫いた中
で、自然に周囲から指導者としての尊敬を集めていったのです。無
私で求道的な精神こそが指導者を形作るということの好例でしょう。
21世紀の節目の年を始めるに当たって、本書は、自らの生き方を考
える良いきっかけを与えてくれました。是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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わたしがなしとげようと思っていること――ここ三十年間なしとげ
ようと努力し、切望してきたことは、自己の完成、神にまみえるこ
と、人間解脱に達することである。この目標を追って私は生き、動
き、そしてわたしの存在があるのである。
わたしはまだ神を発見するにいたっていないし、また、今も捜し求
めている。この探求のためには、わたしにとって最も貴重なもので
も犠牲に供する覚悟を持っている。たとえその犠牲がわたしの生命
であったとしても、喜んでそれを犠牲に供するだろう。
わたしが話す実験は、どれも例証と見なくてはならない。そしてそ
れに照らしながら、各自が彼自身の性向と能力に従って、彼自身の
実験を実行すればよいのである。
経験によって、わたしは、沈黙こそ真実の信奉者に対する、精神修
養の一部であることを教えられた。
知ってか知らずにか、いずれにせよ、真実を誇張したり、押えつけ
たり、あるいは修飾したりしたい癖は、人間の生まれつきの弱点を
なすものである。そしてこれを克服するのに必要なのが、すなわち
沈黙である。
完全な求道者のみが、教師の座につくことができる。したがって、
完全を目ざして絶えず努力することのみである。というのは、それ
に価する者のみが教師の座を得るのだからである。完全を望んで、
無限の努力をすることは、人間の権利である。
改革を欲しているのは、改革者である。社会ではないのである。社
会からは、彼は、反対、蔑視、そして生命にかかわる迫害のほかに、
よりよいものを期待すべきではない。
真実は、大きな樹木に似ている。諸君がそれを養えば養うほど、そ
れだけ多く実を結んでくる。真実の鉱山にあっても、深く探求を進
めれば進めるほど、奉仕の種類もいよいよ多様さを加え、そこに埋
もれている宝石の発見されることも豊富になってくる。
民の声は神の声である。
わたしが今尽くしているような種類の奉仕の機会は、今後いよいよ
多くなっていくだろう。それに、もし家庭生活の楽しみや、子供を
生んだり、育てたりすることに熱中すれば、わたしという人間が任
務に不向きの者になってしまうであろう、としみじみ考えるように
なった。一言でいえば、わたしには肉と霊の双方を求めて生活はで
きなかった。
わたしにとっては、肉体の禁欲を守ることでさえも、困難に満ちた
ものであった。(中略)好ましくない考えが、どこからかわいてき
て、ずる賢く侵入して来るのが、わたしの問題なのである。
確実なことは、精神が中心であるということである。汚れを意識し
ている精神は、断食でも清められない。食事を変えても、それには
効果はない。強烈な自己点検、神への服従、それから最後に恩寵に
よる以外、精神から情欲が根絶されることはない。
わたしは、わたしといっしょに生活している少年少女にとって、つ
ねに変わらぬ教科目標でなくてはならない、と思った。こうして彼
らは私の教師になった。そしてわたしは、そのことのためだけでも、
善良でまっすぐに生活していなくてはならないことを知った。
真実(サッティヤ)は愛を包含する。そして堅持(アグラハ)は力
を生む。したがって、力の同義語として役立つ。こうしてわたしは、
インド人の運動を「サッティヤーグラハ」、すなわち、真実と愛、
あるいは非暴力から生まれる力、と呼び始めた。
わたしの共働者とわたしは、拭き掃除や便所掃除そのほか、そうい
ったことを少しも苦にせずに行なった。その結果、人々もま���、そ
れを熱心にやるようになった。このような細かい心づかいをしてい
ないで、他人に命令をくだしても、うまくいかないのである。みん
なが自分が大将気取りになって、他人をあごで使っていては、結局
なんにも行なわれないことになってしまう。ところが、指導者自身
が召使いになっているところでは、指導権をねらう競争相手もいな
くなってしまうのである。
普遍的な、そしてすべてに内在する真実の精神に直面するためには、
人は最も微々たる創造物をも、同一のものとして愛することが可能
でなければならない。しかも、それを追求する人は、あらゆる生活
の分野から離れていてはならないのである。
あらゆる生命を持つものを同一視することは、自己浄化なしには不
可能である。(中略)しかし、自己浄化の道は困難で、かつ険しい。
完全な純潔を達成するためには、人は思想において、言葉において、
行為において、絶対に喜怒哀楽の情から解放されていなくてはなら
ない。愛と憎悪、愛着と嫌悪の相反する流れから、超越していなく
てはならない。それを目ざして、わたしはつねに間断なく努力して
いるにもかかわらず、まだこの三重の純潔にいたっていない。だか
ら、世界から賞賛されても、わたしの心は動かない。かえって、わ
たしを苦しませることさえしばしばある。
経験と実験とはわたしを励まし、そして大きな喜びを与えてくれた。
しかし、わたしの前には、なお、登るに困難な道がある。
私自身を無に帰せしめなければならない。人は、自由意志から、自
分を同胞の最後の列に置くようにならないかぎり、救いはない。非
殺生は謙譲の極限である。
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●[2]編集後記
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昭和44年生まれですから、今年は本厄です。初詣がてら、お祓いを
してもらいました。
おみくじを引いたら、小吉。悪くはないですが、「水に映る月が手
に入らないように、手に入れようともがいても、手に入らないよ」
みたいな意味深なことが書いてありました。「願い事」は「かなわ
ず」。謙虚に、一歩身を引いて、控え目に生きよ、というのがアド
バイスでした。
悔しいので、昨日、別の神社に行ったついでに、もう一度、おみく
じを引いたところ、また小吉。あろうことか、文面まで一緒です。
これまでおみくじは何度も引きましたが、続けて二回同じものを引
いたのは初めてです。おみくじなんて所詮遊びだと思っていますが、
こうなると俄然、信憑性が高まります。
元旦、妻が作ってくれたお節を食べながら、「一年の計は?」と聞
かれました。思わず出てきた言葉が「飛躍」。妻には、「抽象的だ」
と笑われました。そういう妻の目標は「無私」だそうです。元旦か
ら読み始めたガンジーとシンクロしました。飛躍したかったら無私
になれ。そう神様に言われた気がしました。おみくじの助言も謙虚
で控え目にですから、ガンジーを読むことで始まった今年は、やは
り「無私」がテーマのようです。
2日の夜は、料理をしていて、思いのほか深くざっくりと指を切っ
てしまいました。爪が盾になってくれたからいいものの、爪のない
ところだったらと思うと、ぞっとします。調子に乗って、雑念が入
った矢先の事故でした。無心であることを忘れるとこうなるのです。
やはり厄年なだけあるなぁと身に沁みた正月休みでした。今年は無
私と無心をテーマに、慎重に、でも、着実に一歩一歩進んでいきた
いものです。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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非暴力非服従と言うスローガンを聞けばガンジーと誰もが答えると思う。
すばらしい人物だ。神格化されてる人物ではあるが彼も神では無い。
完璧な人間では無いそんな一面も知ることができた。
映画 ガンジーも名作
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ガンジーの自伝。面白い。考え方,行動のしかた,生き方,興味がわいた。インド,南アフリカなどに興味がわいた。小さい頃や,青年の時から,立派だったわけではないと書いてあった。その正直な人間らしさに共感した。