紙の本
だまし絵のような世界
2016/05/04 18:20
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投稿者:更夜 - この投稿者のレビュー一覧を見る
めくるめくような物語がまるで百科事典のように詰め込まれた、まさに凝縮された琥珀そのもの。
これが小説か、と言われると起承転結のあるものではなく、これほど内容を説明しにくい
物語もありません。
あえて言うならば「琥珀についてのあれこれを語り尽くします」
キーワードが各章AーAntipodes、Bーberenice・・・とアルファベット通りにZまで26章。
父が著者に語った物語もあれば、ギリシャ神話、歴史、宗教、発明とにかく百科事典的蘊蓄満載。
しかし、そこはかとなく漂う諧謔味。
頭固い学者の言う事なんか全然気にしていませんという一種の開き直りすら感じます。
次々と博覧強記の叙述もあれば、冒険王ジャックの怪談話もあれば、オランダ絵画についての
蘊蓄もあり、バラエティに富んだ、トンデモ物語。
次々と繰り出される物語に流されて、急いで読むとすぐに前が何だったか忘れてしまう・・・
しかし、それが著者の狙いなのではないでしょうか。
毎晩、一章ずつ読んでいく、千夜一夜物語。
とにかく物語を語るヨロコビにうちふるえているような、うっとりとした、時にぴりりと
皮肉とユーモアを効かせ、ホラ話もあれば、昔話もある、怪談話、奇譚もある。
「琥珀」をキーワード物語が紡げるんですよねぇ、とでもいわんばかりの
あふれだす言葉。
著者はもと詩人だった、というのがよくわかる言葉の選び方と日本語訳のなめらかさでもって
読者は困惑しつつも、この物語の数々にひきこまれていく。
各章が独立しているかと思えば、最後までよむとしりとりのようにつながっているのがわかると
いうパズルのような物語集。
だまし絵という表現もいいかもしれないです。
紙の本
書物に翻弄されるのがお好きな向きは是非
2004/08/30 23:31
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投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
どう表現したらいいか,底抜け脱線雑談入れ子的ストーリー。その脅威の構造を語り尽くす文章力がないのが悔しいが,つまりは誰かが語る物語の中の登場人物が同じ物語の中の他の登場人物に語って聞かせる物語の中の語り部がまたしても語り出す冒険の最中に出会った老婆に聞かされた物語の中の……という風に物語は次元を変えてゆき,しかもそれらのモチーフは全て,あの琥珀という光の揺らぎを捕らえ太古の樹脂の精妙をあるいは婉曲あるいは直截,つかず離れずに語り続けるのである。
それらアルファベット順に並べられたエピソードは,雑談の羅列のようでありながら相互に密接に結びつき,またうたかたの夢のように先ほど呼んだ話を忘れさせてしまう。ふと本を置けば今現在の語り部は最初に一人称で登場した作者本人であるのか,はたまた彼の思い出の中の父親か,今現在彼が滞在しているホテルであったオランダ人の紳士だったか,それとも大昔の琥珀捕り……。
そして全編を読み終えた時の,長い長い夢を見ていたような感覚は,なるほどオビにうたう通り「名著にして名訳」なりと思わせるに十分である。いやもっと言い得て妙なのは訳者解説にある「カモノハシの文学」か。物語に……というより書物に翻弄されるのがお好きな向きは是非読まれたし。
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本の解説に柴田元幸さんが書いている通り、早く読むより、毎晩1章のつもりで呼んだ方がいい。速読にはもっとも適さない本なのだ。そもそもストーリーはない。300ページ2段の本でストーリーがないのだ。
冷静に読み返してみれば50ページほどでストーリーの存在は諦めざるを得ない。そしてその後もストーリーは現れないのだ。やられたなあもう。
柴田さんの解説がとても適切なので、救われるが、それがなかったら本当に途方にくれ、もしかしたら自分はとんでもない阿呆で何も汲めなかったのかもしれない、なんて思ってしまう。確かにアルファベットの「O」辺りまではもしかしたらこれから全部が物語に収まったり、と期待していた。しかし断片は断片であり、連想は連想である。
とはいえ、気持ちよく連想の輪にはまってみれば読むのに苦労はなく、気持ちがいい。挙げ句、プルーストまで登場して連想世界に入っていく。これはもう、あなたには判りますかの連続だ。本当に手強い。読んでいて自分が皮層しか知らないことに腹が立つ始末。
読み終えてみれば大団円とはいかないものの、綺麗に入れ子状態は解かれ、すがすがしいほどだ。さて。これでいよいよ私はジョン・キーツなる人物といい加減体面しなければいけないようだ。
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ローマの詩人オウィディウスが描いたギリシア・ローマ神話世界の奇譚『変身物語』、ケルト装飾写本の永久機関めいた文様の迷宮、中世キリスト教聖人伝、アイルランドの民話、フェルメールの絵の読解とその贋作者の運命、顕微鏡や望遠鏡などの光学器械と17世紀オランダの黄金時代をめぐるさまざまの蘊蓄、あるいは普遍言語や遠隔伝達、潜水艦や不眠症をめぐる歴代の奇人たちの夢想と現実―。数々のエピソードを語り直し、少しずらしてはぎあわせていく、ストーリーのサンプリング。伝統的なほら話の手法が生きる、あまりにもモダンな物語。
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物語のしりとりゲーム、という解説の表現はなかなか面白い。
A~Zまでの頭文字で始まる各章は、それぞれ別の話をしているようでズレながらどことなく繋がっている。
最初は何とも取っつき難い印象を持ったが、読んでいるうちに心地よい語りの中にどっぷり浸かってしまった。神話に関する話、芸術に関する話、宗教に関する話、などなどあらゆる物語や蘊蓄が語られる。書名にもある「琥珀」はその端々に姿を現し、とめどない物語をつないでいく。
ズレながら連なっていく数々の挿話にのんびり耳を傾けていれば、充実した読書時間を過ごせること請け合いである。
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一度にバーっと読んでしまうのがもったいない本。
この精細な織物をきちんと読み解ける、感性と教養が欲しいと思います。そんなものなくても充分に楽しめるんですが。
所蔵して、夜寝る前に、パッと開いたところを読む。そんな読み方をしたい本です。
図書館で借りたのですが、どうしても手元におきたくて、購入することにしました。
古本だけどねー。
琥珀のように、渋い輝きを放つ、素敵な本です。
本物の琥珀と一緒に、枕元においておきたいですね。
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11/27 読了。
四読…くらい。やっと手元にやってきたので。オランダのチューリップ狂のくだりと琥珀の間のくだりが特に好き。パラパラとめくって少し読んで、また手の止まるところまでページを読み飛ばすような、そういうつまみ読みに適した本。羅列小説と私は呼びたい。
↓以下は初読時の感想。↓
小説…と呼ぶべきか否か迷いますが。
たとえて言うなら落語の枕を連想でずーっと続けていくような手法で、「琥珀」を掬い取っていく。琥珀っていうのはきっと、閉じ込められた記憶のこと。ある一つのものが存在するということだけで内包している膨大な歴史を、解きほぐしてはほったらかして次の琥珀に手を伸ばす。『シャムロック・ティー』も素晴らしかったけど、こちらも素敵な本だった。
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出てくる名前ひとつも魅力的。
孔雀石の緑、ギリシヤの黄土で作ったオーカーのインク、とか。
つながっていないようで、つながっている、と思いきや別の話が詰まった不思議な物語。
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過去に読んだ本。
キアラン・カーソン、初挑戦。
ほんとにとらえどころのない小説。
度々挿入されるおとぎ話が、大学の頃のケルト民話を授業を思い出させた。
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あえて小説で登録。
本当に何に入れて良いのかわからない本です。
結局通して読んでしまったのですがこういう本は是非手元に置いてゆっくり、興味のあるところから読んでみたいモノだと思います。そして忘れてしまった項目はまたひも解いてみたい。でも確かに読み始めはとても戸惑いました。
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思いもかけず、楽しい読書体験をさせてもらった。というのも、文中に登場する人やら物やらに寄せる蘊蓄のただならぬこと。「Tachygraphy-速記法」などは、チェスタトンの引用も含めて、一章のほとんどがボルヘスの『異端審問』の中の「ジョン・ウィルキンズの分析言語」から成り立っていると言ってもよく、ついつい手持ちの資料にあたってみることを余儀なくさせられた。
博覧強記とは、こういう作者のことを言うのだろう。特に、フェルメールをはじめとする、オランダ絵画に関する記述、オウィディウスの『変身譚』を主としたギリシア・ローマ神話については、たびたび繰り返して言及されている。どこまでが引用で、どこからが作者の創作によるものか、書棚から関連する図録や書物を抜き出して机上に置き、いちいちつき合わせてその真偽を確かめずにはいられなかった。
たとえば、「Yarn」の章。ちなみに作者はこの物語をアルファベットのAからZではじまる言葉を標題とする26章で構成している。プルーストが、美術批評家ヴォドワイエを誘って、ジュードポ-ム美術館にフェルメールの絵を見に行ったときのことを話者はこう記す。
「フェルメールの技巧には中国風の忍耐があるように思われた。極東の漆細工や石彫でしかお目にかかれないような、作業の方法や手順をいっさい隠してしまう技量である。」
今、ここに2000年に大阪で開かれた『フェルメールとその時代展』の図録がある。その解説の中で千足伸行氏がプルーストとフェルメールの関係について触れながら、ヴォドワイエのフェルメール論を引いている。その中にある文章。
「フェルメールの仕事ぶりには極東の絵画、漆細工、彫像などにのみ見られる仕事の細心さやプロセスを見えなくするような力、いわば中国的な忍耐(une patience chinoise)がある。」
一読して分かるように、この部分に関して言えば、話者の語るフェルメール論はヴォドワイエその人の言葉を一字一句引き写したものである。文中では先の引用部分を含む段落の後に改行があり「―フェルメールの絵は、とヴォドワイエが語りはじめた。」と続く。つまり、引用部分は話者の言葉として語られていることになる。
一言ことわっておくが、作者は、最後に参考文献の長大なリストを付していることでもあり、盗作云々を言いたいわけではない。そうではなくて、一冊の本を読むために机上に本を積み上げる愉しさについて述べているのだ。先行するテクストを引用しながら、まったく新しい別の作品を創作するという方法は今では認知されている。第一、プルーストにしてからが、芸術に対しての言及の多さで知られる『失われた時を求めて』の中で、ヴォドワイエのフェルメール論を借用しているのはよく知られた事実である。
物語の中にまた別の物語が入れ子状に組み込まれ、物語が切りもなく増殖していったり、発端と結末が呼応し、ウロボロスの蛇のごとき形状を見せるのは『千一夜物語』などでお馴染みのものだが、『琥珀捕り』のスタイルで特徴的といえるのは、琥珀や煙草、望遠鏡、潜水艦などを繋ぎに使い、物語が尻取りゲームのように章から章に繋がっていることと、今ひとつは、物語の中に突然、「物」についての詳細きわまりない解説が挟み込まれ、植物の薬効成分だの医学的効能などが、延々と冗長とも思える長さで続くことである。
そうした他に類を見ない文学形式に対してインディペンデント紙は「文学においてのカモノハシに相当するもの」という見解を示し、この書物を語る上での惹句になっているらしいが、そうだろうか。書棚から抜き出した本の一冊に『OVIDIANA-ギリシア・ローマ神話の周辺』(久保正彰、青土社)という本がある。その中に次のような箇所がある。少々長くなるが引用しよう。
「オウィディウスが『変容譚』の話と話のつなぎ目、すなわち、あるようなないような脈絡を語るときの方法は、多様であるがじつはホメロス以来の伝統的な技巧を、彼の独自の工夫によって組み合わせているにすぎない。(略)本筋の進行中に、壺絵が直接に読者に向かって語りかけ、もう一つ別の筋が展開する。この技法はテオンとかニコラオスなどの後世の修辞学者たちが美術・工芸品の描写美(エクフラシス)と名付けているものだが、実例はホメロスの叙事詩にすでに根づいている。」
『琥珀捕り』が、オウィディウスから借用しているのは、話の素材ばかりではなかったのだ。オウィディウスは、このエクフラシスの技巧に優れ、「時としては、本筋のほうがいつのまにか場面の外に押しだされてしまい、ものが主人公のように収ってしまっていることもある」そうだが、キアラン・カーソンの場合もそれと同じことが言えよう。何のことはない。オウィディウスはホメロスから、そして、キアラン・カーソンは、オウィディウスからその方法を借用していたというわけである。
ホメロス以来の技巧をアイルランドの法螺話の中に何気なく紛れ込ませたり、全編これ他の書物からの引用かと思えるほどの博覧強記ぶりを見せつけるかと思えば、どこから見つけてきたのか分からぬ昔話風の物語を滑り込ませ、読者の知的好奇心を挑発するなど、どこまでも食えない作者である。翻訳は、苦心の跡の窺える労作といえる。ただ、解説で柴田元幸氏は琥珀についての澁澤の文章を引用しているが、贔屓の引き倒しというものであろう。そこだけ、文章の格のちがうのが見えてしまうのである。
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結局読み終わらないまま図書館へ返却。
洪水のように溢れ出る薀蓄の数々、それをつなぎ合わせていく手法、装丁の美しさ、どれをとっても超一級。訳された方は本当に苦労されただろうなあと思う。ベッドの枕元に置いておいて、毎日寝る前に一章ずつ読むといい感じに眠気も誘い、気持ち良く眠れる笑
中学生の頃に出会って以来たまに図書館から借りてきて読んでいるのだけど、読み終わったためしがない←
いずれ落ち着いたらきちんと購入しようと思っている。
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確か、社会人になってすぐぐらいのタイミングで出会った本。数年置きに読み返してますが、いつ読んでも面白いです。
後書きにもある通り、これは「カモノハシの文学」。パーツを個々別々に見ている限りでは見覚えのあるものの、全体を見渡してみるとかつて見たことのないような奇妙な、しかし非常に興味深いひとつのストーリーとして成立しています。この「ひとつのストーリーとして成立している」というのが要であり、この作品の傑出したところです。ただ単に、バラバラの話を並べているだけ、というわけではないのです。
アルファベット順に並んだ一見脈絡のなさそうな26の単語により26の章に分かれていて、各章ではだいたい一つか二つの大きなトピックが軸になって話が展開していきます。そして、話が進む中で現れてくるある単語やエピソードが次のストーリーを紡ぐための布石となり、いつの間にか別の話へと舞台が転換していきます。「さて、ここで別の話に移ります」といった、流れを分断するような切り替えは一切なく、話を少しだけずらして別の世界に話を飛躍させ、読者を迷わせないように誘っていく(時折、立ち眩みを起こしてしまいそうな話の転換もありますが)著者の手腕には唸らされます。
取り上げているトピックは様々ながら、中でも頻繁に登場するのが「中世のキリスト教聖人」「ギリシャ神話の神々」「オランダに関する話」「エスペラント語」、そして話の合間に頻繁に登場してそれぞれの単語を繋ぎ合わせる役割を担っている「琥珀」といったところでしょうか。このあたりのキーワードのどれかに関心がある方であれば、そこに辿り着くまでの不思議さ、そしてそこから別の話に飛躍していく不思議さも含めて楽しめるのではないかと思います。
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一言で言い表すのは難しい、どうにも不思議な本。
作中に頻出する蘊蓄や物品の数々には惹かれずにいられない。造本の良さも魅力。
『文学におけるカモノハシ』という表現は言い得て妙。確かに似た作風は思いつかないなぁ……。
今年(2015年)の神保町ブックフェスティバルで、『シャムロック・ティー』を何となく買って、そこから既刊を買い集めたのだが、買って良かった。
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たぶん20年近く積ん読だったのを思い立って読んでみた。
入れ子構造なんやけど、入れ子の中身がおもしろすぎて読んでるうちに外枠のこと忘れて、一つのエピソードが終わって立ち位置がわかんなくなること数知れず。これ、また間空けて何度も読んだら都度オモロいんやろな。