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紙の本
自傷的自己愛を考える
2008/08/18 09:31
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
2003年から2004年にかけて主に『中央公論』に載ったものに、一部加筆修正や書下ろしを加えて1冊としたもので、言わば斎藤環の文化時評といったものだ。したがって1冊とした時の内容の統一感は若干弱いが、そこはそれ斎藤環なのでニート・ひきこもりを中心とした若者と若者をとりまく現代社会、精神医学、精神医療に関した文章といった感じにまとめられている。
1 メディアから自由になる日――マスメディアを通じたリアリティの問題
2「ひきこもり」の比較文化論――日本と韓国の「ひきこもり」
3 ネット・コミュニケーションの死角――ネット心中などネット文化について
4 虐待する側、される側の心理――長崎幼児殺人事件などからみた虐待の問題
5 政治と司法がなすべきこと――青少年保護育成条例や医療観察法など、精神保健福祉と法とのかねあい
6 ニートたちはなぜ成熟できないのか――世代論をからめた若者論
「はじめに」で著者自身が述べているように、こうしてみると時評と言いながらやはり著者の興味・関心が「ひきこもり」を中心にした若者、さらに若者を通じて見えてくる現代日本にあるということがわかってくる。
すでに斎藤は多くの著書で同じ関心について何度も語っているが、それをこの本では『「負けた」教の信者たち』と名づけている。
「彼らは、負けたと思いこむことにおいて、自らのプライドを温存しているのではないか。現状の自分を肯定する身振り、すなわち自信を持って自己主張することは、批判のリスクにまっさきにさらされてしまう。むしろ現状を否定することで、より高い理念の側にプライドを確保することが、彼らが「正気」でいられる唯一の手段なのではないか」(p.20-21)と述べ、これを「自傷的自己愛」と呼び、これにしかすがることのできない若者が現代日本にいると言っているのだが、このような呼び方をするかどうかは別として精神医学・精神医療あるいは若者に関わる人たちは多かれ少なかれ同様のことを感じているのではないだろうか。少なくとも私は、そう思う。
時評という形をとっているからこそ、具体的な事例に基づいてこの「負けた」教の信者たちについて語られることになり、理解しやすくなっているのではないだろうか。
紙の本
現代的現実の再提示
2008/06/07 15:52
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
「社会的ひきこもり」に代表されるように、斎藤環の仕事は、「再提示」にあるといってよい。つまり、これまでなかったタイプの出来事─ひきこもりや猟奇的殺人などなど─が起きた時、誰しもとまどう。その出来事について、わからないだけに、すっきりしない。すっきりしないばかりでなく、恐れさえも感じる。そうした出来事の多い現代にあってこそ、斎藤環は求められている。精神分析、正確に言おうとするならば俗流精神分析を巧みに操る臨床医でもある斎藤環は、日々この現実に起こる、すぐれて現代的な出来事(それは、これまでなかったことで、すなわち、これまでの意味体系からはすくいきれないものである)を、俗流精神分析のフィルターを通して、「わかりやすいもの」に翻訳して「再提示」してくれる。本書は、論断時評をまとめたもので、テーマの掘り下げが少なく、論点が多岐にわたっている分、そうした斎藤環の斎藤環らしさがよく出た書物となっている。
ただ問題なのは、こうした「再提示」が、出来事を意味づけ、それを社会的に馴致していくことには役だっても、何かの根本的解決には成らないということである。このことは、それが精神分析の限界なのではなく、俗流精神分析の限界なのだということともに、銘記しておくべきだろう。