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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2005.7
- 出版社: 集英社
- サイズ:19cm/253p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-08-774761-1
紙の本
文芸漫談 笑うブンガク入門
著者 いとう せいこう (著),奥泉 光 (著),渡部 直己 (著)
小説の書き方・読み方がクスクス分かる! ヒカルがボケて、いとうがツッコむ。芥川賞作家と稀代の仕掛け人が捨て身でおくる、「漫談スタイル」の超ブンガク実践講座。『早稲田文学』...
文芸漫談 笑うブンガク入門
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商品説明
小説の書き方・読み方がクスクス分かる! ヒカルがボケて、いとうがツッコむ。芥川賞作家と稀代の仕掛け人が捨て身でおくる、「漫談スタイル」の超ブンガク実践講座。『早稲田文学』03年9月号〜05年3月号連載を再構成。〔「小説の聖典」(河出文庫 2012年刊)に改題,加筆〕【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
いとう せいこう
- 略歴
- 〈いとうせいこう〉1961年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。作家・クリエーター。
〈奥泉光〉1956年山形生まれ。国際基督教大学大学院修了。小説家。近畿大学教授。「石の来歴」で芥川賞受賞。
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紙の本
ライブ・ザ・文学!
2010/03/29 19:21
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ジーナフウガ - この投稿者のレビュー一覧を見る
文芸『対談』ではなくて文芸『漫談』なのである。しかも、いとう氏も奥泉氏も大真面目に演じているのである。
おじさん、おばさん、誰にでもわかる文学理論を目指して。奥泉氏はのっけから唐突にフランスで開催された
『文学村祭り』に参加して、周りにいる日本からの招待作家さん方が物静かに自作を売るのを横目に、
一人だけ何の含羞もなく、ただ賑々しく、自慢のフルート演奏を披露しつつも、
販売しているのは、自作ベスト2の暗い作品だという…。天然なボケを遺憾なく発揮してくれている。
相方であるいとうせいこう氏も天性のツッコミ型なキャラクターを持つ人なので、
やはりこれは立派な『漫談』だと言うのが相応しいのであろう。
勿論、テーマの半分は文芸についてであるから、どんな風にして2人が処女作を書き上げ作家になって
行ったかも書かれている。そして、奥泉氏が述べるのが、
『作家は最初の小説を書く前に、すでに作家だと言ってもいいんじゃないか。』というか
「まず作家になる」必要がある、という点。これには物凄い説得力を感じた。
更に、一行目よりも、(自分自身の言葉で書かなくてはならない)二行目の大切さ、
第二作目は二行目の如く重要なり、という考え方からは、作家の真実の姿と、
作家はどの様にして作家であり続けられるまでになるのかが分かり、大いに参考になった。
面白いなと感じた点は、まだまだあって『小説はなぜ終わらなければいけないか』問題で、
いとう氏が大真面目に提案する『なんにも解決しないで終わるミステリー』と言うのは、
凄く斬新なやり口だなと、ついつい笑いながらも納得してしまった。加えて両氏の言う通り、
作品が完成するというのは、奇跡のようなものなのかも知れないと考えた。
作品を書く上で、プロットはあんまり信用しない、という奥泉氏。
あくまでそれは、「とりあえず」であって「つくりながら小説を動かしていく」
場合のほうが圧倒的に多いそうである。(作品を)「読む作業」、「直す作業」、
最後に「先を書いて行く作業」この三つを並行して行うのが、「小説を書く」作業の内容であるという。
それに捕捉して『読むことの延長であるかのように書くとか、書くことの延長であるかのように読む、
それが作家の生活だ、と。』うむむ深いなぁ…。両氏の阿吽の呼吸に寄って放たれる『言葉、言語感覚』の豊かさ、
鋭さには何度となく唸らされた。例えば『「言葉は自分のなかから出てくる」わけではない。
「物財」として世界に散らばっている言葉をたえず寄せあつめる、それが小説を書くことの基本だ』。
例えば『すでにある物語やスタイルのなかで言葉を集めて組織する、その仕方に個性がある』等々。
話題は其処だけに留まらず、『小説的グルーブ』を得る為にはどうすれば良いか?や、
『近代小説でもなんでも、なるべく笑おう』と言う提案で、
「ユーモアはひとつの精神態度であるわけだから、読む側の心理・精神の作用次第で、
どんな作品にもユーモラスに関係することが可能なはずなんですよ。」
との希望的展開を導き出す辺りに非常に密度の濃い、ライヴ感覚を追体験した気になった。
ともかく、文学の型やコードを越えた地平から話が進められていく『漫談』は一読の価値有りです!。
大オススメ致します。
紙の本
奥泉光がボケていとうせいこうがツッコむ
2006/04/04 13:03
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ジェニファー - この投稿者のレビュー一覧を見る
奥泉光は私の好きな小説ベスト10に入る「鳥類学者のファンタジア」の作者であり、いとうせいこうもかつては「ワールズ・エンド・ガーデン」「解体屋外伝」(今気づいたが、この二冊はもしかして韻を踏んでいるのだろうか?)などの小説を書いていた。二人とも好きな作家だったのでこの本を手にしてみたのだが、漫談というだけあって、笑いがふんだんに盛り込まれた、非常に楽しい本だった。
もちろん文芸論でもあるので、真面目に語る部分もある。私の半端な理解によると、たぶん二人が言いたかったのは、「小説」とは何か、そして「作家は何を書くべきか」という問題なんだと思う。今までことさらに「小説って何だろう?」などと哲学的に考えたことなどなかったし、世の中の作家の多くはそんなことを意識しないで小説を書いているのだと思う。しかし考えてみると、そういうことを自覚的に書いていた近代の小説は今でも読むに耐える作品が多いのに比べ、無自覚にただ「泣ければいい」などというスタンスで書かれている現在の小説は、十年後も読者がいるかどうか甚だあやしい。
作家がすべて自覚的であれ、というのではないが、小説の品質という点でやや停滞気味な今、もっと新しい視点を持った作家が誕生してもいいのではないかと思う。そういう意味で、ここまで「小説」のあり方を突き詰めて考えている奥泉光といとうせいこう(がもし再び小説を書くことがあれば)の二人は、今後注目に値する存在だと言えるだろう。
それにしても、いまだかつて、この本のように本文よりも注の方が難しい本があっただろうか、いやない(反語)。確かに「イロニー」だとか「テキスト論」だとか、小難しい用語がちょこちょこ出てはくるのだが、会話の流れの中でも説明されているので、わからないなりになんとなく読めてしまう。しかし、それに対する渡部直己による注が小難しくてさっぱりわからん。渡部直己に恨みはないが、注はほとんど読み飛ばさせていただきました。