「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
思索のもつれを友として、左手にはパイプも忘れず、小径をたどる。詩に出会いに行くつもりだ…。さまざまな詩についての文章のほか、ライナー・マリア・リルケ「ドゥイノの悲歌」の訳文も収録。『るしおる』連載を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
試みとしての批評、翻訳
2008/05/12 14:41
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
雑誌「るしおる」に1997年から2005年まで連載された詩をめぐるエッセー。小説家であり同時にドイツ文学者である著者の本領を発揮した素晴らしい本である。本文に紛れるように主に散文訳された詩が挿入され、感想とも思索ともつかない余裕と緊迫が交錯した文章が続く。試みとしてのエッセー、試文であるとは本人の弁だが、謙遜よりも揺るがぬ自負のあらわれと見える。引かれるのはマラルメ、ゲオルゲ、ヴァレリー、ソフォクレース、アイスキュロス、ダンテ、夏目漱石、ヘルダーリン、シラー、ボードレール、グリンメルスハウゼン、グリュウフィウス、ドロステ=ヒュルスホフ、ヘッベル、マイヤー、メーリケ、シュトルム、ケラー、クライスト、アル・ハラージー等々であり、ことにリルケは後半『ドゥイノの悲歌』の全訳となる。神秘、老い、諧謔、比喩、そして訳すこと、読むことについての思索が浮きつ沈みつするように書かれる。もちろん彼の小説の読者であれば、アイスキュロスが初期作品に、ボードレールが近作に、といったふうに連想が進むのは当然で、そのようなさしあたりをいろいろ書くこともできるような気がするが、しかし、何か障りがあるような、それは軽はずみだと戒めるような気にさせられる厳しさを含んだ本だ。菊地信義のあっさりした装幀が美しい。