- 販売開始日: 2022/05/20
- 出版社: 講談社
- ISBN:978-4-06-212490-4
近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男
著者 大野 芳
その生涯、華麗にして波瀾万丈!――。兄は宰相・近衛文麿、恋人・愛人は数知れず。山田耕筰との確執、フルトヴェングラーとの交友、そしてユダヤ人救出。世界をうならせた名指揮者の...
近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男
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商品説明
その生涯、華麗にして波瀾万丈!――。兄は宰相・近衛文麿、恋人・愛人は数知れず。山田耕筰との確執、フルトヴェングラーとの交友、そしてユダヤ人救出。世界をうならせた名指揮者の知られざる全貌に迫る。
<主な内容>
序章 忘れられたマエストロ
第1章 公爵の家
やんちゃ坊主/父篤麿の死
第2章 青年指揮者
東京帝大音楽部/ヨーロッパへ
第3章 オーケストラの黎明
山田耕筰との訣別/『越天楽』誕生
第4章 開眼
フルトヴェングラー/苦い握手
第5章 恋と栄光の日々
芸者喜春/女優澤蘭子
第6章 戦火のタクト
ユダヤ人救出/ベルリンの孤独
第7章 再起に賭ける
文麿の最期/立ちはだかる壁
終章 読まれなかった弔詞
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サブタイトルの真の意味は最後にわかります。
2006/09/03 21:49
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:伊豆川余網 - この投稿者のレビュー一覧を見る
傑作評伝である。文麿の弟、もしくは戦前、N響(NHK交響楽団)の前身、新交響楽団を立ち上げた日本楽壇の先駆者。その程度しか知らなかった当方のような読者には、全編にわたり、興味津々である。のみならず、近衛秀麿を知らないのは当方の無知のせいのみでなく、戦後暴露された「醜聞」と、(N響を中心とした)日本楽壇の「冷遇」、その結果、反近衛派の人々の跋扈があったという事実が、最後半部で明らかにされている。
80年代、イギリスのレコード専門誌「グラモフォン」である評者が記したという、「復刻を望むのは近衛とベルリン・フィルの戦前の演奏であって、カラヤンのはその次」という評価が、日本ではほとんどといっていいほど伝わらないのも、そういう経緯かと思う。
醜聞とは、秀麿の飽くことない女性遍歴の中の一人、映画女優・澤蘭子の発言に基づく。蘭子は1937年(昭和12)から1945年までの欧米滞在中、事実上の「妻」だったが、秀麿にはドイツ人女性の愛人がいた。これ以前から正妻のほかに複数の女性と交渉があった性癖を読まされている読者には、蘭子の異常な嫉妬と、戦後当人が暴露した秀麿の奔放な生活は、彼女のほうにも責任があったように読める。これは必ずしも評伝作家の贔屓目と言い切れないことは、秀麿が、手をつけた愛人たちにその後も、それなりに手当てしていることで説明されている(もっとも、その「手当て」には、兄文麿の意を受けた文麿夫人千代子や、秀麿正妻泰子の働きがあった。)。とはいえ、ナチス・ドイツ崩壊時、ソ連軍に捕らえられ、過酷な生活の結果一女を失った蘭子は、やはり同情すべきであろう。
秀麿のほうは、ドイツの高官たちとともに米軍に捕らえられながら、フランス経由でアメリカに連行され、1945年12月には帰国できた。ワシントンでの尋問時、子供の数を聞かれ、(英独語ともに堪能な)秀麿が沈黙していると、“こんな簡単な質問になぜ答えられないか”と問い詰められた際の秀麿の答え。「ちょっと待ってほしい。いま、正確に数えているところだ」。後年、朝比奈隆が“先生、そろそろアチラのほうは控えたら”といったら、「相手は悦んでおりますよ」と答えたという逸話とも符合する“名場面”だ。
戦後日本楽壇の冷遇は、秀麿の(天賦の楽才に加え)「華族」という特権階級出身者であればこそ可能だった戦前の活躍への羨望と、それゆえの警戒が下地にあった。それは、戦前戦中の日本人指揮者、というより音楽家として唯一といっていいほどの国際的活躍の証明でもある。ベルリン・フィルをはじめ多くの欧米の楽団で客演し、喝采を浴び、フルトヴェングラー、E・クライバー、クレンペラー、ストコフスキーらと交流、もしくは彼らの招聘をうけ、シベリウスからはラジオ放送での自作演奏を評価されて国賓待遇でフィンランドに招かれている。あのおそるべきトスカニーニからも、ニューヨークフィルの副指揮者に指名されているのだ。同業の母国人であれば、羨望・怨嗟の結果、帰国後は謀略をめぐらせて冷遇したかった者もいただろう。このあたり、戦後画壇から排斥され続け、近年漸く大回顧展が実現した藤田嗣治とやや似ている。
だが秀麿は、藤田と異なり、再渡欧という道を選ばなかった。劣悪な経営環境のなか、日本での楽団設立をこいねがい、苦闘するのである。実子・秀健のいうようにドイツへ渡ったほうが、晩年もう一花もふた花も咲かせることができたのではないかと、思わずにはいられない。
近衛秀麿の波乱万丈の音楽人生
2006/09/10 18:27
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
近衛秀麿と言っても、現在は忘れ去られたも同然であるが、戦前は日本を代表する名指揮者であったばかりではなく、欧米の多くの主要オーケストラで客演をした逸材であった。何しろ、昔も今もオーケストラの頂点に君臨するベルリンフィルを6回も指揮し、ストコフスキー、E・クライバー、フルトベングラー、トスカニーニ、クレペラーなどの名指揮者とも交わりを持ち実力を認められていたというのであるから、現在の小澤征爾に匹敵する存在と言っても過言ではないであろう。
本書は、関係者のインタビュー、演奏会プログラム、最近発見されたドイツ人の盟友レーマンに宛てた多数の手紙などを基に、近衛家の次男として生を受けた近衛秀麿(因みに政治家の文麿は実兄にあたる)の波乱万丈の音楽人生を詳細に辿っている。
この評伝は興味深い記述が幾つもあるが、注目すべきものの一つとして、秀麿とオーケストラ創設との関わりがある。本書の記述に従えば、当時は日本にはプロの交響楽団と言えるものはなく、秀麿は国内の演奏家をかき集めて、現在のNHK交響楽団の基となった「新交響楽団」を創設している。秀麿は、この後も幾多の楽団の創設に関わっているが、自分の理想とするクラシック音楽を演奏するために次々と楽団を立ち上げていった秀麿の情熱には心打たれるものがある。
本書は、評伝である以上、秀麿の人間的な面にも多くの頁を割いている。とりわけ、秀麿よりも先行して音楽活動を展開していた山田耕筰との葛藤と軋轢には詳細に触れている。山田耕筰と言えば、「赤とんぼ」などの歌曲やオーケストラ曲を作曲したクラシック音楽作曲界の大立者として著名であるが、この人物は人間的にかなり問題のあったらしく、多くの音楽関係者とトラブルを起こしており、秀麿とも楽団創設を巡って激しく対立している。著者は、両雄並び立たずという例えもあるように、両者の個性の違いに加えて、秀麿は山田の弟子筋に当ったことからかえって近親憎悪的な面が増幅されたということもあったかもしれないとし、その複雑な人間関係の陰影を克明に描いている。
また、本書を読んで驚かされるのは、秀麿の激しい女性遍歴である。結婚後も、秀麿は女性演奏家・女優・芸者など多くの女性たちと浮名を流し、そのうちの幾人かとは庶子を設けてさえいる。戦後、秀麿は無情にも捨て去った女性たちから、乱脈な性生活振りを暴露した私記を週刊誌などに発表され手厳しいしっぺ返しを受けている。
終章では、戦前あれほど名声に包まれていた秀麿が、その死後に急速に忘れ去られて行った原因について論じられている。それには様々な要因があるが、著者は秀麿の融通無碍な音楽解釈にその一端があるとしている。現在では、作曲者が残した楽譜に忠実に演奏することが当たり前となっているが、秀麿は音楽をより完成度の高いものにするために、自分なりの改訂を加え近衛版として演奏しており、ベートーベンの一連の交響曲などは死ぬまで改訂作業を続けて倦むところがなかったという。このような改訂作業は、原典主義の現代にあっては厳に戒められており、秀麿の演奏が忘れさられたのはそうした背景があったと著者は結論している。他方、最近の新ロマン主義的な流れに乗って、秀麿の演奏は再評価されつつあり、残された音源からCDでの復刻もされているという。本書の出版やCDの復刻などの状況を見ていると、近衛秀麿という稀有な指揮者が忘却の中から掬い挙げられ正当に評価される機運が整いつつあることを実感させられる。