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- カテゴリ:一般
- 発売日:2006/06/14
- 出版社: 竹書房
- サイズ:19cm/205p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-8124-2759-2
読割 50
紙の本
のぼせもんやけん 昭和30年代横浜〜セールスマン時代のこと。
著者 小松 政夫 (著)
役者に憧れて故郷を捨て、横浜の地に立った“のぼせもん”の青年・松崎雅臣=小松政夫。二年後、彼はなぜか車のトップ・セールスマンになっていた!?師匠・植木等に出会うまでの横浜...
のぼせもんやけん 昭和30年代横浜〜セールスマン時代のこと。
のぼせもんやけん―昭和三〇年代横浜~セールスマン時代のこと。
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商品説明
役者に憧れて故郷を捨て、横浜の地に立った“のぼせもん”の青年・松崎雅臣=小松政夫。二年後、彼はなぜか車のトップ・セールスマンになっていた!?師匠・植木等に出会うまでの横浜トヨペット時代、良き先輩、良き仲間、良きお客さまと繰り広げる、なーみだ、なーみだの奮闘記。【「BOOK」データベースの商品解説】
役者に憧れて故郷を捨て、横浜の地に立った「のぼせもん」の青年・松崎雅臣=小松政夫。2年後、彼はなぜか車のトップ・セールスマンになっていた!? 今まで真正面から語られることのなかった小松政夫の芸能界以前を綴る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
小松 政夫
- 略歴
- 〈小松政夫〉1942年博多生まれ。植木等の付き人兼運転手として芸能界入り。NTV「シャボン玉ホリデー」でデビュー。「電線音頭」などのヒット曲を出す。コメディアン。俳優。
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電子書籍
元気のない日本人のために書かずにいられなかった
2021/06/17 20:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:プチトマ - この投稿者のレビュー一覧を見る
と、冒頭に書かれていました。
お亡くなりになる前に出演したNHKラジオ深夜便でこの本を知りました。
「植木の親父さんよりは長生きしたい」がかなわなかったのが残念。
読み出すと一気読み。
「あれこれ考える」よりもまず「行動」の人生。
人との縁でブル(自動車販売会社部長)に誘われ自動車セールスに。
特に印象に残ったのは、
「なんでお店の女の子のスキルを習わなかった」と怒られたことと、
顧客への鋭い観察眼とグリップ。
あと、昭和の「元気」を支えた周りの人々の温かさ。
令和の日本人に元気がいま一つない理由も分かった・・・
紙の本
付き人から抜擢されて、画面に出るようになったのは、この本以降のこと
2006/09/28 16:56
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:7ひきのこぶた - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の小松政夫が、植木等の付き人になる前は、自動車のセールスマンをしていたことは、比較的に有名だ。この本はそのセールスマン時代を描いてある。ただし、奥付の対抗面にこんな断り書きがある、「この作品は事実を基に創作した書き下ろし小説です。当該の人物・団体に許可を得て、一部実名を使用しておりますが、基本的に実在の人物・団体とは一切関係ありません。」と。でも、実際にはほとんど事実なんだろう。苦情を持ち込まれないように、予防線を張っただけだと思う。だから、私は小松政夫が高校を出てからの4年間、植木等の付き人になるまでの奮戦記の事実として読んだ。
高校のときに父が亡くなった。遺産どころではなく、膨大な負債が残された。だから進学は思いよらないので高校を出ると、役者になるという夢だけを持って上京した。しかし、それは横浜で就職していた6つ違いの兄にも相談していなかったことなので、寝るところもない。当時、兄は会社の独身寮住まい。ま、いいか、とばかり兄の部屋に隠れ住んだが、会社に見つかって、退寮を余儀なくされる。役者になる夢は演劇研究所に入ろうとしても、その前の受験料すらないから、入り口でオフリミット。とりあえず食べなくてはいけないので、次から次に仕事を渡り歩く。今でいうフリーターか。
そして20歳。自動車セールスマンに正社員として採用された。もっとも、本給はあるけれど、「1台売ってなんぼ」だったのだから、正味の正社員ではなく、実質的には契約社員かもしれないけどね。著者が正社員だというのなら、それでいいとしましょう。
著者がセールスマンになった昭和37年(1962年)は、「マイカー」という言葉が、そろそろ聞かれるようになったころだが、実際には言葉が先行して、所有している人が少なかった。半面、値段は年収以上。そんな状況だと、いまより売るのは難しいのか簡単なのか、私には判断がつかないけれど、「月間22台売ったこともある」が驚異的な数字なのはわかる。日曜が休みとみなせば、ほぼ1日1台売っていた計算。運転免許を持っていない客に売りつけたことも(もちろん、責任を持って納車までには免許取得をできるように手伝いはしたそうだ)。
そんなセールスの間に、いろんな人に出会う。そのなかには、後年、芸能界入りしてから、ギャグフレーズとして有名になった「知らない、知らない、知らない」とか「なにをユージロー、シマクラチヨコ」を、発する人物が実在していた。
結局、2年間勤めた後、円満退職でナベプロの「植木等の付き人募集」に応募して、採用されたのだが、自動車のセールスマンという前歴がプラスになったと私は思う。付き人といっても兼運転手だったのだから。前職が違っていたら、もしかしたら「小松政夫」は存在していなかったかもしれない。
電子書籍
昭和の良き時代感と彼の面白いところが満載
2024/02/06 22:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:sasayan163 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和のセールスマンだった頃のお話がめちゃくちゃ面白かったです
あだ名の付け方も秀逸で目に浮かぶような文章でとても楽しく読ませてもらいました